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ジャスパー・フォード『最後の竜殺し』本文試し読み

ジャスパー・フォード『最後の竜殺し』発売を記念して、主人公と魔術師たちが家の配線修理に向かう本文の冒頭を無料公開致します。ようこそ、奇想の作家フォードが描く、魔法ではなく資本主義が支配するおかしなファンタジー世界へ。

ジャスパー・フォード『最後の竜殺し』

 わたしは、しばらくのあいだ有名人だったことがある。自分の顔がプリントされたTシャツや、バッジや、記念のマグカップや、ポスターが売られ、新聞の一面に記事がのったり、テレビに出演したりした。〈ヨギ・ベアード・ショー〉に出たこともある。「デイリー・クラム」紙には「今年最も影響力があったティーンエイジャー」と紹介されたし、「モラスク日曜版」では「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。ふたりの人間に殺されそうになったし、留置所行きだとおどされたり、十六人の男性から結婚の申しこみが殺到したりもした。そしてスノッド国王からおたずね者にされた。ほかのもろもろもふくめて、どれもこれも一週間のうちに起きたことだ。

 わたしの名前は、ジェニファー・ストレンジ。


実用の魔法

 太陽が照りつけて、午後にはいっそう暑くなりそうだった。きょうの仕事は、ちょうどそのころ山場にさしかかって、集中力が必要になるというのに。でも天気がいいことにも、利点はある。魔法は、空気が乾燥しているほうが威力が強くて、遠くまで飛ぶのだ。反対に、湿気には魔法の力を弱める作用がある。有能な魔術師でも、雨のなかではまともに魔法をかけられない。「朝にシャワーを浴びるのは朝飯前でも、ふっている雨(シャワー)をやませるのは無理な相談」といわれるのは、そのせいだ。
 うちの会社は、もう何年も前から大型車を使う余裕がないので、わたしは、愛車のオレンジ色と赤さび色の(ほんとうに半分以上さびてる)フォルクスワーゲンに、魔術師三人とクォークビーストといっしょに乗りこんだ。ヘレフォードから近郊のディンモアへ向かうのだ。レディ・モーゴンは、自分が助手席にすわるといってゆずらなかった。「だってそういうものだから」というのが理由だ。しかたなく魔法使い(ウィザード)・ムービンと、体格のいい〝フル〟・プライスがうしろの座席に乗りこみ、クォークビーストはふたりのあいだに、暑さでハアハアいいながらすわることになった。運転手は、わたしだ。このヘレフォード王国以外では、わたしが運転するなんてあり得ないだろうけど、不連合王国(アンユナイテッド・キングダムズ)のなかでヘレフォードだけは、運転免許の受験資格を年齢ではなく習熟度で判断している。だからわたしは十三歳で免許を取れたし、逆に四十になってもまだ試験に落ちる人もいる。わたしが運転できるのは、さいわいだった。魔術師って日常生活では注意力が散漫だから、彼らに運転をまかせるのは安全性からいうとチェーンソーをフルスロットルにして満員のディスコで振りまわすようなものなのだ。
 車内では、その気になれば、話す事柄はたくさんあった。これから取り組む仕事のこと、きょうの天気、魔法の実験。それがだめなら、スノッド国王がときどきとっぴな行動を取ることを話題にしてもいい。でも、だれも口をひらかない。プライスとムービンとレディ・モーゴンはうちの魔術師のなかでも腕ききの三人だけど、あまり仲はよくない。別に個人的にいがみあっているわけではなく、魔術師というのはそういう人たちなのだ。気まぐれで、急に不機嫌になることもしょっちゅうだし、一度機嫌をそこねるとなだめるのに手間も時間もかかる。だからうちの会社─カザム魔法マネジメント─をたばねるのは、呪文とか、魔法とか、駆けひきとか、書類仕事とかよりも、子どものお守りに近い。魔術師たちと仕事をするのはゆでたスパゲティで編み物をするのに似ていて、何かができあがりそうだと思った瞬間に手のなかでバラバラにほどけてしまう。でも、ほんとうのところ、わたしはあまり気にしていなかった。たしかに魔術師たちには、しょっちゅういらいらさせられる。でも、退屈することはけっしてない。
「そんなまねは、よしてくれるとうれしいね」レディ・モーゴンが、〝フル〟・プライスのほうをちらっと見て、うんざりしたような声を出した。プライスはゆっくりと、慎重なペースで、人間からセイウチに変身し、また人間にもどろうとしていた。クォークビーストが、怪(あや)しむような目つきでプライスを凝視している。プライスの姿が変わるたびに、小さな車のなかに魚くさいにおいがただよう。窓をあけておいてよかった。レディ・モーゴンは、魔法がもてはやされた時代に、王室おかかえの魔術師だった人だから、人に見られる可能性のあるところで変身術を使うなんて、とんでもなく無作法だと思っているらしい。
「グフ、グフ」〝フル〟・プライスは、人間にもどりかけでしゃべろうとしたけど、言葉にならなかった。しばらくして非セイウチ化してから、というか人間化してから─見方によってどっちともいえる─むっとした口調でいった。「ウォーミングアップをしてるんですよ。だれだって準備は必要でしょう?」
 わたしとムービンは、レディ・モーゴンに目をやった。この人はいったいどうやって準備をしているんだろう。ムービンのほうは、さっき「ヘレフォード日刊疲れ目(アイ・ストレイン)」紙を使ってウォーミングアップをしていた。車が走りだして二十分かそこらで、クロスワードパズルを完成させたのだ。「疲れ目」紙のクロスワードはたいしてむずかしくないから、二十分で終えること自体は驚きではないけれど、ムービンは同じページの別の記事にある活字を目力でひっぱってきて、パズルの穴を埋めていた。クロスワードは完成して答えもだいたい合っているようだけど、そのせいで「トロール戦争寡婦(かふ)基金をミモザ王妃が支援」という記事のほうは、だいぶすかすかになっている。
「あんたの質問に答える義務はないよ」レディ・モーゴンが、プライスに向かってつんけんといった。「だいいち〝ウォーミングアップ〟なんていう言いまわしは、虫唾(むしず)が走るね。ちゃんと〝先備え〟という言葉があるんだ、昔から」
「昔の言葉を使うと、古くさくて、時代に取り残された感じがしますよ」プライスがいった。
「そんなことはない。本来の、高貴な職業らしさが伝わるだろう」と、レディ・モーゴン。
〝かつて高貴だった職業、でしょ〟ムービンが無意識の声をアルファ波のうんと周波数の低いところへうっかり流したので、魔法を使わないわたしでも感じとることができた。レディ・モーゴンが助手席でぱっと振り向いて、ムービンをにらみつける。
「思考をたれ流すんじゃないよ、お兄さん」
 するとムービンが、思考で何か返したけれど、こんどは彼女にしか聞こえないように周波数の高いアルファ波を使った。何をいわれたのかはわからないけど、レディ・モーゴンは、とげとげしく「ふん!」というと、不機嫌な顔で横の窓から外を見つめた。
 思わずため息が出た。ふう。これがわたしの人生なんだ。
 カザム魔法マネジメントにいる四十五人の魔術師、移動術師、予言者、変身術師、気象操作士、空飛ぶじゅうたん乗りなどの半数以上は、もう現役をしりぞいていた。体や精神に異常をきたしたり、魔法をかけるために必要な人さし指を事故やリウマチで失ったり痛めたりしたのがその理由だ。四十五人のうち十三人は、仕事をする能力を持っているけど、今、免許を持っているのは九人だけ。そのうちじゅうたん乗りがふたりと、予知能力者がふたり。そして何よりも大切なのは、法律に従って魔法行為をおこなう資格を持つ魔術師が五人いることだ。魔術師はみんなそうだけど、とりわけレディ・モーゴンは、この三十年ぐらいのあいだに魔力がひどくおとろえてしまった。ところが彼女はほかの魔術師とちがって、自分の力がおとろえたことを受けいれられずにいる。たしかに過去が華やかだった分、落ち幅も大きいから同情の余地はあるけれど、それは言いわけにはならない。カラマゾフ姉妹だってかつては王室おかかえの魔術師だった。でも今は、アップルパイみたいに、ひたすらほんわかしてる。ふたりとも袋いっぱいのタマネギのように頭のなかは空っぽだけど、それでも感じがいいことにはちがいない。
 レディ・モーゴンがこんなにいつも気むずかしくなければ、こちらももう少し同情心を持てるのに。いつもものすごく高圧的にふるまうので、わたしは気圧(けお)されて、自分がちっぽけだと感じてしまう。しかも少しでもすきを見せれば、身の程を思いしらせようとしてくる。ミスター・ザンビーニが姿を消してからというもの、やさしくなるどころか、前よりいっそう不機嫌になった。
「クォーク」クォークビーストがいった。
「こいつ、連れてこなきゃならなかったのか?」〝フル〟・プライスがきいた。クォークビーストが苦手なのだ。
「車のドアをあけたとたん、飛びのってきちゃったの」
 クォークビーストがあくびをした。何列にもならんだカミソリ状の鋭い牙が顔をのぞかせた。クォークビーストはとてもおとなしい生き物だけど、見た目がものすごく恐ろしいので、ちょっと目をはなしたすきにがぶりとやられるんじゃないかという不安を、完全にぬぐいされる人はいない。
「ねえ、カザムの社長代理としていっておきたいんですけど」不機嫌な魔術師たちを励まして、なんとかチームワークを高めてもらおうとして、わたしはいった。「きょうの仕事はとっても大切なの。ミスター・ザンビーニがいつもいってたでしょ。適応しなければ、生きのびられないって。この仕事をうまくこなせば、将来有望な市場に食いこめるかもしれないんですよ。うちは、かせげる仕事がどうしても必要だし」
「ふん!」と、レディ・モーゴン。
「とにかくみんなで力を合わせて、てきぱきやらなきゃね。ディグビーさんには、夕方の六時までにしあげますっていってあるから」
 魔術師たちは、いいかえしてこなかった。みんな、事情はちゃんとわかっているみたいだ。言葉の代わりにレディ・モーゴンがパチンと指を鳴らすと、今の今まで、いかにも修理代のかかりそうな、ゴロゴロという音を立てていたフォルクスワーゲンのギアまわりが、突然静かになった。走っている最中に車のギアの部品を交換できるなら、レディ・モーゴンは三人分の仕事ができるくらい準備万端なのだろう。

 村はずれにある赤煉瓦(あかれんが)の家の玄関をノックすると、赤ら顔をした中年の男性がドアをあけた。
「ディグビーさんですね? カザム魔法マネジメントのジェニファー・ストレンジです。ミスター・ザンビーニに代わって社長代理を務めています。お電話でお話しましたよね」
 ディグビー氏は、わたしをじろじろとながめまわした。
「社長というには、ずいぶん若いようだが」
「十六歳です」わたしはにこやかにいった。
「十六?」
「はい。あと二週間で十六になります」
「てことは、まだ十五歳か?」
 わたしはちょっと考えた。
「今年が十六年めの年にあたるのはたしかです」
 ディグビー氏は、怪しむように目を細くした。「じゃあ、学校かなんかに行くのがふつうじゃないのかね?」
「年季奉公がありますから」わたしは思いきり明るい声で答えて、たいていの自由市民がわたしのような人間に対していだいている軽蔑心をかわそうとした。わたしは修道院で育って、四年前にカザムに売られてきた。あと二年無給で働かないと、自由になるための最初の手続きを申請しようと考えることすらできない。最初の書類を出したあと、十四段階の書類提出や手続きを経(へ)れば、ある日、自由の身になれるはずだ。
「年季奉公でもなんでもいいが、ミスター・ザンビーニはどうしたんだね?」ディグビー氏は、かんたんに引きさがるつもりはないらしい。
「一身上の都合で休職中です」わたしはできるだけ大人びて聞こえるように説明した。「ですからわたしが一時的に社長の代理を務めています」
「一時的に社長代理を務める? なんであんたたちのひとりじゃなく、このお嬢さんがやってるんだね?」ディグビー氏は、車のわきに立っている三人の魔術師に向かってきいた。
「お役所の手続きなんていうのは、子どものやることだからね」レディ・モーゴンが、傲然(ごうぜん)といいはなった。
「ぼくはいそがしいし、書類仕事をしてると額の生えぎわがますます後退しちゃうんですよ」と、〝フル〟・プライス。
「おれたちはジェニファーを心から信頼してます」たぶんわたしの仕事ぶりをだれよりも評価してくれているウィザード・ムービンがいった。「捨て子は、たいていの子どもより早く大人になりますからね。はじめてもいいですか?」
「なるほど」ディグビー氏は、キャンセルしようかどうしようかという顔で、わたしたちを何度か順繰りに見まわしたあと、ようやくそういった。どうやらまかせることにしたらしく、帽子とコートを取りにいった。
「六時までに終えるという約束だからな?」
 わたしが承知していますと答えると、ディグビー氏は、家の鍵(かぎ)をこっちによこして歩きだした。そしてクォークビーストの横を大きくまわりこんでよけ、自分の車に乗って去っていった。魔法を使うとき、近くに一般人がいるのはあまりよくない。どんなにしっかりした魔術でも、余分な、はぐれものの魔力がつきもので、万が一それが一般人に当たると、面倒なことになりかねない。といっても深刻な問題ではなく、突然鼻毛がのびるとか、ブタみたいにブーブー鳴くとか、青いおしっこが出るというたぐいの症状だ。しかも少し時間がたてば元どおりになる。それでもやっぱりイメージが悪くなるし、裁判沙汰やら、もっと厄介なことやらが起きる心配もつきまとう。
「よかった。じゃあここからは、おまかせしますね」
 わたしがいうと、三人の魔術師は顔を見あわせた。
「あたしゃ、かつては嵐を巻きおこしたものだよ」レディ・モーゴンが、ため息まじりにいった。
「嵐を起こすのは、おれら、みんなやりましたよ」ムービンが答える。
「クォーク」と、クォークビースト。
 三人が、どこから手をつけるのがいいかという話しあいをはじめたので、わたしはその場をはなれた。家の配線を魔法で修理するのは三人ともはじめてだけれど、〈アラマイック〉という、大元の魔法プログラミング言語のルートディレクトリを少し書きかえれば、配線修理のような作業も比較的かんたんにできることはわかっている。もちろん三人が力を出しあうのが前提ではあるけれど。住宅改修の分野に進出するのは、ミスター・ザンビーニのアイディアだった。庭のモグラを魔法で追いだすとか、収納のために物の大きさを変えるとか、なくし物を見つけるといったことはかんたんにできるけど、あまりお金にならない。でも配線の修理となると話が別だ。従来の配線工事とちがって、魔術師は家に手をふれる必要がない。だから手間がかからないし問題も起きない。しかも一日かからずに作業が終わるのだ。
 わたしはフォルクスワーゲンのなかで、無線電話の番をすることにした。会社にかかってきた電話はぜんぶこちらに転送されることになっている。わたしはカザムの社長代理というだけでなく、受付や、予約の手配や、経理もやっている。そのうえカザムにいる四十五人の魔術師の面倒を見て、その住まいであるぼろぼろの建物を管理し、数かぎりない書類を埋めなくてはならない。〈魔法法(一九六六年改正)〉によって、どんなに小さな魔法を使ったときでも、書類を提出することが義務づけられているからだ。わたしがこれらもろもろを一手に引きうけている理由は、三つあった。第一に、ミスター・ザンビーニが行方不明になってしまって、この仕事ができないから。第二に、わたしは十二歳のころからカザムにいて、魔法管理ビジネスを知りつくしているから。そして第三に、ほかにやりたい人がいないから。
 無線電話が鳴った。
「カザム魔法マネジメントです」思いきり明るい声でいった。「ご用件をうけたまわります」
「ええっと……」ティーンエイジャーらしき声が、おずおずといった。「パティ・シムコックスに好きになってもらえるような方法ってありませんか?」
「お花を贈るのはいかがですか?」
「花?」
「ええ。映画を見にいったり、おもしろいジョークを飛ばしたりするのもいいですね。いっしょにディナーを食べたり、ダンスをしたり、ボドミンのアフターシェーブ・ローションをつけたりするのも効果がありますよ」
「ボドミンのアフターシェーブ・ローション?」
「そう。ひげはそります?」
「最近は、週に一度だけ。ちょっとめんどくさくなっちゃって。でも、ほら、もっと手っ取り早い方法があるんじゃないかなって─」
「魔法も使えないわけではないんですけど、そうするとパティ・シムコックスさんの、ご本人らしさが消えてしまうんです。なんでもいうことをきくだけの人になって、まるでマネキンとデートをしているみたいになってしまうの。恋愛って、あまり魔法でいじくりまわさないほうがいいみたいですよ。だから、わたしからは昔ながらのやり方でのぞんだほうがうまくいくと申しあげておきますね」
 静かになったので電話が切れたのかと思ったら、ティーンエイジャーはわたしの言葉をじっくり考えていたらしい。
「花は、どんなのがいいんですか?」
 わたしはいくつか花の種類をあげ、いいレストランも二、三教えてあげた。ティーンエイジャーは、ありがとうといって電話を切った。ムービンとレディ・モーゴンと〝フル〟・プライスのほうへ目をやると、三人は家のつくりをじっくりと調べているところだった。魔法というのは、手っ取り早く呪文を唱えて力を解きはなてばききめがあらわれるというものではない。まず最初に問題をきちんと見きわめて、どの魔術を使えばいちばん効果的かをあらかじめ値踏みし、そのうえで呪文を唱えて力を解きはなつのだ。三人はまだ「問題を見きわめる」段階にいた。「見きわめ」の具体的な作業は、たいていの場合、上から下までじろじろ見まわして、お茶を飲み、話しあって、意見がぶつかって、また話しあって、お茶して、またじろじろ見まわす……というようなことだ。
 また無線電話が鳴った。
「ジェニー?」パーキンスだ。
〝若々しい〟という形容詞つきで呼ばれるパーキンスは、カザムの最年少の魔術師だった。カザムがめずらしく経済的に安定していたころ入社して、見習いのようなことをしている。特に力を入れているのが「遠隔暗示」の魔法だけど、まだあまりうまくない。一度なんか、好感度をあげようと、わたしたちに一般向けの低いアルファ波で「ぼくってかっこいいよね?」という暗示を送ろうとしたのに、「ぼく、スクラブルでちょいちょいズルしてるんだよね」という思考を誤送信してしまい、どうしてみんなが自分のことをじろじろ見て、悲しそうに首を振るんだろうと悩んでいた。みんなひとしきり笑ってから飽きて忘れたけど、パーキンスにとっては笑い事じゃなかったらしい。わたしはパーキンスと年が近くてウマが合うし、じつはけっこう彼のことが好きだ。でも、それはひょっとするとパーキンスから送られた暗示のせいかもしれないし、ほんとうに彼のことを好きなのかどうか、たしかめる方法がない。だから、映画に行こうとか、お茶しようとか、または夕暮れどきに精製所の煙突の炎を見ようとか誘われても、今のところはやりすごして、「ハーイ」と声をかけあうぐらいで止まっている。
「ハーイ、パーキンス。パトリックが仕事にまにあうよう送りだしてくれた?」わたしはきいた。
「ぎりぎりにね。でも、あの人、またマジパンの摂取をはじめちゃったみたいだ」
 それは気がかりだった。ラドローのパトリックは移動術の使い手だ。切れ者ではないけど、人当たりがよくて親切だし、物を浮揚させる能力はずば抜けているので、市の交通課の委託で違法駐車の車を移動させる仕事をして、カザムの定期収入をかせいでくれている。すごく労力を使う仕事なので、二十四時間のうち十四時間は眠るし、覚醒作用のあるマジパンの摂取癖もある。それは彼があまり語ろうとしない、人生の暗黒期に始まったものらしい。
「で、用件は?」
「ああ、修道会が、きみの後釜(あとがま)の男の子をよこしたんだ。そっちに行かせようか?」
 早く補充が来ないかなと思っていたからよかった。わたしのいた修道会は、昔から四年おきに捨て子をカザムに提供してきた。後進の育成には時間がかかる。魔法管理業に必要な、風変わりな技能をあれこれ身につけなくてはならないし、物の見方にも柔軟性が必要だからだ。途中でやめる人もいる。シャロン・ゾイクスという人が、修道会から送られてきた四代めの捨て子で、わたしは六代め。こんどの新しい子が七代めだ。五代めのことは、だれも語らないことになっている。
「タクシーに乗せてこっちへ来させて。あー、やっぱり高いからだめだ。ナシル王子のじゅうたんに乗っけてもらって。いつものように念のため段ボール箱にかくれるよういってね」
「了解。ところでさ、サー・マット・グリフロンのライブのチケットが二枚あるんだけど、行かない?」
「だれと?」
「だれとって、ぼくに決まってるじゃん」
「えーと、考えておくね」
「わかった」パーキンスはそういってから、人を殺してでもサー・マットを見たいって人が、少なくとも一ダースはいるけどね、とぶつくさいいながら電話を切った。
 じつをいうと、マット・グリフロンのライブはすごく見てみたい。スノッド国王のお気に入りというだけでなく、すばらしい歌手だし、あごががっちりしていて、波打つような長髪で、とってもハンサムなのだ。だから一瞬迷ったけど、やっぱりやめておくことにした。デートっていうのがどういうものか、知りたい気持ちはある。でも、たとえパーキンスが人の気を引く魔法を使っていないとしても、やっぱりカザムの魔術師とつきあうのはよくない気がする。彼らがみんな独身なのにはちゃんとした理由がある。恋と魔法は水と油みたいなもので、どうやってもうまくなじまないのだ。
 車からおりてみると、魔術師たちは家をありとあらゆる方向からじっと観察しているところだった。一見、何もしていないように見えるけれど、ここで、何をしているの? とか、進んでる? などときかない程度の分別は持ちあわせていた。一瞬気が散っただけで、魔法はあっというまに崩壊しかねない。ムービンとプライスは動きやすい格好をしていて、火傷(やけど)を避けるため、金属は身につけていない。でもレディ・モーゴンは、昔ながらの黒のロングドレスに身を包んでいた。ドレスは歩くとさらさらと木の葉のような音を立て、暗いところでは遠くの花火みたいにきらきら光って見える。ヘレフォードではしじゅう停電があるのだけど、真っ暗ななかでもザンビーニ会館の長い廊下の向こうからレディ・モーゴンがすべるように近づいてくると、すぐに彼女だと見わけがつく。一度、大胆にもだれかが彼女のドレスにアルミ箔(はく)を切りぬいてつくった星と三日月を貼(は)りつけて、レディ・モーゴンが激怒したことがあった。彼女はミスター・ザンビーニに向かって二十分近くも「だれも自分の仕事にまじめに取りくんでいない、なんであたしはこんな幼稚なトンチキどもと仕事をしなければならないのか」とどなりまくった。そのあとミスター・ザンビーニは、魔術師ひとりひとりと面談したけど、たぶんみんなと同じくらいおもしろがっていたと思う。結局犯人はわからなかったけれど、たぶん〝フル〟・プライスの双子の弟で、小柄な〝ハーフ〟・プライスのしわざだろうとわたしはにらんでいた。〝ハーフ〟は以前、ほんの冗談のつもりで近所の猫を何匹か緑色に変えたことがある。ところが地元の人が警察に知らせて、捜査がはじまったので、おおごとになってしまった。「迷惑な、あるいは、いやがらせや悪意にもとづく魔法、詐術」は厳重に禁じられていて、たとえ必要な書類を提出しても許されない。十八世紀に例の「恐怖におののけちびどもめ、そしてこの悪漢ブリックスさまに従え」事件があって以来、世間には魔法使いというものに対する偏見が根強く存在している。だから〝ハーフ〟・プライスのいたずらだったとわかって問題になる前に、グレート・ザンビーニは不連合王国じゅうから適当に選んだ猫六百匹を緑色に変えるという荒技に出た。そうして猫の毛の色が変わったのは、法律に反する魔術のせいではなく、「モギリッシオスのキャットフードに不良品があったせいだ」という主張を押しとおしたのだ。
 三人の魔術師を見まもるぐらいしかすることがなかったので、わたしはまた車の座席にすわって、ウィザード・ムービンの持ってきた新聞をひろげた。ムービンが別の記事からひっぱってきてクロスワードの穴埋めに使った文字がまだそのままになっていたので、おやっと思った。こういう準備運動の魔法は、たいてい一時的なものなので、文字は元の記事にもどるんだけど。変えた物を固定するには、変えるときの倍近いエネルギーが必要だ。魔術師はたいてい固定するためのエネルギーを温存するので、魔法で何かを変えても、時間がたつと結わえていない三つ編みのように元にもどってしまう。魔術をおこなうのはマラソンを走るのに似ていて、ペース配分が大切だ。序盤に力を使いすぎると、ゴールする前にへばってしまう。ムービンは準備運動の魔術で固定のエネルギーを使うくらいだから、よほど力がみなぎってると感じているんだろう。ふと思いついて車の下まわりをのぞいてみると、ギアボックスのあたりが新品みたいにぴかぴかで、オイルもれもなかった。レディ・モーゴンも調子がよさそうだ。
「クォーク」
「え、どこ?」
 クォークビーストは、かみそりみたいにとがった爪で東の空を指した。じゅうたん乗りのナシル王子が、どう見てもスピード違反だろうという勢いで吹っとんでくる。家の上空にさしかかると、ぐっとじゅうたんをかたむけて二度旋回し、わたしのとなりに完璧な着地を決めた。ナシルはサーファーのように立ち乗りするのが好きで、うちのもうひとりのじゅうたん乗りであるレイダーのオーウェンからばかにされている。オーウェンのほうは、じゅうたんの後部にあぐらをかいてすわるという昔ながらのスタイルだ。ナシルはまた、ぶかぶかのショートパンツにアロハシャツという格好をしていて、これがいつもレディ・モーゴンの神経をさかなでしていた。
「やあ、ジェニー」ナシルはにやっとして飛行記録を差しだし、わたしがサインすると「おとどけものだよ」といった。
 じゅうたんの前のほうに大きな〈ヤミーフレークス〉の段ボールがのっていて、なかから十一歳の男の子が顔を出した。十一歳にしては背が高くてひょろっとしている。くるくるカールした薄茶色の髪に、そばかすをちらしただんごっ鼻。ひと目でおさがりだとわかる服を着て、いきなり変なところへ連れてこられてどうしようと思っているような、とまどった顔をしていた。


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