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他力本願な人脈よりも、情報源としての人脈で前進する

 業界紙の記者をしていたころ、オフィスにいることは恥ずべきことだった。なぜなら、机に突っ伏していても業界の動向は分からないから。怠惰な記者だったぼくは、人と会いまくったけれど一文字も記事を書かなかった日もあったくらい。だから毎日誰かと合わないといけないみたいな恐怖症が、まだ若干残っている。そんな恐怖症から昨日予約したセミナーに参加してきた。短い記者時代にそうしていたように、誰かと会って情報を取り入れることで業界を知ろうとした。これから書くことはタイトルに集約されているから、時間がない人は読まなくても大丈夫。言いたいこともだいたいこの第一段落に込めた。

 セミナーは「Desafíos frente a la incertidumbre en la industria(不確実な業界に対する課題)」というタイトル。湖と独立峰の火山が美しいチリの避暑地、プエルト・バラスで開催された。チリサーモンの養殖業界を持続可能な発展に導くためには何が必要なのか、そんな内容だ。事前に読んだセミナー概要で分かっていたことだけれど、養殖事業者の話が聞けるわけではなく、日本でもよくあるような、サービス提供企業のプレゼンに近いようなセミナーだった。主催企業はスペインに本社を置く企業で、これからチリでのシェアを拡大したい思惑が全面に出ていた。この手のセミナーでは、だいたいコーヒーブレイクがあり、洒落た洋菓子や軽食が振舞われる。いつも通り地元紙や専門誌の記者が、来場者や登壇者の写真を順番に撮っていた。ぼくはといえば、用意されたお菓子の誘惑に負けてモグモグしながらコーヒー片手にセミナー前半の登壇者としばし話したあと、知り合いがいないか場内を見渡していた。こんなことは記者時代はご法度だっただけに、ちょっと気が引けたけれど。

 案の定、知り合いを見つけた。SGSという、食品の安全性を検査・分析する会社の秘書・エヴェリンがぼくと同じくモグモグしながら知人と話していた。モグモグしている彼女の顔を少し覗き込んで、あいさつした。エヴェリンと話していた女性にもあいさつ。南米では、男同士は握手、男女あるいは女性同士は頬を合わせてあいさつするのが作法なので、エヴェリンにそうしたようにあいさつした。

「彼はウィルソン氏の知り合いなんです」とエヴェリン。

 あらそう、と彼女がいうのでぼくは「あなたも彼をご存知なんですね」と訪ねると、もちろんと頷いた。

「なんて小さいんでしょうね、世界は」

「そうよ、特にこの業界はね」

 プエルト・モントの私立大学で教鞭を取りながら魚病の研究をしているというサンドラ・ブラボ教授は、人差し指と親指を限りなく近づけながらそう言った。前に水産庁主催のセミナーに参加したことがあったが、そのときにも養殖事業者の知り合いや、顔見知りになった地元紙の記者と会った。今やノルウェーに次ぐ第2のサーモン輸出大国になったチリだけれど、業界は恐ろしく狭い。特にマーケターなんて限られている。

 魚病について疑問が生まれたら、質問させて欲しいというと、彼女はもちろんと快く応じてくれた。ちょうど抗生物質の文献などを探そうと思っていた。大学教授ならば、自分よりも適格な文献を知っているはずだし、何より自分の成果があるはず。小さいけれど、また一歩前進できた。

 巷で使われる人脈という言葉は、自分の努力や実力以上の結果をもたらしてくれるような、どこか他力本願な聞こえ方を纏っている。ただ実際人脈は、情報源に過ぎないと思う。記者は縁とは異質な、脈からいくつもの情報を読み取って、全体像を正しく掴もうとする。情報を得たあとは、また自走していく。今日のセミナー内容は、半分は眠たくなるような話だったけれど、新たな情報源を得られたので良しとしよう。

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