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祝・阪神タイガース優勝!!

死者への思いを大切にする国

 阪神タイガースが岡田監督のもと、日本シリーズでオリックスとの頂上決戦を制して、38年ぶりに2度目の優勝を果たした。

 これまで口外してこなかったが、実は私は隠れタイガースファンである。
 「隠れ」と遠慮がちに言ったのは、ただの一度も試合を見に行ったことも甲子園に行ったこともないし、テレビで応援したり、新聞で前日の試合結果を見るわけでもないからだ。
 勝っても負けても揺るぎない応援をする筋金入りのファンを見るにつけ、タイガースファンと名乗るのも気恥ずかしかったというのもあったからだ。
 しいて言うならば、あの変わらない縦じま模様ユニフォームが好きなことと、子供の頃から春・夏の高校野球を見るのが好きで、その甲子園球場が阪神のホームグランドであったことも大きいかもしれない。
 蔦のからまるあの外壁は何とも郷愁を誘ういいものである。

 そして私がタイガースを応援するもうひとつの理由は、巨人がV9達成という偉業を成し遂げた頃に、常に一番のライバルと目される相手だったということだ。
 なにせ、高度経済成長期には
   巨人・大鵬・卵焼き
と称されるほど巨人が強すぎて、その頃から常にその好敵手と目されたのが阪神であった。
 ちなみに「巨人・大鵬・卵焼き」というフレーズは、昭和初期の流行語で大衆に人気のあるものの代名詞として使われたようだ。
 今の巨人の体たらく(ていたらく)からすれば若い人には信じられないかもしれないが、当時の巨人阪神戦のテレビ中継は驚くほど視聴率が高く、ゴールデンタイムの花型番組でもあったほどだ。
 かつて天覧試合で昭和天皇がご覧になられたのも巨人阪神戦であるなど、巨人の最大のライバルは常に阪神という時代があり、必ずテレビ中継があったことから、私のような地方に住む人間にとっても巨人と阪神の選手の顔と名前は自然と覚えることができた。
 そして多くの友人が巨人ファンだったが、そこは人と同じのが嫌いな天邪鬼の私は迷わず阪神ファンを選択した。
 何せ9連覇もするような、勝って当たり前のような強いチームを応援して何が楽しいのか?
 昔から勝負ごとは、弱いものが強いものに勝ってこそ無上の喜びとなるのである。
 おまけに、その頃からプロ野球を目指す人たちの多くが、巨人でプレーするのを夢見ていた時代である。
 そりゃ選手もいいのが集まるに決まっている。
 いい選手が集まれば勝つのは当たり前だ。
 スポンサーも巨人の選手ばかりをCMに起用していたから、野球に興味のない人ですら、巨人の選手になればその知名度は抜群であった。
 そのようなスター軍団に敢然と立ち向かう阪神の姿が実に頼もしく
   男たるものこうでなければ
とひとりごちたものだ。

 前置きが長くなってしまったが、私が今回の日本シリーズでもっとも感銘を受けたシーンは、日本一が決まった直後、恒例の監督胴上げのあと、最後のピッチャーとなった岩崎投手が、彼の同期入団で今年の7月に脳腫瘍のために28歳という若さで亡くなった横田慎太郎さんがつけていた背番号24のユニフォームを持って宙に舞った時だ。

 その映像を見た時
   なんて優しい選手たちなんだ!
と感動すら覚え、涙が滲んだほどである。
 ますます阪神が好きになってしまった。
 この映像を見て横田選手の父親は
   息子はいい野球仲間に支えられて
   幸せな野球人生を歩ませてもらった
と声を詰まらせたそうである。

 また岡田監督も、最後の最後(しかも9回ツーアウトからである)で横田選手の同期の岩崎投手をマウンドに送るなど、死者への配慮があったように思う。
 おまけに岩崎投手がマウンドに上がる時にかかった曲も、横田選手が現役時代に登場する時にかかっていた「ゆず」の「栄光の架け橋」だった。
 最後の勝利の瞬間を天国から見ている横田選手にも親しかった岩崎選手の目をとおして見せてやりたかったのであろう・・・

 このように日本という国は、死者への思いというものを共有したり、その悲しみを生きる力や明日へのエネルギーに変える卓越した力を持つ民族だ。
 死者への思いを大切にするからこそ、その亡くなった方が力を与えるのかもしれない。

 振り返ってみれば、阪神淡路大震災の時に優勝したのは、地元チームであったバッファローズであったし、東日本大震災の2年後には創立わずか9年の当時パリーグのお荷物球団とまで揶揄されていた東北宮城県の楽天イーグルスが被災地を勇気づけるように日本一に輝いた。
 この時の田中投手(マー君)の気迫あふれる(というか鬼気迫るような)表情は多くの人の脳裏に刻み込まれただろう。
 また、嶋選手の優勝スピーチの一節は
    見せましょう
    野球の底力を・・・
    共に頑張ろう東北
    支え合おうニッポン
という感動的なものであったが、彼らがいかに多くの死者や残された被災者への思いを胸にして戦ったということが分かる。
 「誰かのために闘う」
 その意思を持った時、人はとてつもなく強くなれる。

 さらに女子サッカー界では、東日本大震災があった2011年のワールドカップで、なでしこジャパンがこれまで一度も勝ったことがない強豪アメリカを決勝で破り優勝を決めた。
 見ためにも小柄で外国人選手からすれば力負けしそうなか弱い大和撫子が力の限り頑張って勝利をつかんだ姿勢は、日々震災の苦しみと戦う被災者に大きな勇気を与えたことだろう。

 思うに、震災で亡くなった多くの方々が、生き残った人々に「自分たちの分まで生き抜いてほしい」ということで人々を勇気づけるために選手たちに力を与えたのかもしれない。
 死者にも役割があるのである。

 そして日本人にとって絶対に忘れてはならないのが、先の大戦で散華された多くの英霊である。
 特に特攻隊という、それまでの人間の歴史のなかで一度もなかった悲惨な戦いをした多くの英霊が今も日本を守っている気がする。
 なぜ日本という国が、先の大戦以降一度も戦禍に遭うことなく平和に過ごしてこれたのか。
 日米安全保障条約があったから・・・
 そう考える人がほとんどだろう。
 確かに目に見えるところではそうかもしれない。
 しかし、アメリカや中国などの大国でさえ
   日本が本当に立ち上がったら
   国民は命をかけて国を守る国だ
ということを証明した特攻隊員に今でも恐れを抱いているという。
 そのような国民性を内に秘めた日本人を心の底では恐れているのだ。
 だからその後他国はそう簡単に日本に手出しできないのだ。
 なんのことはない。
 日本は今でも散華された多くの特攻隊員たちの英霊で守られているようなものだ。
 
 戦後の日本人は、命をかけて国を守ろうとした彼らの思いを共有したからこそ、粉骨砕身国家の再建に努めることができたのだ。
 戦いに敗れたとはいえ、残された多くの国民が死者への思いを共有したからこそとてつもない底力を発揮して奇跡の復興を遂げることができたのだ。
 そして今の平和があるのだ。
 私から言わせれば「平和憲法があったから日本は平和でいられた」などと言う人は、先の大戦で散華された英霊を冒涜しているようなものだ。

 本来日本は地震や台風など自然災害の多い国であり、歴史をふり返れば、元寇や日露戦争など、まさに国家存亡の危機も乗り越えてきており、戦争・天災等に強い民族なのかもしれないが、その背景には死者への思いを共有するという日本人特有の思いがあるからだろう。

 阪神は横田選手への思いを全員で共有したからこそ、とてつもない力を発揮して38年ぶりの栄冠を手繰り寄せたのだろう。
 そして横田選手もその思いに答えるように、天国からその力を与えたのかもしれない。
 死者への思いを大切にする国柄でありたい。
 今年の阪神は、その思いを改めて感じさせた素晴らしいチームであった。

このような若者の英霊で守られている国が日本なのだ
日本人が絶対に忘れてはならないことである

 




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