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海老澤剛の生い立ち2-目を怪我する

1歳半のときに、目に大きな怪我をします。
私の記憶にはありません。
主に母から聞いた話です。

ある朝、赤ん坊の私は、コーヒーカップを口に当て、カップが顔を覆う状態でよちよち歩いていました。
そして床に置いてあった時計につまづきます。


カップで顔を覆ったまま、前に倒れました。
その時持っていたコーヒーカップは、縁(ふち)が薄いもので、倒れた瞬間左目の目蓋にカップが突き刺さりました。
目蓋は切れ、左の目玉が飛び出しました。
あたりは血だらけになりました。
父が私を抱き抱え、サンダルで病院に運びます。
近所の小児科に駆け込むも断られ、外科に行くように言われます。
次にK外科という大きめの病院に行きますが、休日で先生がおらず、その近くのU眼科も休日で閉まっていました。父の白いシャツは私の血で真っ赤になりました。
そしてもう一軒、町のお医者さんで山崎整形外科という病院があるので、そこに駆け込んだそうです。
山崎先生は私の状態を見るなり、まず父に「これは親が悪い!」と一喝。
そして手術が始まりました。
激痛で踠(もが)く私は手足を紐で縛られて手術を受けましたが、後から駆けつけた母の顔を見るなり「ママ!」と叫んで紐を切ったそうです。
1歳半の赤ん坊に出せる力とは考えられず、先生も、父も母も驚きました。
火事場の馬鹿力とは本当にあるのだなと思いました。
手を紐で結き直して手術は再開されます。
両親は部屋から出るように言われました。
手術終了後、先生から言われたのは、「眼球と視神経に損傷はなかったので、視力は回復するでしょう。でも目蓋の筋肉が断裂してしまったので目蓋を開けるときは、指で持ち上げなければならないかもしれません」とのことでした。
目蓋には糸ではなく、ホチキスの針のような留め金で縫合されました。時間が経つと溶けてなくなるものです。

そして私の左目は、、、目蓋の筋肉が見事に回復し、自力で目を開けることができるようなりました。

この話を聞いた時、すぐにでも山崎整形外科に行って、感謝の気持ちをお伝えしたいと思いましたが、聞いたのが6歳のときで、中途半端に時が過ぎていました。
いつか直接お礼を伝えなければと子供ながらに思い続けました。
願いが叶うのは中学生になってからでした。
そのときの話は、また後ほど書くことにします。

山崎先生は、今は他界されていますが、90歳過ぎまで現役で医師として働き続けました。
祖母と同じ歳でしたが、いつも背筋がピンと伸びて若々しい印象でした。
今も鏡を見て、左目の目蓋に薄っすらと傷痕が見えることがあります。なぜか疲れているときは、傷痕がクッキリと浮かび上がります。
その時は、山崎先生を思いながら感謝の思いを込めて合掌します。

うっすらと傷跡があります

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