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❖カレーは飲み物か否か❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年12月5日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)
◆カレーは飲み物か否か◆
かつて或る芸能人が確か、「カレーは飲み物」と言っていた。それは、カレーはほとんど噛まなくても一気に食べることできるというニュアンスだったと記憶している。だが最近、自動販売機で「飲む缶カレー」という商品を発見した。成分表示を見ると、「カレースープ(清涼飲料水)」と書かれていたので、これはまさに「カレーは飲み物」を体現した商品であった。確かに、この商品は飲み物ということになるが、これとは別に「スープカレー」という概念が2000年頃から日本ではブームとなり、現在ではカレーの定番の1タイプとしての地位を確立している。先ほどの自販機で売られている「カレースープ」はカレー味のスープであり、カレーの要素を持ってはいるものの、あくまでも本質はスープなのである。これに対して、定番の一つとなった「スープカレー」はスープの要素を持っているものの、あくまでも本質はカレーなのである。前者は本質がスープなので飲み物、後者は本質がカレーなので食べ物と表現すると、何となく決着がついたように見えなくもない。だが、最初に示した或る芸能人の問題提起、すなわち「カレーは飲み物」を含めて考えると、話はそれほどシンプルではないことになる。ここで考えなければならないのは、「カレーが食べ物か飲み物か」という論争以前の話として、「食べ物とは何か、飲み物とは何か」という、それぞれの定義であろう。私たちは何をもって食べ物と考えたり、飲み物と考えたりするのだろうか。これが単に「水の三態」のような話ならば考えやすい。つまり、固体(ソリッド)ならば食べ物で、液体(リキッド)ならば飲み物という理解である。これは水はもちろんのこと、ジュースやスープにしても飲み物として納得できそうである。しかし例えば、トマトジュースやコーンポタージュスープはどうだろう。サラサラとしたジュースやスープに比べ、トマトジュースやコーンポタージュスープはドロドロとしていて、素直に飲み物だと納得し切れない部分が残る。これは固体(ソリッド)と液体(リキッド)という線引きでは解決しないことを意味している。なぜ解決できないかといと、日常で私たちが摂取している飲み物も食べ物も、単一の粒子で構成されておらず、異なる粒子が混ざり合った状態の「分散系」という物質だからである。分散系では、受け皿となっている粒子は「分散媒」、そこに混ざり込む粒子は「分散質」と呼ばれる。この「分散媒」と「分散質」の異なる粒子はさらにそれぞれ固体・液体・気体の状態があり、両者の組み合わせによって呼び名が変わるのである。そして、分散媒が液体で分散質が気体の組み合わせならば「フォーム(泡)」と呼ばれ、その具体例がホイップクリームである。また分散媒が気体で分散質が液体や固体の組み合わせならば「エアロゾル」と呼ばれ、具体例は霧や煙である。それから分散媒が液体で分散質が異なる液体の粒子の組み合わせならば「エマルション(乳濁液、乳化)」と呼ばれ、牛乳やマヨネーズ、ブイヤベース、とろみのあるソースなどがこれに該当し、分散質が固体ならば「サスペンション(懸濁液)」と呼ばれ、小麦粉を溶いた水や墨汁などが該当する。日常の食べ物や飲み物にいたっては、このような分散系以上に様々な物質が混ざり合っていることになる。さて今回の考察のメインであるカレーに注目すると、カレーはルーの中に小麦粉やスパイスなどが入っていてそれが水に溶かされているのでサスペンションの一種といえるのではないか。そこに野菜などが混ざり合い、さらに食べる際にはコメも加わることになるわけだが、全体として分散媒が液体の状態のカレールーの中に様々な固体が混ざり合っていることに変わりはないので、やはりカレーはサスペンションの一種と言えるだろう。だから、分散媒の液体を主または本質と考えて、「カレーは飲み物」と言って差し支えない気がしてきた。また別の視点として、どんな食べ物も最終的には飲み込むものであると捉えれば、固体が主であろうが、固体や液体が混ざり合っていようが、広い意味で飲み物と考えるという主張もできそうである。以上、ダラダラと考えてきたが、分散系の捉え方でも、最終的に飲み込むものという捉え方でも、「カレーは飲み物」という主張に説得性が認められると私は考える。奴も「カレーが飲み物」かどうかについて関心があったようで、私が考察をスマホにメモしている間、カレースープを見つめて一緒に考えていた。

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