見出し画像

和菓子屋とぼくの素晴らしき文化の日

メモリアルなとっても良い1日だったので、今日の出来事を気まぐれに日記として書いておこうと思う。朝は、小屋から始まった。

小屋は30年前に、地域の淡水魚愛好会が500万円かけて造ったものらしい。正式名称は「北アルプス淡水魚観察保護センター」。この名は、地元出身で若くして亡くなった魚類生態学者が付けた名で、小屋の前にある水槽にはここらの川で観察できるたいていの魚が入っている。ただ、ここ10年ほど使われない状態が続いたことでガラクタが増えたり、小屋内がホコリやカビだらけになっていた。それを若者3人と近所の和菓子屋ひとりの計4人でピカピカに掃除し、泊まれるまでになっていたのだった。

前日の夜に仕事から戻り、風呂などを済ませて冷蔵庫で冷えているビールをクーラーボックスに入れて、準備した軽いつまみを持って愛車のジムニーで小屋に向かった。雨が降っていたが、翌日は祝日で仕事もないため、ルンルン気分で出かけた。小屋に到着すると、和菓子屋から電話で聞いていた通り、ケヤキのロッキングチェアーが持ち込まれていた。小屋から30分ほど離れた人気のない場所にある工房で、ちょっと癖のあるクラフトマンが製作したものだった。和菓子屋はそのクラフトマンが大のお気に入りで、しょっちゅう様子を見に行っては、作品を購入している。曰く「あいつの生き様を買っている」のだという。ぼくはこの和菓子屋のこういうところが好きだ。人情深くて、自分の直感を信じている。

さっそく灯油ストーブに火を付け、場を整えた。友人から借りていてずっと見たかったDVDをかける。ジョン・クラカワーのInto the Wild を映画化したもので、原作は読んだことがあったので、ぜひ映像も見てみたいと思っていた。映画は割合に長く、仕事の疲れとビールのせいか、寝落ちしてしまった。そして翌朝二度寝していたぼくを起こさせたのは、例の和菓子屋だった。「どうやたけやん、ええやろ?やっぱしあの砂利がええな」。和菓子屋は、せっせとみんなで入り口に運んだ玉砂利をえらく気に入っているようだった。

今日は晴れていた。和菓子屋とぼくは、約束通り山に笹を取りに行くことにした。ようかんを包む笹だ。ぼくは兼ねてから、この笹取りについていきたいと思っていたので、念願が叶うことが嬉しかった。9時にぼくの家を出発することを確認するとお互い支度を始めた。

ぼくらは予定通り出発した。紅葉の晩期に差し掛かった山々を縫って、目的地に向かった。標高がグングン上がっていく。岐阜と富山の県境にあるトンネルを抜けて有料道路のゲートを11枚綴り回数券で通過する。ゲートの管理人が気をつけて行ってくるように告げた。落葉し始めた森を見ながらそのスケールの大きさに日本にもそんなスポットがあることを幸せに感じつつ、良い釣りポイントになりそうな谷をいくつか超えてしばらく走ると、笹取りのポイントに到着した。カッパのスボンと長靴に履き替えると、熊除けの鈴を鳴らしながらぼくらは山に入った。

山はいかにも熊が出そうな雰囲気だった。実際、和菓子屋は1日に7頭も熊を見たことがあるというほど。最初に取るべき笹の大きさやその取り方のレクチャーを受けて、群生する笹の中に突入した。

良い具合の大きさの笹は、意外にも少なかった。大きさがあっても虫食いがあったり、先が裂けていたりしては使い物にならない。それでも、和菓子屋はまたたく間に30枚ほどを集めていた。ぼくはといえば、作業が非効率であるだけでなく、紅葉した森に見惚れていて、和菓子屋の三分の一くらいのペースで笹を集めていた。「何でも金に換算したら終わりやで」という言葉が印象的で、それはどこか真理のような気もした。

笹取りという行為は、空間的にもそのお作法も奥が深かった。歩きにくい上に、大きな笹を目指して動いているとえらく非効率になる。手の届く範囲にある大きな笹を探して取りつつ、視界に入った次なる笹にじりじり寄っていくのが正解のようだが、近場の笹をかまっているうちに、遠くに見つけた笹がどこに行ったか分からなくなったりした。挙句、足下の美しい地衣類などに気を取られ、ぼくの仕事は遅延に遅延を重ねた。それでも昼になることに170枚ほど集め、一度道路に上がってカップ麺とおにぎりを食べた。和菓子屋が茹ですぎたという温泉卵もカップ麺に入れ、腹を満たした。「まあまあ食いなよ」と進められるままにおかずや5個入りの薄皮あんぱんを食べると、眠くなりそうなほど腹が膨れた。飯を食べながら昔の川をはじめ、自然についてあれこれ話した。腹ごなしを終えたぼくらは、次なるポイントを探しつつ、発電用のダムまで降ってみることにした。「折角やから行ってみんかね」と和菓子屋。なんでも水量がこれでもかという位に少なく、ダム湖に浮かぶ島まで歩いていけるほどだという。

森は一度は伐採が入っているようだったが、大径木も残されており、程よく光が差し込む春に来たくなるような環境だった。いくつもヘアピンカーブを越えると、本当に水が半分以下になっていそうなダム湖が現れ、歩いて渡れるという島も見えてきた。宝来島という、いかにも縁起が良さそうな島だ。渡ればきっと良いことがあるに違いなかった。

ダムの底には、無数の切り株があった。どうせ沈むからと、薪にでもするために伐出したのだろう。昔の清酒の瓶なども落ちている。あたりは想像以上に干上がっており、世紀末感のある景色は日本離れしていて大陸の荒野を思わせた。この世に残されたのがぼくらふたりなら本当に絶望的だな、なんて想像をしつつ誰かの足跡を見つけて、それがまた想像を膨らませてぼくはすっかりSF映画の中にいるような気分で宝来島に登り始めた。

宝来島には何かが祀ってあるという噂があるらしいが、その噂を確かめるには島は大きく、時間もなかった。それでもぼくらは見たこともないその景色をそれぞれ写真に納めたり、落ちているどんぐりを「宝来島のメモリアルなどんぐりや」と言って集め、そこでぼくらはどんぐりの中身が赤いことを初めて知った。そのほかにも、最近ぼくがハマっているロクショウグサレキンという倒木を緑青色に染め上げるキノコの一種を見つけ、和菓子屋は「宝来島のロクショウグサレキンを持っとるなんて、日本でお前だけや」となぜかぼくよりも満足そうだった。一頻り世紀末的なダム湖を楽しんだぼくらは、湖畔に大きな笹が群れるポイントを見つけ、最後に笹を集めて帰路についた。

帰りがけに、ロッキングチェアを作ったクラフトマンのもとを訪れた。六十過ぎのクラフトマンは、人嫌いを装っている。曰く「人は本質的には人を嫌いになることなんてできない。だから俺は、人嫌いを装っているんだ」と。クラフトマンの工房に続く坂道の前で四駆に切り替え、一気に駆け上がると、工房から作業服を来た木工屋が出てきた。

最近の売れ行きが良いクラフトマンは、前回会ったときよりも活力があるようだった。和菓子屋によると彼の年収は100万足らずで、特に世の中の人の動きが鈍い最近は、大きめの作品が売れない日が続いていたらしい。それでも彼の作品は、見る人が見れば超お買い得の一点もので、横浜など遠方にもファンがいる。技術は誰に教わっただけでもなく、もっぱら海外の本で勉強して磨いてきたもので、それが作品の個性にも現れているようだった。かくいうぼくも、自分のお財布が許す範囲でその人の作品をいくつか買ってきた。ダーウィニズムに異を唱えた日本の生態学者・今西錦司の本を愛読する彼は、西洋的な科学のアプローチでは辿り付かない領域で、自然と融合しているようだった。ヤマガラの言語を5種類把握し、繁殖期になったイワナの隠れ家も熟知している。いよいよ食うものが無くなったら、そのイワナを食うつもりなのだ。

(スマホの電池切れて写真が取れなかったので、和菓子屋が手ごろな商品が必要だとクラフトマンに作らせた写真立てを載せておく)

これまでは売れない売れないと後ろ向きだったクラフトマンも、今回は違っていた。やたら辛口だけどなんだかんだで作品を買っていく客がいるらしく、「お前の椅子に座り心地や使い勝手なんて期待してない」だとか「この支柱がまっすぐだから0点で、ニトリ」とひどいことを言われつつ、最終的には何かしら買ってくれるから出ていけとも言えない、とクラフトマンは笑いながら話した。そしてぼくらも笑いながら聞いた。彼が珍しく80点と高得点を付けた新作のロッキングチェアは確かに座り心地が良く、ゆらゆら話をしているうちに日が暮れ始めた。ホットコーヒーを飲み干したぼくらは、小屋に入れる用の机を一点購入し、工房の裏に広がる森でキノコを採取して、本当の帰路についた。

小屋に寄ってから家に戻る途中、雨が降り始めた。和菓子屋はこれから笹を水に浸けるらしく「ご苦労さん」といつものように挨拶をして、そそくさ工場に向かった。ぼくはジムニーにガソリンを入れて、ついでに灯油も18Lのポリタンクふたつ分を購入し、家に上がって溜まっていた掃除に取りかかった。そして長らく置きっぱなしになっていたベッドフレームを組み立て、模様替えをすることにした。重いタンスや本棚を段ボールを駆使しながら動かして、本棚など一度本を全て出して移動させた。家主の母親の本がそのまま残っており、「原色日本の美術」的な本は特に重くて苦労した。これから年末まで快適に過ごせるかどうかがかかった模様替えだ。やれるときに一気にやってしまいたかった。1日の気分は、朝起きた部屋と差し込む朝日がどんな風かで大抵決まってしまう。

そうこうしているとヤマトが配達に来たり、「こんばんわー、おるかねー」と中国人を妻に持つ近所のおっちゃんが、奥さんお手製の餃子をお裾分けしてくれたりした。一通り模様替えを済ませて、コンビニにビールを買いに出掛けた。

素晴らしい1日の終わりにアルコールを摂取するかは、非常に迷うところである。その日の記憶が酔いでうやむやになってしまう懸念がある一方、その日一日をうまいビールで締め括り、ボーッとしながら気持ちよく眠りにつきたい欲もある。しかし今日は、飲むことにした。理由は二つ。一つには餃子の存在。これがあって、ビールを拒めようか、いや拒めるはずもない。そして二つ目の理由は、小屋掃除のあとパーっとみんなで飲んだこと。あの日の充実感は、今でも思い出せる。1日が陶酔あるいは泥酔で終わったところで、素晴らしい日は素晴らしい日として残っていくのだから、心配はない。キノコもうまかったし、問題はない。

そんなこんなで、今日は素晴らしい文化の日だった。明日も今日の続きなわけだから、きっといい日になるはずと願う。現にこうして幸せな気分のままに11月4日に突入している。

今度のnoteは、チリをカヤック で旅した記録を進めるとしよう。しかし今日は、良き1日だった。

もしよかったら、シェアもお願いします!