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『夢野久作の日記』より

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『夢野久作の日記』より(3)

(2)から少し日にちが経って、同じ1926年の後半、あらためて「狂人の解放治療」という原稿の話題が出て来る。精神病棟という閉ざされた空間を舞台とした「ドグラ・マグラ」だが、その執筆は閉ざされたものではなく、家族や友人に読ませて感想を聞くという過程を踏んでいたのがこの時期の日記の記述からうかがえる。

「七月十日 土曜
 天気よし。妻に、狂人の解放治療(17)の話をきかす。

 七月二十六日 日曜

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『夢野久作の日記』より(2)

「ドグラ・マグラ」について『夢野久作の日記』で言及している箇所の続き(引用に際して表記しにくい踊り字を文字に起している)。

今回は最初の草稿を書き上げて清書を終えるまでの1926年5月22日から6月13日までを抜粋。家族で経営している杉山農園の管理についての記述も多く、多忙な日々の中毎日毎日原稿を執筆している。

本当にまじめな生活であることだよ。

「五月二十二日 土曜
 朝、川口君と礼子同伴

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『夢野久作の日記』より(1)

大学院の講義で「ドグラマグラ」を講読したので、参考に杉山龍丸編『夢野久作の日記』(葦書房、1976年)も読んだ(近畿大学産業理工学部図書館所蔵のものを貸借)。

夢野久作は1936年に亡くなっていて既に著作権は切れている(青空文庫には複数の作品が掲載されている)。また『夢野久作の日記』自体、現在では入手が難しくなっているので、「ドグラマグラ」に関連する部分だけここで紹介してみようと思う。

なお、

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