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マルチ・ポテンシャライトならでは、の悩み

2020/11/10(火)の日記

幅広いさまざまな分野への好奇心と才能を持つ者を,「マルチ・ポテンシャライト」ということがある(それらの分野の間(かん)に連関があるか否かは関係ない。)。去る2015年にEmilie Wapnick氏が「TED」という世界的カンファレンスで提唱した。一聞すると優秀な者に思えるが— 実際にそうかも知れない、幅広い好奇心と才能を持つ故の悩みを、当人たちの幾らかは抱える。

彼女が示す定義に照らせば、私もマルチ・ポテンシャライトに該当するだろう、との自覚がある。自身、色々なことに興味があって、我ながら、そのことは実に結構なことだと思っているが、なかなか幅広いが故、正直なところ、収拾が付かないで苦慮することが多々ある。

世間一般には、何か一事に没頭し、これを専門とするが望ましく、結果としてそれが労働者市場では人材としての商品価値を高める、とまでする如き教示が共有されることがある。これは冷静に見ると、なかなか狭量な価値観である:レオナルド・ダ・ヴィンチを始め、博識と呼ばれる、万能な輩(はい)はこれまで数多く存在してきたが、持って生まれた力を発揮することが仮に拒まれたなら、人権を蔑ろにされているも同然だからだ。アレもコレもと、興味の向くままに探究心を満たそうとしたら、どっち付かずだとか何だとか批判され、やがて当人は自分を疑い否定するようになる……これは、一種の悲劇である。

創造というものは、既存のものをそれまでにない組み合わせを以て用いるところに始まるのであり、たった一つの分野を極めた先に始まるものでは、大抵ない。そういうものは、どちらかというと伝統に属するものであって、しかしながら、伝統でさえ、極めるに終始すれば、大体、やがて朽ちて滅びていく。

マルチ・ポテンシャライトとは、人類社会の各所に創造をもたらす、文字通り”潜在性”を有する者たちのことだ。そうした者こそ歓迎し称賛することで、社会全体の進歩も、大いに期待できるというわけである。一事に専念せよとの教示を如何に払い退けるか、との悩みは、マルチ・ポテンシャライトならでは抱えない悩みの一つだろうが、個人的であるかも知れぬも、もう一つ大きな悩みと言えることがある。それは、多種の好奇心や才能を、どうマネジメントして有用に最大化できるか、という悩みだ。この悩みを克服できることは、マルチ・ポテンシャライトとしての人格を確固とすること、すなわち積極的に肯定することと同等である。

私の場合、これまで何次にも亘って熟考してきた過程から,〈学術〉と〈芸術〉とにまとめてみるとシックリ来るというのが、今のところの最適解なのだが、まったく関連のないように思える分野に興味が向くという性質に、人によっては途方に暮れることがあるのでないか。しかし先述したけれども、そこにこそマルチ・ポテンシャライトの強みを具現する糸口が隠されているわけで、一見では訳の分からない組合わせを試行してみることで、自分さえ想像していなかった、新しい発明に巡り逢うことがあるから面白い。

一定の解に到達できるかは別にしても、文脈の共通しなさそうな、自分の関心事”たち”を、試行錯誤の上に統括してみようとすることは、私はそこそこ有効なのではないかと考えている。自分は何者なのかという、本能的なくらい無性に鋭い問いは、きっと誰もが無視できないので、まとめ方は大雑把でも、自分の心がトキメく色”たち”をひとまず配合してみて、現れた新色を自己イメージとするのも一手でないだろうか。これは気分屋さんには適さぬかも知れぬが、何れにせよ、マルチ・ポテンシャライトの自身の力の、斬新な発揮の仕方とは、本当にどのようなポテンシャライトにとっても手探りであり、果てがないから悩ましく、故に楽しいのだ。

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