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漕日#9|森の生活者

ソローが書いた「森の生活」に憧れる人は多いが、それを地でいく人は少ないと思う。きこりのソトは、私が実際に会って知っている数少ない「森の生活者」のうちの一人だ。もっとも、彼はその本を読んだことはないだろう。彼が情報を得る手段といえば、ソニーの古びたラジオくらいだし、小屋にも本らしい本は置いていない。

ソトに初めて会ったのは、2017年の1月だった。冷たい雨が降りしきるなか、カヤックを漕ぎ疲れたぼくは、一筋の煙を上げる小屋に立ち寄った。恐る恐る。チャクライ島という無人島で、その玄関扉もないバラック小屋に住んでいるのがソトだった。

今も彼はチャクライ島の小屋で暮らしているだろうかーー。この旅を始めてから、彼との再会が楽しみだった。

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いつも通り、オレンジ色のテントで目覚めて、朝飯を用意する。昨日のウニを少し残していたので、朝からウニ丼を食った。コッヘルの音に反応したのか、昨日知り合った野ネコが目敏く姿を現し、食べ物をしつこくねだり、仕方なくウニ丼を分けてやった。

午前9時半にカヤックを出す。ネコは最後まで鳴いて、何かを訴えていた。入江を出ると、たちまち風が吹いてきた。北寄りの風が、カヤックを押し進める。地図をみながら、パドルを繰った。水を補給するために立ち寄った川からは、港町であるプエルト・アギーレが見えた。漁業や養殖でつつましく栄えた町で、缶詰工場なんかもあったりした。実際に行ったことはないが、そんなふうに聞いている。

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強い北風によって発生した波を、カヤックの横からくらうのは不快な時間だ。横から前進を阻む波にパドルの右ブレードを差し込む。次に左ブレードを差し込むと、上がった右ブレードについた海水が風に煽られて顔に当たる。それを防ぐために顔をそむけていると、次に来る波の様相が分からないため、突然波に胸を打たれたり、バランスを崩したりする。不快。ただ、その不快さも含めた自然に近づこうとここにいるので、笑みが溢れる瞬間もある。日本人にはマゾヒストが多いとどこかで読んだが、本当かもしれない。

刻一刻と風は強まった。何もしていない状態で、体感にして時速3kmくらいでカヤックが進んだ。地図もまともに見れない。こういう時でも、海鳥は何食わぬ顔で岩に鎮座したり、水面に浮かんでいる。しなやかに強い野生の姿を前に、波に揉まれて左右に振れるカヤックは、どこまでも人工物だった。

空は分厚い雲に覆われ、雨が降り出した。海も暗く変色し、環境が持つ雰囲気や、そこに感じるメッセージが違ってくる。こういうときは、進むしかない。浜に上がったところでやることはないし、フィヨルドには浜が少ないし休むにしても風が強く冷たく、止まりたくなくなる。楽しいパドリングは、修行に移行する。もちろん、環境が放つサインによっては上陸を余儀なくされるが、そうであればこそ浜が少ないこの海域では、テン場なりそうな場所を目指し、進めるうちに進むというのが鉄則だった。そしてこの日目指していたのは、チャクライ島の小屋だった。

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養殖サーモンを水揚げする船舶とすれ違った。バルパライソという、チリ中部にある国内最大の港湾都市の名前を記していた。操舵室から出てきた男は、双眼鏡でこちらを観察した。おそらく、遭難者か何かと勘違いされているようだった。明らかに心配している。私が親指を突き立て、笑顔でマゾヒスト表明をすると、彼も手を上げた。

チャクライ島は、自分にとってファンタジーの世界に属していると思う。みたこともない植物や、ソトのような浮世離れした人物が暮らし、朝はトドのじゃれあう音で目覚める。そんな島にたどり着いたのは、午後2時前と想定よりかなり早かった。鬱陶しい北風のおかげとしかいうほかない。小便をしようと小さな浜に立ちよると、奇怪な形をした地衣類が倒木の上で発達していた。

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島沿いにしばらく漕いで、小屋が近いと確信した。3年前にもあった係留用の綱や、木を切り出した痕跡が残る浜を通り過ぎると、前見たときから変わらない、煙突から煙が上る小屋が現れた。カヤックを浜に引き上げる。前回は恐る恐る小屋を観察したが、今回は再会への期待とともに上陸した。山に出ているかなーー。プエルト・アギーレに行っているかもーー。などと考えていると、ソトが小屋から出てきた。3年前を変わらない髭面だ。

小屋の様子もほとんど変わっていなかった。南米では、3年もすれば街の様子はガラッと変わることが珍しくないのに、ここは当時のままだった。相変わらず玄関には扉がない。変化らしい変化といえば、3年前にいたアルバラードという男がいないことくらいだ。彼はもっと文明が及んでいる別の町で暮らすことにしたらしい。

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1時間ほどマテ茶を飲み交わした。前回の旅の顛末や、今回のルートや計画、ソトの3年間やいまの生活など、いろいろな話をした。何かを聞いても「si(そうだ)」と端的に答えることは多いが、素っ気いないということではなく、朴訥とした感じだ。ソニーのラジオからは、プエルト・アギーレのニュースやランチェーラが流れていた。

ソトはプエルト・グアダルというパタゴニアの湖畔にある町で生まれた。年齢は60そこらという感じだ。父親はすでに他界しており、母親と姉、妹がいるという。この島には、15年以上前から住んでいる。母親や兄弟は、ソトの暮らしについては何も言わないらしい。

基本的には、きこりとして木を島の木を切り出し、プエルト・アギーレで売ることで生計を立てている。ソトは「働いているうちにたどり着いた」と言っていた。この海域をカヤックで旅していると、島から木を切り出した痕跡を見つけることがよくある。プエルト・アイセンという大陸側の港もあるが、もう6年も行っていないと。つまりソトは、6年もこのパタゴニアの群島から出ていないということになる。そう話すソトは、どこか誇らしげだ。

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一頻り話したあと「会えて嬉しかったよ」とあいさつを済ませて再出発しようとすると「飯でも食ってけよ」と誘いを受けた。急ぐ理由もないし、何よりソトが私と同じように再会を楽しんでいるらしいことが嬉しかったので、お呼ばれすることにした。以前は硬いパンとコーヒーを御馳走になったが、今回は鳥やじゃがいもを米と煮込んだ、雑炊的な小屋飯。この鶏肉が驚異的にうまかった。ニンニクと塩しか入れていないというのに、どうしたらこうなるのか不思議なほどだ。

腹ごしらえをした僕らは、外に出た。天気の様子を確かめ、食べられる貝を探し、どんよりと冷たい海を眺めた。この島のてっぺんは、電波が入るとソトが言った。たまに行くらしい。上るのにどれくらい時間がかかるのか尋ねると、片道20分だという。それなら行って帰ってきても、まだカヤックを進められる。そう考えた。「今から行ける?」と聞くとソトは、そうこなくっちゃ、と言わんばかりに支度を始めた。そのスピードたるや、天空の城ラピュタのパズー並みで、私も金属プレートの入った長靴や雨がっぱやらを借りて準備を整える。ぼくらはチャクライ島の頂上を目指し、早足で歩き始めた。

つづく

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