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ねこと、本と、生活。何もない連休の記録。

5月2日
◎あたたまりすぎた毛布を蹴飛ばして、窓を覗き込むと空のみずいろが、ほとんど青い。一気に、初夏らしくなった。猫はぴったり5月1日から、わたしの毛布にもぐりこまなくなり、朝方にご飯をねだるようになった。明け方のねこは、甘えんぼうのかたまりで、何度もわたしに頭突きをして、ゆっくりと瞬きする仕草が、眠さを吹き飛ばすほど可愛らしい。


◎Spotifyで、「北欧暮らしの道具店」のプレイリストをスピーカーでかけてみた。何かのスイッチがはいって、家事が踊るように片付いていく。ギアが「大掃除」にはいった家族が目の色をかえて隅々まで磨いていく。自分も、猛然と洗濯ものを干し、コットンブランケットにアイロンをかけた。

スピッツの運命の人が、あまりにも懐かしくて、泣きそうになる。年齢をかさねるうちに、曲から連想するものが自分じゃなくて、すっかり何らかの映像作品になっていることにハッとする。


◎長そでじゃ暑いような、でもまだ半袖は心許ないような、不思議な気温だ。青空を背景に、爆速で洗濯物が乾くので、思い切ってダウンコートを洗った。ここ数年お世話になっている、無印良品のダウンは手洗いOKのマークがついてるので、ネットに入れて洗濯機の弱モードでひと思いに洗ってしまっている。洗い立ては、濡れた獣のようにしょぼくれて、ぺたんこになるけれど、天気のよい日に陰干ししておけば、ふかふかに戻るのが何度洗ってもおもしろい。


5月3日
◎少しだけでも日にあたらないと、どうにかなりそうだったのでテイクアウトをやっているカフェに、ドーナツを買いにいった。
ブルーグレーに塗られた壁の色がうつくしく、店内で販売しているTシャツなどのグッズが静かにトンマナが貫かれており、素敵だった。あの椅子にすわって、ぼんやり外をながめながら、お茶をしたらどんなに良いだろうと想像する。なんだか今は全てが遠い、夢のような話に感じることが寂しい。

家に帰ってくると実家からの救援物資が届いていた。今は年老いた親に会うことは憚られるため「来ちゃだめだよ」と何度も言っているのだが、離れて住む子供に何か少しでも…と思ってしまうようで、そのたびにドアノブにおやつと野菜がかかっている。中を覗くと見慣れたパッケージが入っていて、間も無く40になる娘にビスコを買ってしまう親の気持ちを考える。


◎ドーナツの、砂糖がじゃりっと言うほどの、ぶん殴られるような甘さと強烈なカロリーを感じながら、アマプラで映画を観ながらコーヒーとともに食べた。「ホテルムンバイ」ゆるんだ空気を切り裂くような銃弾、日常と非日常が暴力的にない混ぜにされるその一瞬に息をのんだ。

決して勧善懲悪ではないテロリスト側への公平な眼差しが真摯だった。教育とは、信仰とは…と考え込みながらも、セクハラ紛いのおっさんへの嫌悪がとまらず、けっこうな悪態を吐きながら観た。おっさんが手酷いびんたをされていたので胸がすいたが、こんなことに簡単に溜飲を下げる自分が卑近で恥ずかしくなるほど、志の高い映画だった。祈りとは、救いとは…。


5月4日
◎皆考えることは同じようで、スーパーの棚をみるとゼラチンが売り切れていた。その隣の寒天すらも。でも私は知っている。寒天は、製菓コーナーだけではなく、乾物コーナーにもあることを。すぐに見つけて、しめしめと買ったけれど、これで作るつもりだった苺のムースが作れるのかは謎だった。

寒天を入れた牛乳を煮詰めて、そこに砂糖を溶かし、沸騰したまま2分ほどくつくついわせておき、昨日から水きりしていたヨーグルトと、生クリームを合わせたものの中に少しずつ少しずつ混ぜこんでいった。混ぜるあいだにも、どんどん固まろうとするので「ステイ!ステイ!!」と寒天に言いながら賢明に混ぜた。「俺はどこにもいかない」とばかりに、寒天はそのままずんずん固まろうとするので、ぐるぐる切り裂くようにかき混ぜて冷蔵庫に寝かせると、クリームそのままみたいなふわふわのムースになった。寒天の意味があるのか、すこし謎だったけれど、ムースよりももっと柔らかく、雲みたいにふわふわ。これはこれで、とてもおいしかった。

◎セブン銀行のUIがすばらしい。最後、カードがべろっと出てくるときの二次元のカードが三次元に飛び出してくるような演出がとにかく気持ちよく、いつも多幸感に震えるような気持ちで使っている。


5月5日
◎WEBメディアShe isの「違う場所の同じ日の日記」の記事をひとつひとつ、大切に読んだ。寄るべない毎日を、同じように心細く生きるひと、たくましくアウトプットに励むひと、子育てにきれぎれになりながらも、命の輝きを眩しく感じているひと、さまざまな営みに励まされる。これを一冊にまとめた本が、欲しいなと思う。

惣田紗希さんの記事を読んで、涙が吹き出しそうな共感と、静かに燃えるような意志のたいまつに、自分まで温めてもらうような心地になる。今までも誰かの怒りに、焚き火みたいにギュッと心強く暖めてもらうことが何度もあった。心細さを感じることもあるけれど、怒りの言葉はわたしも自分なりのかたちで、残していきたいと思った。

She isは生活から地続きの政治を思考することを、手放していなくて、なんて志の高いメディアなんだろうと、毎度感動してしまう。
そういうことを「敢えて書かない」媒体を名指しで批判しようとまでは思わないけれど、「今は文句を言わずに、一丸となって頑張ろう!ワンチーム!!」みたいな類のものには、はっきり「ケッ」と思ってしまう。


◎「読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹」
誰かの日記をもっともっと読みたくて、購入したこの本が、感動的なことに予想の3倍くらいの分厚さだった。届いた袋から出した瞬間、ほぼ立方体が出てきた衝撃。物体としての美しさが凄まじい上に、いつまでもたっぷり読めるよろこびに震えた。ひとつ、ふたつ、おやつをつまむように読んで、ああ、この辺にしとこう!ともったいぶって読む楽しさ。そして、生活と読書がかたく結びついた日々を読むと、自分の読書欲に火がつくようで、ふつふつ読みたい気持ちが刺激される感覚がある。仕事の昼休みにちびちび読むのが楽しみです。

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◎吉田さんのすばらしい新聞を読んで、ひさしぶりに、ZINEを作ってみたくなった。よしだペーパーは本当にすばらしい。映画とジョジョが好きすぎるのがビンビンに伝わってくるところと、ねこのコーナーがあるところが見逃せない。無造作にTwitterに放り投げる公開スタイルもたまらない。

コピー用紙をひろげてシャーペンをかちかち言わせながら、私も書き始めた。今回はごく気楽で簡単なかたちでやってみようと思う。ひさしぶりに書くので、なめらかに筆が進まず、喉がつまったような歯痒さを感じながら、何度も書き直した。あるとき鉄板が熱くなるような、着火を感じて夜中2時までリビングで書いていた。2ページばかり、書けた。


5月6日
昨日夜更かししたので、起きられなくて酷いことになるかと思ったけど、9時前には布団から出ることができた。ひさしぶりに自分のまくらの大半を猫が制圧していて、気温が昨日より低いことを知る。


昼食に、辛ラーメン1袋を家族と半分にして食べる。心許ない量だけど、それは麺を食べ終わり次第、スープの中にごはんをいれる悪魔の所業のためだ。残ったスープの中にとろけるチーズと玉子を落として、辛くて最高においしい雑炊にして食べる。くちびるがヒリヒリするけど本当においしい。

定期が切れていることを間一髪で思い出せたので、駅に買いにいく。朝、すくない券売機の前でもたもたしていたら、出勤するみなさんに迷惑をかける。帰りにスーパーでもやしを買い、ピーマンを買い、肉を買う。レジのところで子供さんがアーイーアーイー!とたのしそうにお母さんに向かって話しかけており、その笑顔のおこぼれが隣のセルフレジのわたしにまで手向けられたので「有り難き幸せ」みたいな気持ちになってしまう。にこにこして店を出た。

明日からまた仕事なので常備菜をつくる。三色弁当にしようと思って、ピーマンをごま油と塩昆布で炒めたものと、生姜を刻んでひき肉と炒めて、味噌だれで仕上げた肉味噌そぼろ、バターで炒めた炒り卵を用意しておく。

ZINEの続きにとりかかりたいけれど、休日と出勤日の境目は半端にやることが積み重なっていて、なかなかそこまで届かない。週末にやることにして、夕飯の豚汁をつくる。

連休中は、ほとんど何もしなかったと思っていたけど、記録してみると生活は絶えず何かをし続けることだということが分かる。また気が向いたらすこしずつでも記録してみようと思う。



illustration:イタガキユウスケ


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