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読み・書き・そろばん

寺小屋のおかげ

 かつて江戸時代には、寺小屋という制度があった。
 庶民の教育機関として子供たちに文字の読み書き、算盤(そろばん)を教えたところである。
 日本語は世界でも難解な言語であるにもかかわらず、当時から日本の識字率が高かったのは、この寺小屋があったからなのだ。

 江戸時代末期になって日本を訪れるようになった欧米人が一様に驚いたのが、この寺小屋制度に支えられた国民のレベルの高さと、手先の器用さに支えられた確かなモノづくり分化であった。
 彼らがそれまで接してきたアジアやアフリカの国々とは異なり、日本は高度な文明社会だったのだ。
 
 なにせその頃の欧米諸国でさえ、庶民レベルまで読み書きや加減乗除などすらすらできる国などどこにもなかったのであるから、彼らの驚愕は察するに余りあるものがある。
 彼らの富と権力は、あくまでも当時の支配者層だけが独占していたものだったのだ。

 つまり日本は既にこの時点で近代国家に仲間入りする下地が完成していたようなものである。

 来日したペルーをして
   鎖国を解けば、日本はすぐに
            世界レベルになる
とまで言わしめたほどなのだ。

 しかしもっと驚くべきことは、この寺小屋制度は許認可の必要なく誰でも自由に開業できたというところにある。
 すなわち国民自らが、教育の必要性・重要性について理解していたということである。 
    そんな国は世界中探してもどこにもない。 

 そして忘れてならないのは、この寺小屋という制度は、その教育にもまして「躾(しつけ)」を重視し、一人前の人間を育てることを目指していたことである。
 たとえ家柄がよくて勉強の成績がよくても、躾のできていない子は、まずその点を厳しく指導され、場合によっては寺小屋から追い出されたこともあったそうだ。

 言うまでもないことであるが、人間も動物の一種である。
 また人間に知恵がなければ、おそらく地球上で最も弱い哺乳類だろう。
 そして集団生活を営むことが前提となる社会においては、最低限守らなければならないルールも必要となり、日本の場合それは、長い間培われてきた「躾(しつけ)」と呼ばれてきた社会規範であった。
 先人たちは、教育の重要性は理解していながらも、その前提として躾つまり社会規範を重要視していたのである。
 知恵を生かすための教育の前提が「躾」だったのだ。

 そして近代以降の明治時代になってもその社会規範は「教育勅語」とい形で引き継がれて国民の心のよりどころとなってきた。
 なぜなら教育勅語は、近代日本の礎となる教育の基本方針であるばかりでなく国民道徳の規準を示したものであったからだ。

 その教育勅語は1890年(明治23年)に出された明治天皇のお言葉であり、現代からすれば難解な意味や表現も多いが、そこで述べられている国民の道徳基準を説明すれば
   父母に孝を尽くすこと
   兄弟仲良くすること
   夫婦は協調すること
   友達を信じること
   人にはうやうやしくすること
   自分は慎み深くすること
   広く人々を愛すること
   学問や仕事に励むこと
   知能を伸ばすこと
   徳性と能力を磨くこと
   公共の利益に奉仕すること
   世の中の務めに励むこと
といったものだった。
 およそ人が人して誠実に生きていくための日本人としての在り方を示したものである。
 日本人であればスッと入ってくるようなものばかりではないだろうか。

 先の大戦後、アメリカは、資源を持たないアジアの小国を敗戦に追い込むまでに原子爆弾や都市の無差別爆撃という戦争犯罪を犯してまで手こずったことに心底畏怖した。
 そして軍需産業の破壊や再軍備の禁止など戦争能力を奪うことだけでは安心できずに、国民の思想・教育まで踏み込んで、戦前のものを全て否定するよう強要した。
 その結果教育勅語もその対象とされ、国民の心のよりどころさえ奪い、完全に日本人を骨抜きにしようとしたのだ。
 二度と白人に歯向かわないようにしようとしたのだ。
 そしてその陰謀に加担するかのように、戦後の進歩的文化人と言われた人々は、教育勅語を
   国家主義や軍国主義の下地
   を作るためのものだった
というような論調で否定したが、この道徳の道しるべともいえるもののどこが軍国主義というのだろうか。
 そしてその洗脳は今も続いていると言わざるを得ない。

 ただ日本人には、たとえ外圧や国策によっても変えられない国民性というものがある。
 それは、建国以来2600有余年という長い歴史で培われたものがDNAとして刻み込まれたものであり、そのような国民性はたとえどのようなことがあってもそう簡単に崩れるものではない。
 日本が八百万(やおよろず)の神の国であるということは、少しも変わらない。

 お上に押し付けられなくても、自らその子らに躾や教育を託す寺小屋ができた経緯を思う時、先人たちは、躾や教育の重要性を長い間培われてきた日本の歴史や文化から感じ取っていたのかもしれない。
 そのことを思う時、今後、幕末期に多くの偉人が松下村塾をはじめとした多くの私塾から排出されたように、現代の日本の姿を憂い、立ち上がる勇士が民間の教育現場等から出てくるかもしれない。
 そして真の躾や教育を全うした日本人のなかから、次の日本のリーダーが生まれてくることを期待したい。

 もはや前例踏襲しかない官僚のもとでシステム化された現在の教育制度のなかからは、真のリーダーが出てくることは難しいだろう。

 松下村塾で多くの偉人を排出させた塾長の吉田松陰は、幕末の政変で処刑され命を落とすが、その辞世の句に

   身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも
   留め置かまし大和魂(やまとだましひ)

というものがある。

 もし彼が現在の日本の姿を見たら、グローバル化して日本のよき姿が少しずつ失われていき、教育が荒廃していく現状を嘆き悲しむことだろう。   

 今まさに、寺小屋の価値を再考すべき時なのかもしれない。  

実は日本の礎を作ったのは寺小屋だった


 
 


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