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我は海の子

4番から7番の歌詞知ってますか?

    皆さんは、「我は海の子」という歌を知っているだろうか。
    この歌は、10歳までの幼少期を鹿児島で過ごした宮原晃一郎という方が、その頃の生活を詞にしたものに、志賀矢一という方が曲を付けたものらしい。
    文部省唱歌として広く国民に親しまれてきたので、昭和生まれの方なら
            我は海の子、白浪の〜
で始まるメロディーを聞いただけでピンとくるのではないだろうか。
    また宮原晃一郎の出身地である鹿児島市には、祇園之洲公園という桜島と錦江湾が一望できるところに、その歌碑が立てられているが、その歌碑には3番までの歌詞が刻まれている。
    ところがこの歌は7番まであり、4番からあとは、先の大戦後に日本を占領したアメリカによって「国防思想や軍艦など戦争をイメージさせる」との理由で歌わないようにされたため、その後は3番までしか歌わなくなったといういわく付きの歌でもある。
    しかし、歌うなと言われたのなら、どんな歌詞だったのか知りたくなるものである。 
    そこで、この歌は既に著作権も消滅しているので、今日はその全部を紹介したい。
    なお古い歌なので、漢字の読みや難解な表現については説明を付した。

 1番
   我は海の子 白浪の
                (私は海の子だ  白い波が)
            騒ぐ磯辺の    松原に
                (しぶきとなる海岸の  松林に) 
            煙たなびく    苫屋(とまや)こそ
                (煙がたなびく    粗末な家こそ) 
   我が懐かしき住屋なれ
                (私の生まれた懐かしい家だ)
    2番
           生まれて潮(しお)に    浴(ゆあみ)して
                (生まれて海水で   体を洗ってもらい)
           浪を子守の    歌と聞き
                (波の音を   子守唄として聞きながら)
           千里寄せくる    海の気を
                (はるか遠くから流れくる海の力を)
            吸いて童(わらべ)と    なりにけり
                (吸い込んで立派な子供に成長した)
    3番
            高く鼻つく    磯の香(か)に
                 (強い磯の匂いの中に)
           不断の花の    香りあり
                 (咲き続ける花の香りも交じる)
           渚(なぎさ)の松に    吹く風を
                (海岸沿いの松林を吹き抜ける風は)
           いみじき楽と    我は聞く
                (私には素晴らしい音楽に聞こえる)
    4番
           丈余(じょうよ)の櫓櫂(ろかい)操りて
               (とても長いオールを操って)
           行手(ゆくて)定めぬ    浪まくら
              (行き先を決めずに出る船旅)
           百尋千尋(ももひろちひろ)海の底
              (とても深い海の底は)
           遊びなれたる    海広し
              (遊び慣れた     広い庭のようだ)
    5番
            幾年(いくとせ)ここに    鍛えたる
              (何年もこの地で    鍛えているので)
            鉄より堅き    腕(かいな)あり
              (鉄のように固い腕となった)
            吹く潮風に    黒(くろび)たる
              (吹いてくる潮風で日焼けをして)
            肌は赤銅(しゃくどう)    さながらに
              (肌は黒色に近くなった)
    6番
            浪に漂う    氷山も
              (もし氷山が漂って来ても)
            来たらば来たれ    恐れんや
              (来るなら来てみろ  恐れはしない)
            海まき上がる    竜巻も
              (竜巻が海から起こったとしても)
            起こらば起れ    驚かじ
              (起こるなら起れ   驚きはしない)
    7番
           いで大船を    乗り出して
              (さあ大きな船に    乗って)
           我は拾わん    海の富
              (私は集める   海産物を)
           いで軍艦に    乗り組みて
              (いざ軍艦に    乗り組んで)
           我は守らん    海の国
              (私は守る    海の国日本を)

 この歌は、回りを海に囲まれて豊かな海洋資源を持つ日本に生まれた男の子が、健やかに育って立派な大人となっていく姿を歌い上げたものである。

 確かに4番以降は、日本という国を守るために、日本人が体を鍛え、いかなる外圧(歌詞では「氷山」や「竜巻」と比喩しているが)も跳ね返して国を富ませ、かつその資源を守り抜くという姿を歌いあげたものと捉えられるが、それまで植民地政策によって国を富ませてきた欧米とは異なり、日本はあくまで「専守防衛」を国是としてきたことが分かるような気もする。

 アメリカが、日本人から国を守るという世界共通の概念さえ消し去ろうとして、子供が歌う唱歌にさえ口出しして日本の国力を弱らせようと腐心したことからしても、いかに日本の軍事力に畏怖していたかが垣間見えるようでもある。

 戦後のプロパガンダにより勘違いしている人も多くいるが、日本政府がアメリカをはじめとする連合国に無条件降伏したのではなくて、あくまでも日本軍だけが無条件降伏したのである。

 世界広しと言えど、日本を除いて、国のために自らの命をかけた特攻攻撃などした国はどこにもない。
 さらに、日本本土を無差別爆撃したり、原爆を2発も落としたりして、非戦闘員の大量殺戮という戦争犯罪を犯してまで日本を降伏に追い込みたかったのは、日本上陸後の戦争となると、自国の軍人の被害が多数に上り、戦争を継続することにアメリカの世論が持たないのではないかという考えもあったようである。
 事実アメリカは、ベトナム戦争において、反戦ムードが高まった国内世論に抗しきれずにベトナムから撤退している。

 それほど日本軍という組織は、軍隊としてめっぽう強かったのである。
 余談となるが、ダグラスマッカーサーが、日本占領の最高責任者として日本本土に足を下ろすため飛行機からタラップに降りた時、彼の股間が濡れていたという衝撃的な写真があり、それについて、恐怖のため彼が失禁していたという説もあるほどである。
 それほど彼は、日本軍を恐れていたのだ。

 軍備というと、左寄りの人は、それこそ判で押したような反対の論調を展開するが、歴史を紐解けば、軍事力の空白や低下があると必ずそこにつけいる国があり、そしてその延長として戦争に広がる例は、枚挙にいとまがない。
 1992年にアメリカがフィリピンから軍を引き上げれたら、中国はすかさず南シナ海に進出して自国の海だとむちゃくちゃなことを言い出し、フィリピンをはじめとする東南アジア諸国との緊張状態を作り出して現在に至っており、さらにその先の台湾にまで食指を伸ばしかけている。
 ソ連崩壊後に、ウクライナは保有していた核を放棄したが、結果的にそのことにより、ロシアにクリミア半島を強奪されたようなものである。
 その後ロシアは、ウクライナの軍備力低下をあなどって、今回さらにウクライナ本土の強奪を試みたが、これに成功しているとは言えない現状は、欧米の武器支援という軍備力強化のおかげである。
 日本が江戸時代までの間、欧米の植民地とされなかったのは、種子島に鉄砲が伝来するや、いちはやくその武器の有効性に目をとめて国産化に成功し、欧米と肩を並べるほどの銃保有国になったことが背景にあることは、あまり知られていない。
    さすがにペリーが開港を求めて来日した時に、その軍艦の大砲に備え付けられていた炸裂弾(弾着後に爆発する現在の砲弾と同じ構造の弾)までは有していなかったが、もしこの時日本が同等の性能の砲弾を有していたらその後の日本の歴史はもっと変わったものになっていたかもしれない。

 このように、いつの時代も、平和を裏で支えていたのは軍事力である。
 確かに軍事力を行使することになれば、国土は荒廃し、国民も多くの悲劇に見回れることは、ウクライナを見れば明らかである。
    しかし、もしウクライナが核を放棄せず、NATOに加盟していたら、今回のような事態にはなっていなかっただろうことを思う時、平和には十分な軍備が必要なことは論を待たないだろう。
    他国からの侵略から国を守るためには軍備が必要だという現実から目を背けては、真の平和はない。
    世界はパワーバランスで、成り立っているのだ。

 また、軍備が必要であるということは、その維持のために莫大なコストもかかる。
    ところが日本は、四方を海で囲まれており、その効能をお城に例えれば、お堀が周囲に廻らせられ、外的の侵入を防いでくれる役割を果たしているようなものだ。
    しかも、軍事費という莫大な出費をかけずにである。

    この広大な海が日本を他国から守る「武器」としても機能していることを鑑みる時、先人が作った「我は海の子」の本当の深い意味が分かるような気がする。
 日本は、海で守られている幸せな国でもあるのだ。
   「我は海の子」は、四海の海を守って平和を保とうとする歌なのだ。
    周辺の安全保障環境が厳しくなってきている今だからこそ、この歌は、声高らかに、最後の7番まで歌うべきではないでろうか。
    平和を守るためにも。




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