随筆家・竹中ゆうすけ

1993年生まれ;私の(壮大で遠大な)夢は、文芸を始めとする芸術を以て、人類の恒久平和…

随筆家・竹中ゆうすけ

1993年生まれ;私の(壮大で遠大な)夢は、文芸を始めとする芸術を以て、人類の恒久平和を実現すること;ほぼすべての記事が全文無料;執筆に専念している故、頂戴した御コメントにお応えできない場合がありますこと、どうかご了解ください【連絡先】qlgcuh27509アットme.com

マガジン

  • 2018年第1四半期(工事中)

    2018年1月から3月に投稿した記事を聚斂しました。

  • 「吐露ノート」より

    気兼ねなく文章を書こうという趣旨で始めた日記風の随筆輯「吐露ノート」に記した記事をスクラップしたマガジンです。

  • 日記('20/08/25〜)

    その日(表題)に思ったことや考えたことを綴った記事を集輯しました。

  • 2019年全期(工事中)

    2019年に投稿した記事を聚斂しました。

  • 2020年上半期

    2020年1月〜6月に投稿した記事を聚斂しました。

最近の記事

  • 固定された記事

すべては神様から起こり神様に帰する

〜 肯定感の充満する社会を築くための鍵 〜 1) 肯定感が私たちを救う■ 誰もがその内に”輝き”を持っている  何人もその内に、不変且つ普遍の“輝き”を持っています。これを悟ることは、誰にとっても、至上の喜びの一つです。  自身の内にある“輝き”に気付くことで、人は矜恃や自尊心を養うことができます。これによって、他者のそれにも気付くことができ、やがて、自他の区別なく、人という存在を深く尊重する心を育めるようになります── 尊重するというのは、すなわち,(あらゆる事物を)

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    • 物が溢れかえる部屋では、考えることが面倒になる

       近来、私は自分の向かう先を見失っている。物に埋もれ思考が淀んでいる気がする。思考の淀みに比例して、まるで私の活動力も低下しているようだ。  昨今「ミニマリスト」との語が巷間で頻用されているが、私もそれに近付くべく身辺を整えようと思い立った。(原理主義的に)生活上のミニマリズムを志向する者がどうも話題になりやすいが、それに立脚することの実の効能は、内省を通じ真なる個性の表現が促進されることにあるのであり、生活に要する道具のほぼ一切を棄却し、空間の優位な所有を示すことにはない

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      • 幸福であるを悟れ

         人は誰もが幸福である── 私の信条の一つだ。 敷衍すると:幸福とは,(変生するかして)成るものでも、目指すものでもない── 元々私たちは、誰もが幸福である者として生まれてくる。 このとき、幸福がどう定義されるかが重要である。私にとっての幸福とは,〈普遍の正しさによって形成された実存〉を意味する。  幸福とは絶対的であり、何物に依っても揺るがない。 幸福は言い換えれば:蓋し「光」である。誰もが、存在するに至ったその瞬間から、不断に輝いている。どのようなことがその身に起こって

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        • 市民税の初納税を前に

           私は今月、市民税をおそらく初めて納める。今年の春から私は学生でなくなった。(学生の間に住民税を納めた記憶はない。)一昨年から労働に従事し始め、それから所得税などを納めようになったが、これに加え市民税ならびに県民税を、このたび納付することになった。アパートに届いた当局からの封書を眺め,「そうか、市民税か」と、納税の重みをしみじみ感じた── 社会人の一人として認められたような気がした。  人々の納める税金によって、社会(の制度/システム)は維持される── 少なくともここ日本に

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        すべては神様から起こり神様に帰する

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        • 2018年第1四半期(工事中)
          3本
        • 「吐露ノート」より
          6本
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        • 日記('20/08/25〜)
          34本
        • 2019年全期(工事中)
          0本
        • 2020年上半期
          3本
        • 2018年下半期(工事中)
          0本

        記事

          現在の職場について

           現今の仕事は重い箱などを上げ下げするなど、肉体を不断に使う労働である。そのため、運動にはなるだろうが、下手すれば相当の身体疲労を負う。例えば、腰痛,背中の凝り……おまけに、周囲の人たちとの遣取りや、些かタイトな時間制限を伴うタスクもあるので頭も使う。個性的な人たちとの関係も手伝って、心理的なストレスも生ずる。日々「ああかな」「こうかな」と、人知れず腐心しながらも、どうにかここまで大怪我などすることなく継続できたことには安堵する── 多少の身体的外傷(火傷,打撲)はあったが。

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          現在の職場について

          雨の日の通船川を散歩する

           時々、私は散歩をする。 現住するアパートの近くを流れる通船川の沿道を行く。今朝は雨が降っていた── 傘に当たる雨の音,雨粒が落ち川面に広がる水紋,草木の上で丸まった雨水などが印象に残った。その他、静かな川沿いに鳴き声を響かせていた小鳥も目に留まった── 心做し元気そうに見えた。雀はチュンチュンと、休みなく地面を,木々の上を,空中を動き回っていた。  荒天でない限り、雨のなかを散策するのは良い。そのときにしか見られない、聞こえないものがある。そういうものに五感を働かせること

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          雨の日の通船川を散歩する

          私は一人で生きていける、大丈夫(課された使命)

           未の刻、母親から電話を寄越せとのメッセージ。大抵こういうとき、内容は陸でもない。思うに無視するが最善だ。 私はこの類のメッセージをもらうとき、嘗ては大いに思い悩んでいた。そして、割かし正直に応えていた── 親は自身の要求や願望を、大方、否応なしに押し付けてくる。然るに最近は、自ら励まし、動揺する心を落ち着かせられるようになった──「自分は一人で生きていける、大丈夫」と。 相変わらず同類のメッセージを確認した瞬間と以降の暫時は、今でも多少は思い悩む。が、それは緩やかに内観され

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          私は一人で生きていける、大丈夫(課された使命)

          ある日の夢日記 〜 追われる私は2つの虹を見た

           今朝、空飛ぶ夢を見た。誰かから逃げるべく飛んでいた。私を追う者は、年配の者でなかった;6、7人はいた── 内、過半が男性だった。 なぜ追われ始めたかについて記憶はないが、透明人間になった自分は周囲を驚かせながら逃げていた(── 透明の状態なのにどうして驚かせていたのか、という記憶も定かでない)。さらに、学校の教室ようなところで、追う者に出入口を塞がれ逃げ場を無くしたとき、自らその者らへ向かって行って、フィンガースナップ一つして身体を消した。次の瞬間には、私は教室の外にいた。

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          ある日の夢日記 〜 追われる私は2つの虹を見た

          自他の間の境界線

           自己と他者との境界線が引けていない人が多くないだろうか……この気付きを今回の記事のテーマにする。 自分の問題でないのに引き受けてしまったり、自分の問題なのに他人に押し付けてしまったりして、眼前で生起した、幾種もの出来事(の特質)を混同する。私の今の職場でも、そういう人を何人か見受ける。また、メディアの流すニュースに触れ、それをまるで自分のことのように受け取り、特定の誰かなどを非難したり攻撃したりする人も、しばしば見聞きする。こういうことは世界中で起きている;(この話題の範疇

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          人間にとっての偶然も、神にとっては必然

           自分の身には何が起こるか分からないと、私たちは時折いう。人生はそれだから面白いのか、それとも、怖いのか。 この頃、私自身のなかで種々のパワーが膨れてきている、という感を覚える── きっと思わぬ形で、いつの日か表出するだろう。その日がいつなのか判然としないけれども、着実にこの内に育っていると感ずる。  人間の視座からすると”偶然”に思われることも、神の視座からすると”必然”なのだろう── 実は私たちの知り得ぬところで、すべてのことはプログラミングされている。神の打ったコマン

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          人間にとっての偶然も、神にとっては必然

          科学と宗教とは対立するものではない

          2020/11/11(水)の日記これまで、科学と宗教との両者は対照的な営為である、と私はずっと考えてきた。しかし近年、科学とは人の信仰することの結果として生じた営為なのでないか、と思うようになった。したがって科学の誕生と進展について、宗教に深く関係している、と今時は捉えている。 一般的に、西洋における古典的な科学には神学が含まれるものであり、すると、神を信仰するか預言者を信奉し、その存在に少しでも接近したいという探究心や好奇心が、科学を発展させる、一つの出発点だったと言えま

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          科学と宗教とは対立するものではない

          マルチ・ポテンシャライトならでは、の悩み

          2020/11/10(火)の日記幅広いさまざまな分野への好奇心と才能を持つ者を,「マルチ・ポテンシャライト」ということがある(それらの分野の間(かん)に連関があるか否かは関係ない。)。去る2015年にEmilie Wapnick氏が「TED」という世界的カンファレンスで提唱した。一聞すると優秀な者に思えるが— 実際にそうかも知れない、幅広い好奇心と才能を持つ故の悩みを、当人たちの幾らかは抱える。 彼女が示す定義に照らせば、私もマルチ・ポテンシャライトに該当するだろう、との自

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          マルチ・ポテンシャライトならでは、の悩み

          祖母が亡くなった。

          2020/11/02(月)の日記前日に親よりSNSを通じて、祖母が逝去したとの一報を受けた。つい先日には一緒に対話したわけだったから実感が湧かないが、そうしたタイミングでのことなのだから— そして然らずとても— 何かの意味があるに違いないと思ってしまう。どの瞬間に何が起こるか、人生には至って予断できないことばかりであるから、可能な備えをいつでもしておかなければいけない。たった今目の前にいる人が、明日いないかも知れず、そういう気持で日々を送ることの、どれほど大切なことか。 元

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          祖母が亡くなった。

          他者の幸せを知って持つ憎しみ

          2020/10/30(金)の日記ある人(家族,友人,同僚など)の幸せを願う。それは素敵なことで、その心はきっと美しい。けれども、願いの対象者に「もう私いま幸せなの」と一度(ひとたび)伝えられた途端、モヤモヤしてきて場合により憎くなってもきたなら、その人の心は道徳的な美しさを損なってしまうのか。「私はあの人の幸せを願っていたはずなのに……」と、自分に疑心さえ抱くかも知れない;自分の願った、その人の幸せに、何故か心から納得できない、と……。 控えめな美徳は人を自己犠牲に誘い、こ

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          他者の幸せを知って持つ憎しみ

          親の願いは子の創造性を奪うかもしれない

          2020/10/28(水)の日記私の親の意識の内には,〈進学→ 就職→ 結婚〉という、典型的なライフ・フローが確然として築かれているようで、それは直接口にせずとも、言葉の端々からひしひしと滲み出てくるようだ。こちらはそれに合わせるように話をしないと、機嫌を見る見る悪くするから、嘘ではないが本当でもないようなことを喋らないといけなくなる。一向に清々しくならなくて、胸中のどこかに灰色のスモッグがいつまでも漂っているような感— 可視化できないバイアスに囚われていることに無自覚の人間

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          親の願いは子の創造性を奪うかもしれない

          2020/10/26(月)

          人と話すことがなければ活力は湧かない 黙々と集中できることが、幾ら目前にあったって、それを単独で長期間に亘り継続することなど、通常できない。強い信念も孤独の森でさ迷う内に、次第に淡くなって消失していくだろう。音楽を始めとした芸術を通して、人類社会の多様性を、先人の築いた礎の上で、僅かでも高めようという使命をまっとうせむと、懸命に働いていて/働こうとしても、その意志を今日も明日も同じレヴェルに保つことは容易でない。 不図したときに,「ああ、話のできる誰かがいればなあ」などと思

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