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物が溢れかえる部屋では、考えることが面倒になる

 近来、私は自分の向かう先を見失っている。物に埋もれ思考が淀んでいる気がする。思考の淀みに比例して、まるで私の活動力も低下しているようだ。

 昨今「ミニマリスト」との語が巷間で頻用されているが、私もそれに近付くべく身辺を整えようと思い立った。(原理主義的に)生活上のミニマリズムを志向する者がどうも話題になりやすいが、それに立脚することの実の効能は、内省を通じ真なる個性の表現が促進されることにあるのであり、生活に要する道具のほぼ一切を棄却し、空間の優位な所有を示すことにはない。仮にも、当人がその点に無理を覚えるのなら、問答無用のことだ。
物が簡単に手に入る時代であるから、私たちは思い付くままに所有しようとする。平生、社会的に抱え込んだ種々の不安が、私たちに物欲を満たすのを無秩序に求めさせ、抗う余力は奪っていく。そのときは既に、自律の不調に陥っている。すると、自己の輪郭は曖昧なままで、精神的成長が鈍化する。

 私は、人は生涯、精神的成長を遂げられる存在であると考えている。ミニマリズムへの注目は、精神的成長に役立つ思潮であると見ることができる。
店頭で物を手に取ったとき、あるいはディスプレイに表示される品や何らかのサービスを買い求めようとしたとき、本当に今の自分に必要かと自問する。これに自答するには、自己の輪郭を自ら描く必要がある。つまり、内省した上で自己表現する必要があるのだ。

 がらくたを含め、物が充満した部屋は、住人の没個性を”表現”している。ところがそれは、思考の淀み、そして意欲の減退を生じさせ得る。
人は動くことを以て思考を活性化させる。物が充満した部屋では活動量も落ちやすい。そのため、思考の停滞と身体活動量の低下とは、相関関係にあると言える。物が溢れ返っているところより、物が整理されて最低限しかないところの方が、アイデアは不思議と浮かびやすい。思うにこれは、物の不在により思考が阻まれないためだろう。

 私は近々、引越しを予定している。約8年住んだアパートを退去する予定。これを機に、本当に今の自分に必要な物だけを選択しようと思う。これには多くの勇気が要るので、上手く済ませられるか分からない。が、思い立ったときに物を整理していて、内省が要るというのをよく思い知る

 私はきたる引越しを通じて、深い自己表現を志したい。生活上、多用する道具のコレクションは、その人の有り様を如実に表す。今の自分に本当に必要な物だけで自分を囲むことはまた、立派な自律だ。自己存在を見出す指向をミニマリズムというのなら、大量生産・消費の時代に流されない生き方を実践するヒントが、そこからは得られるだろう。


※「吐露ノート」22篇目(2020年6月18日(木)執筆)より

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