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竹美映画評96 韓国女幽霊映画と『エクソシスト』のマリアージュ 『너 또한 별이 되어(お前もまた星となりて)』(1975年、韓国)

(ま、写真は月なんですけども…)
前回紹介した韓国映像資料院の2009年の季刊誌から見つけたのが今回の作品。

今回の作品『너 또한 별이 되어(お前もまた星となりて)』は、1975年製作の韓国のホラー映画。韓国のホラーが本当に女幽霊ものが基調だった時代の作品。恐怖シーンの演出が同時代のイタリアやアメリカのホラー作品を先取りしているようにも見え、悪魔要素をほとんど抜いてしまった『エクソシスト』がどう翻案されたかという面からも面白い。

あらすじ

普通のサラリーマン、サンギュは宝くじに当選し、ソウル市郊外に大きな邸宅を手に入れた。安く売りにだされていた(はいフラグ)その家に、妻シノクと娘ユンジョンと共に引っ越したサンギュは幸せだった。ある夜彼は職場で電話を取ると混線した声の中に、女の異様な声を聴いてしまう。帰宅途中、ミウという若い女と知り合い、親しくなる。何度も現れるミウに溺れるサンギュ。一方、シノクとユンジョンは何かの気配に怯えていた。やがてユンジョンの言動に異常が見られるようになる。医者に見せても異常なしとされるも、ユンジョンの言動は異常性を増すばかり。そこへある男が現れ、ユンジョンに悪霊が取り憑いていると告げる。ユンジョンに憑いた悪霊との闘いが幕を開ける。

恐怖描写の面白さ!

直ぐに分かる『エクソシスト』からの影響も楽しいのだが、本作を観てもっとわくわくしたのは、ユンジョンやシノクを襲う超常現象。迫りくる危機を徐々に煽っていく上では描写の積み重ねが重要だ。そこが上手いと思った。

音もなくベッドの下から手が出て来て、それをユンジョンがあっけに取られているシーンの気味悪いこと!その前にはちゃんと、彼女が頭を逆さにしてベッドの下を確認する描写が入っているから怖いのだッ!

また、シノクが何かの気配に気がつくシーンも怖い。家の外から何者かがみしっみしっと入って来る。だがその姿は映らないので、後から考えても正体不明で気色悪くてえらい。

尚、ホラーシーンは時折真っ赤な光で照らされる。1年後公開されたイタリアホラーの古典『サスペリア』や超能力少女ホラーの『キャリー』と同じことを先取りしているように見えるのだから愉快だ。

また、協力者となる男が彼らの家を訪ねて来るシーンは、むろん『エクソシスト』を下敷きにしているものの、どっちかと言えば『ポスターガイスト』(1982年)的で、家の中で悪鬼と化した存在と奮闘するシーンも同作っぽくてひどく美味しいッ

その上で、最後の方では、ミウの哀しい人生が回想シーンとして出て来てやりきれない感じもした。『大霊界』めいたものも感じさせ、特定の宗教の枠で説明しない(緩くキリスト教のモチーフが使われるのみ)、お通夜みたいなしみじみし過ぎたラストに感服した。

不倫!と郊外の邸宅

日独で活躍中の著述家、川口マーン恵美さんの古典的傑作

本作のみならず、「昔の」韓国ホラーには、下世話な欲望がありありと感じられる。

『夜遅く突然(깊은 밤 갑자기)』(1981年)(視聴済)では、幸せそうな妻がある人形を見たことと、身寄りのない若い女の登場をきっかけに夫の不倫を疑う。また、1965年の『殺人魔』(視聴済)や1967年の『月下の共同墓地』(未見)では家庭内の謀略で「嫁」や「跡継ぎを生んだ女」が殺され、未見の『亡霊のウェディングドレス(망령의 웨딩드레스)』(1981年)(未見)ではレイプした魔性の女(?)を殺害等、とても品行方正とは言えない欲望と女、そして女幽霊が「家」という場所でもつれ合って格闘している様が伺える。

上記わずか数作品を観るだけで、男≒姑>ビッチ≒天真爛漫>>正妻≒母親>妾>娘という傾斜があり、「家の中のどうにもならない上下関係」が前提されているのだ。それこそが、韓国のみならず、東南アジアからインド、またはラテンアメリカにまで広がる、女幽霊の映画がやけに多い文化・社会の深層ではあるまいか。

2009年の韓国映像資料院季刊誌『映画天国』2009年Vol8に掲載された論評「서울 밖에 욕망의 무대를 짓다(ソウルの外に欲望の舞台を建てる」(김한상/キム・ハンサン(韓国映像資料院研究員)著)では、本作や『夜遅く突然』『亡霊のウェディングドレス』等を取り上げ、当時ソウルの団地ブームの中で、誰の手も届かない夢の場所であった郊外住宅地の邸宅を手に入れる層への嫉妬や憧れの結晶が、この「別荘残酷史」に刻まれているのだと分析している。さすがは韓国だ。アイデンティティー政治の見方が徹底している(冗談です)。

今回の作品でははっきり主人公サンギュはミウに取り憑かれているが、彼には不倫願望があるのだ。女幽霊をダシに本音を表現してるんだね、背徳感も滲ませながら、「自分は寂しい女から誘われたから対応(w)してあげたんだ」という自己弁護も感じられる。良心の呵責がまったくない。そういう言い訳にイライラして本作を楽しめない人もいるだろう。

家族ホラーとして見ると…

元ネタと言える『エクソシスト』と比較してみよう。『エクソシスト』では既に家庭は崩壊しており、リーガンの孤独と結局最後まで明かされない本音がキーである一方、母親クリスは一人の独立した大人として表象されている。母親の顔をしていないと言ってもいいシーンもある。

一方本作は幸せな核家族で妻は専業主婦であり優しい母親であり女。そこが違う。

70年代韓国と米国の「タテマエ」の違いが、危機に襲われる系の家族ホラーに色濃く出て来る(『ポルターガイスト』は、この観点から言うならフェミニズムの後退を表現した家族ホラーであろう)。こういうのを見つけるとわくわくしてしまう。

次に、不幸を背負わされた「魔性の女」、つまり家庭の敵であるミウは、その家で昔暮らし、不遇の人生を歩み、死んだ女。彼女は幽霊となり、自分を傷つけた男共を一人残らず殺し、自分の唯一「いい思い出」のあるこの家に来た者に不幸を味わわせているのである。階級闘争的腹いせだ。だからあの女幽霊が「寂しいの…おじさん…」なんて本気で言うわけがない!まんまとやられるサンギュよ…『ポルターガイスト2』からも分かる通り、家族ホラーでは父親≒男こそが弱点として立ち現れる。『ダーク・アンド・ウィケッド』の父親同様、サンギュは厄介ごとの原因だ。『レリック 遺物』ではもはや父親は消去(女性じゃないとこういう風には家族を描かないと思う)されているし、『エクソシスト』でも父親は登場しない(米ホラーは父親を出したり消したりしているね。跡付けられないかなこれ)。

と同時に、上記のキム・ハンサンの論から考えると、この時期の皆が考える「いい暮らししていた娘の不運に次ぐ不運から来る転落を体験する若い娘」というイメージは、憐憫と同時にうっすら「ざまあみろ」の欲望も蠢いている(そう読む私の性格が悪いのかw)。ミウは、父親の死後家を出るしかなかった。コンビを組んでいた田原俊彦似の男歌手(ソニー&シェールとか、カーペンターズみたいな男女コンビ流行ったんだろうな)は自分を捨て、その歌手を売れさせるためにプロデューサーに身を弄ばれ(芸能界の腐敗というのは皆薄々知っていた上で「ザマミロ」欲が投影されていることが明らか…)、通りでレイプされ、キャバレーでダンサーをしていたところ失踪…。恐らくこれは、お金持ちの娘の転落人生としてはサイアクでありつつ、同情を誘うものだったのだろう。

しかし、今の韓国ならこういう描き方はするまい。

不幸な女幽霊の終焉?

上記のような作品からは、日本の怪談と似ているがすこーし違う印象を受ける。多分、階級差を前提とした社会が段違いに厳しいのではあるまいか。現在の韓国ホラー百花繚乱の下地がそこにあるのかどうか…というのはまだはっきり言えないのだが、強いて言えば、「疑似アイデンティティー政治映画」とも言える、上下関係を前提(対等な個人同士の諍いではないところがポイント)とした女幽霊の復讐劇は、むしろ今は、超常現象をほとんど排した形で行われているように思う。

昨年最もアツかった韓国復讐ドラマ「ザ・グローリー 輝かしき復讐」はどうだろう。

本作観た皆さんならば知っていることだが、最後の方で、ムーダン(韓国の女シャーマン)が、主人公と過去に因縁のあった同級生の霊を降ろし、仇に語りかけるシーンが出てくる。非ホラーに突如として超常現象が差し挟まれる。女幽霊はまだ声を上げている。やってしまえと怒っている。

思えば軍事政権下で抑圧的だった時代の韓国では死者として語っていた幽霊は、民主化以降、生きた者の声を借りて語り始めたとも言えるのかもしれない。本作にも戒厳令下の夜の真っ暗なソウルが出て来る。民主化以降に声を得たのは女幽霊も同じなのだろう。そしてそれも一巡した今、2010年代以降、韓国ホラーの女幽霊は健在であるものの、目立たなくなってきた。特に、生前の不幸な生い立ちとか素行の悪さとか、今の観客には「ノイズ」になり得る背景を背負わされた女幽霊は、その役割を終えつつあるのだろうか。もしそうなら…今後韓国のホラーで恨み言を言う幽霊は誰なのだろう。

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