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竹美映画評86 ヒステリーを起こしかけているアメリカ? 『フォーエバー・パージ』(”The Forever Purge”、2021年、アメリカ)

今やホラー・スリラー映画のヒットメーカーであるブラムハウス社がライフワークのごとく続けて来たパージシリーズは、遂に、パージが終わらなくなる状況を描き始めた。

メキシコから密入国したファン(テノッチ・ウエルタ)とアデラ(アナ・デ・ラ・レゲラ)夫婦は、テキサス州で仕事を見つけ何とか暮らしていたが、そこで初めて「パージ」の夜を迎える。安全な場所で何とか一夜をやり過ごした二人だったが、パージの停止時刻を過ぎてもパージは止まず、二人は戦乱に巻き込まれていく。何とかしてメキシコに逃げ帰ろうとするが…。

一応、ソーシャルスリラーというものを仕掛け、アイデンティティー政治を見事にエンタメに変えて巨万の富を得たブラムハウスの作品だから、「白人至上主義」という集合意識を凶悪なモンスターとしていたものの、「金持ちへの怨念」という、シリーズ最初の頃の情念も再び前に出て来ていたのが印象的だった。そっちに行くのなら、むしろフォーエバーパージをしそうなのは、作中でも描かれているように、いつも虐められて嫌な目に遭っているファンの方ではないかと思うのだが、彼は徳が高いのでそんなことに加担しないのである。

或いは、こうも思った。パージによってでも現行の社会秩序=ノーマリティを維持したいと願うのは、当然、多数派の白人ということにもなると思うが、同時に、まさにその白いアメリカに命を懸けて移民して馴染もうとしてきた人々、それこそ『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のエブリンの家族や、『ミナリ』の一家ではないのだろうか。そういうところまで描けたら、パージシリーズの最新作としてもっと深みが出たかもしれない。

が、本作は、もうこれは、理念対立の中身とかどうでもよく、また民族浄化などという口実もどうでもよくて、ただもう、社会全体がヒステリーを起こしているという現実が染み出して来ていた気がして、物悲しく、おもしろく感じたのだった。

そう、理念対立とか、LGBTQ∞の乱とか、それへのアンチ運動とか、人種の問題とか、色々な亀裂っていうのだって、今のノーマリティが維持される限りにおいて論争することができるのであって、フォーエバーパージが始まったら、元も子も無くなるんだってことが端的に伝わって来た。パージを始めたのも白人至上主義(という風になっていたはず)、そしてフォーエバーパージを始めたのも白人至上主義の人々(ただし貧しい)。なので政府軍が反乱を抑えようとする理屈もよく分からなくなってきたのがなかなかいいと思った。

でも反乱を起こすのが貧しい白人だけで、貧しい有色人種が入り乱れて来ないのは不自然にも思う。

暴力犯罪が増えているというのに何もできないでいる、というか見ようとしないアメリカ上層部に対する皮肉にも読めた。

ブラムハウスは、今後どんどんソーシャルスリラー的な作品から足を洗うと私は予想している。アイデンティティー政治の結果がもたらしている異様な状況は、彼らなら絶対正確に分析できているはず。なので本シリーズの幕引きの仕方は要注意だと思う。

アデラがメキシコマフィアに対抗する民兵組織の一員だという設定も面白いと思いつつも、でも結局、マフィアの資金源は、ハリウッドはじめ北米でコカインやそれ以外のドラッグを買ってパーティする人達なのだという点がまたしても隠ぺいされた。なぜメキシコの人がそこまでしなきゃなんないのかというのは、メキシコの社会に内在する問題ももちろんあると思うのだが。

もっと色んな勢力が入り乱れて、なかば現実に対する代理戦争として本作が進んでいくことに期待したい。その中に本音が隠れているはずだから。

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