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心に溜まったクラゲを消す

もし、時間に少し余裕があるとして、
たとえば予定のない午後3時、

その時間を、
ある程度リスクなく、失敗のない消費として、
楽しむ映画

と、

その時間を、
将来、何に繋がるか分からないけれど、
少しリスクを掛け投資して観る映画

どちらも選択できますよね。


確かに、
毎日頭を使い続け、
細かい感情に対応し続けるほど、
無限の力を持つ頭じゃないなら、
コーヒータイムのように休憩したいだろうし、

かと言って、

毎日こんなもの見ていていいのか?
意味があるのか?という、
海面に上昇してくるクラゲのような
モヤモヤを、
なかなか完全には消せない。

そのあわいを、
日々行ったり来たりしているのなら、
クラゲが海面に増えてきているなら、
一時的な消費では消えないでしょう。

ならば、
イニシェリン島へ行って、
クラゲの住む深い海へと潜ってみると良いかも知れない。

何かを見ないようにするための旅行、
忘れるため、やり過ごすための旅行、とは、
ずいぶん違う旅行になるでしょう。

何かが変わり始めることでしょう。



映画
「ドライブ・マイカー」が、そうだったように、
「イニシェリン島の精霊」という映画には、
何か大切なものが描かれている様に思う。


それが、いったい何であるのかは、
もちろん、観た人が感じ取るものだけど、
一方で、
こういう映画の存在を、
機会があれば、伝えておいた方がいい様にも思う。



たとえば、
「日本には富士山っていう山があるよ」とか、
「海にはジンベイザメがいるよ」とかって、
ヘェー、とか、ホォー、と感心したり、
だから何っ?って無視したりできるけれど、


それ知らないって、どうなんだろう?
と言われかねない「圧」が存在する。

どこに存在する?
人間界に存在する。

でも人間界って言うとき、
広い範囲をザックリと指すので、
やり過ごせる範囲も広い。

人身事故で山手線が止まっても、
ロシアが何やらかしていても、

海の向こうで起きたこと、
私の向こうの、おぼろな世界の出来事。

認識のあわい、
緩衝領域、
ブラックボックス、
グレーゾーン、
も広い。


でも、人間界を、
「島」という限定された広さに設定すると、
グレーゾーンが小さくなるのか、
いろいろなものが浮き彫りになる。



映画では、
これまで、あまり描かれてこなかったその辺り、
も映像化されていて興味深い。

ロバが出てくるけれど、
もちろんロバは言葉を話さない。

人が出てくるけれど、
もちろん人は言葉を話す。


ところが、
話すことと、聞くこと、
伝えることとと、伝わること、
共有すること、共有されたとしたこと、

これらは、必ずしも同じでないようで、
認識の違いはミステリーになり得る。


もし時間に少し余裕があるとして、
たとえば予定のない午後3時、
外には花粉も飛んでいることだし、

映画館に潜って、
こころに浮かび上がってくるクラゲが、
だいぶ増えてきなと感じているなら、

その出処を見つめてみるのも良いのでは、
使いあぐねている予定のない時間と、
代替え行為としての余計なお買い物を、

かなり永続的に消してくれる事でしょう。



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