見出し画像

何のために仕事をするの?

ある鳶職の勇気ある行動
日本はまだまだ捨てたもんじゃない!

 最近、以前NHKで放送されていた
   プロジェクトX
という番組が
   新プロジェクトX~挑戦者たち~
という名前で新たに始まった。

 プロジェクトXは、2000年からおよそ5年半に渡って放送されたもので、黒四ダムや青函トンネルなどの巨大建設、VHSテープや国産自動車の製品開発、大きな事件事故の舞台裏など、日本の産業史や現代史に関わった人々の活躍を紹介したものであった。
 歴史の影に隠れて日の当たらない場所で日本を支えてきた人達にフォーカスしている切り口が好きでよく見ていたが、番組の再起を望む声も大きかったのだろう。

 ちなみにこの番組が好きになったのは、中島みゆきさんが歌う番組の前後で流れるテーマソング(特に歌詞)が気に入ったこともあるが、やはりこれも好評だったのか、新プロジェクトXでも使われていた。 

 なお、旧プロジェクトXは
   戦後復興と高度成長
をメインテーマにしていたが、新プロジェクトXは、バブル崩壊以降の平成から令和の時代にスポットをあて、当時さまざまな分野で挑戦し続けた人たちを取り上げている。

 その記念すべき第1回が取り上げたのは
   東京スカイツリー
の建設に関わった人たちの物語であった。

 物語の半分はその設計に携わった人たちの話で、後半は設計をもとに実際に建設に携わった人たちの話という構成であった。
 今回私が取り上げたいのは、後半の建設に携わった人たちの物語だ。

 意外だったのは、世界一の電波塔となったスカイツリーであるにもかかわらず、実際にその建設に携わった人は、日本の建設業界で昔からある鳶(とび)職という日本独自の職人集団だった。
 素人感覚ながら、もっと最新の建設機械やAIなどを駆使した人力に頼らない工法があるのかと思っていた。

 この鳶という名前の由来は、棟上げの時に梁から梁へ文字どおり飛びながら仕事をしていたことから、鳥の鳶(トンビともいう)にかけて言われるようになったようである。
 歴史的には飛鳥時代からあった職種のようであるが、鳶と言われるようになったのは江戸時代以降らしい。
 また、その頃火災の延焼を防ぐため家屋を解体する町火消の仕事に鳶職がなる傾向が強かったことから、鳶職イコール火消しというイメージもあったようだ。

鳶のように飛ぶがごとく!

 古来からある職種だけに、縁起物や催事に担ぎ出される者も多く、昔から祭礼等においては神託を受けて従事していた者もいたらしい。
 長野県の御柱祭や大阪の岸和田だんじり祭りにおいても、鳶職の者が世襲で関わっているほどだ。

 現代はその職種も足場鳶、送電線鳶、鉄骨鳶などと専門化されており、今回スカイツリー建築に携わったのは、鉄骨構造の建築物においてクレーンなどで吊り上げられた鋼材を組み立てる鉄骨鳶だった。

 ただ、これまで誰も体験したことのない高さ600メートルを超える高所での作業である。
 目の眩むような高さだ。
 (高所恐怖症の私など、想像することすら怖い)
 このためその人選にあっては、全国から選りすぐりの鳶職集団が集められたらしい。

私には絶対できない仕事だ(これでもまだ半分くらいの高さ)

 スカイツリーという建物は、基本的に3本の大きな支柱で支えられ、その中心にエレベーターや各フロア等の建造物が納められ、一番上の電波塔はその3本の支柱と中心の構造物で支えられる形となっている。

 鳶職が従事したのは主に3本の支柱だったようで、それぞれの支柱は別々の鳶職の会社が請け負っていた。
 支柱ごとに別会社に請け負わせたのは、どうも発注者側にそれぞれの会社に建設スピードを競わせて、作業を早めようという思惑もあったらしい。
 3本の支柱の建設が同時に進行しなければ、次のステップに進めないという時間的ロスを少しでも少なくするための策だったようだ。

 番組ではこの3社のうち、最も建設スピードが遅い会社の現場リーダーに焦点をあてて、彼の苦悩とそれを乗り越えていく姿を描いていた。
 その心労は波ならぬものであったと思う。
 「なぜ自分の会社だけ遅いのか」
 「ほかの2社はなぜあんなに早いのか」
 その焦りが、現場の作業員につらく当たることになったり、他社から露骨に「もっと早くできないのか」と言われたりするようになり、彼の心労はピークに達する。

 そんななか、他社との懇親会で胸襟を開き、彼らと踏み込んだ人間関係を作る機会があった。
 彼はそれを仕事に大いに活用した。
 その後そこで培った人間関係が功を奏して、他社のノウハウについて教えを乞うたり、逆に他社から遅れた自社の担当部分を手伝ってもらったりするまで人気関係を深め、なんとか他社と同スピードで仕事を進めることができるようになる。

 鳶職は職人の世界である。
 彼にとって同業種から教えを乞うたり、手伝ってもらうということは恥だったかもしれず、ある意味耐えがたいものがあったかもしれない。
 しかし彼はそれを耐え忍び
   同じ仕事に携わる者
として、仕事を完成させることを選んだのだ。
 職人としてのプライドを捨てて。

 そして仕事もいよいよ佳境にせまり、残すところは一番の上の電波塔部分を取り付けるところまで至る。
 しかしこの時、想像だにしないできごとが起こった。
 東日本大震災である。

 カメラは、電波塔を取り付ける部分の下の部分まで完成し、そこで安堵の顔を浮かべる多くの職人の顔を写していた。
 そのなかには、工期が遅れがちだった彼の会社の鳶職の姿もあったが、その時カメラが大きく揺れ、現場にいた人たちの顔に緊張が走った。
 立っていられないほどの揺れだった。
 なかには恐怖のあまり、腰を抜かしてしゃがみこんだ人もいた。
 幸いにも大きな揺れであったにもかかわらず、タワーはなんとか持ちこたえた。
 ちなみに平成7年1月に発生した阪神淡路大震災の時にも、当時建設中だった明石海峡大橋がその影響を受けたが、深刻な損傷はなかったそうだ。
 これらふたつの大震災にもかかわらず、 当時建設中であった大規模建造物が耐えたのは日本の建設技術の素晴らしさを示すものでもある。

 しかし彼は、後日その時のことを振り返って
   正直あの時は初めて死を覚悟しました
   このタワーが倒れて死ぬんだな
   と思い、妻や子供の顔が浮かびました
というようなことを話した。
 そうだったと思う。
 なにせ、あの大震災である。
 都心でさえ地上ではかなりの揺れだったらしい。
 それを地上600メートル近くで味わうのである。
 身の毛もよだつ恐ろしさだったと思う。

 ただ、ここからあとが凄かった。
 死を覚悟した彼であったが、その時彼の脳裏によぎったのはもっと大きなことだった。
   真ん中の部分は
   まだボルト付けしていない
   ところが何か所かあったな
   あれを付けていないと
   ここまで引き上げた中心部分が
   地上まで落下して大惨事になる
と思ったというのである。
 そして彼は、意を決して部下に
   ボルトを付けていないところ
   を付けに行く
   誰か一緒に行ってくれないか
と声をかけた。
 地震直後である。
 誰もすぐにでも下に降りて、避難したかっただろう。
 事実、他の会社はそのような方向で動き出していた。

 ところが、彼の部下たちは20名全員が手を挙げた。
 まさに番組のタイトルどおり、彼らは「挑戦者たち」だった。
 そして彼らは余震の恐怖におびえながらも全員で上に向かい、落下の懸念されていた部分のボルト付けを終えてから無事避難した。

 彼らを突き動かしたもの。
 それは、単なる鳶職としての範疇を越えている使命感や倫理観、つまり
   自分のためでなく
   世のため人のため
という公共心だった。
 そして彼は
   これまで工期が遅れがちで
   他社には迷惑ばかりかけた
   ここは俺たちがやるしかない
   と思った
とも回想した。
 それらの公共心が死の恐怖を上回ったのだ。
 死の危険性を顧みず、果敢に困難に挑戦したのだ。

 失礼ながら、戦前と違って道徳観や公共心を育む教育などあまり受けていない今の日本人に、死の恐怖を上回るような公共心を身に着けた人がいるとは思わなかった。
 むしろ今の日本は、そのような価値観は卑下されるような空気に包まれている。
 正直感動した。
 大地震の直後の行動である。
 彼らの行動がなかったら、本当に大惨事が起こっていたかもしれない。
 彼とその部下の行動には頭が下がる思いであった。
 
 まだまだ日本人も捨てたものじゃない。
   「ぴえん」などと言って悲しむだけの人間ばかりじゃないんだ。
 いざとなったら凄い。
 一人一人のDNAに刻み込まれた血というものは、どんなに時代が変わっても残るものなのだ。
 メディアがどんなに卑下しようとしても、公共心は脈々と残っている価値観のひとつなのだ。
 そのような価値観が、確実に我々日本人に息づいていることがことのほか嬉しかった。

 その感動まだ冷めやらぬ先日、残念なニュースを目にした。
 静岡県知事の不適切かつ差別的な発言である。
 こともあろうに、新人県職員の入庁式の挨拶で
   君たちは、毎日野菜を作ったり
   汗水たらしてモノづくりをしたり
   するような人たちとは違う
   選ばれた人たちだ
と言ったのである。
 おそらく知事としては、入庁した新人のプライドを醸成するために言った言葉だと思うが、彼の本音を吐露したものとも言える。
 心のなかでは一次産業などのモノづくり、つまり今回紹介した職人などを含む現場で働く人を見下しているのだ。

 しかし世の中は頭のいい人だけで成り立っているのではない。
 多くの人の仕事によって成り立っているのだ。
 仕事は何ためにするの?
 子供たちから問われたら何と答えるべきか。
 多くの人は、「食べていくため」と答えるだろう。
 その通りだと思う。
 人間食わなければ生きていけない。
 子供でも分かる理屈だからそう答えるだろう。
 しかしそれだけではない。
 仕事をすることが、必ず誰かの役に立つ。
 つまり、仕事は世のため人のためにするものだ。
 人と人が支え合って成り立っているのが世の中だ。
 
 知事と言えば、そのような多くの人の上に立つ立場とも言える。
 過去にも失言が多かった人らしいが、よく今まで知事が務まってきたものだと逆に感心した。
 あきれてものが言えなかった。
 さすがに今回の失言の影響は大きく、辞任にまで追い込まれたが当然と言えば当然だろう。
 ただ、辞任の会見で自分の実績を
   リニアを先延ばししたこと
と言ったことがどうも引っかかる。
 日本と競争してリニアの完成を急ぐ中国の回し者だろうか・・・
 そうであれば、国策として莫大な金をつぎ込んできた国に対する反逆であり、昔であれば「国賊」と罵倒されてもおかしくない大罪である。

 スカイツリーの鳶職のほうが、よっぽど公共心が強い立派な「国民」である。
 上述の鳶職リーダーもプライドを投げ捨てて、まずは仕事を完遂することを選んだ。
 世のため人のためにという公共心を優先した。
 プライドよりもまず公共心だ。
 彼らの爪のアカを煎じて飲ませてやりたい。

祈・早期開業










この記事が参加している募集

仕事のコツ

with 日本経済新聞

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?