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グミをたべるときの、暖かい孤独

お菓子のなかで、グミが一番すきかもしれない。次いでラムネ。3番目が飴ちゃん。口の中でゆっくり溶かしてゆくものたちが好きだ。

グミを食べるたびに、いつも思い浮かべるのは小学生の頃のこと。
「次の標識まで、噛まずになめられたら、いいことある」と謎のミッションを自分に課しながら、近所を散歩しながら食べていた。

遠足のとき、みんなで交換しながら食べるおやつより、1人で自分のルールを決めて食べるおやつが好きだった。遠足のレジャーシートの上ではなるべく少なく食べて、持ち帰ったおやつを習いごと用の手提げに詰め直して、一人きりの散歩の中でゆっくり食べた。

口の中に入れられて、ひそかに楽しめるお菓子といっしょに歩くと、いつもの通学路が、それだけでどきどきする場所になった。なんとなく、通学路でお菓子を食べることは悪いことのような気がして、ほのかなタブーに沸き立っていた。

あまり遠くには行けないので、団地の周りをくるくる何周もしたり、近所の習字教室の前まで行って帰ってくるだけ。ごく単調な散歩だったけれど、くだもの味のグミや、ソーダの飴が口の中にいてくれると、埃っぽい道があたたかく輝いてみえた。

次の標識まで、白線の上だけ綱渡りのように歩いてみたり、きっと全ての小学生がすることを、私も1人できっちりやっていた。グミを食べるのは、カーブミラーから標識までの間で、噛まずに標識まで口の中にのこしておくことが私のミッションだった。

グミというものは不思議だ。飴のように簡単に解けそうもないのに、そっと口の中に留めておくと舌の上で粉々に小さくなる。その原型を保ちそうで保たないところに挑戦しがいがあり、グミを買うたびに散歩のおともにするのが楽しみだった。

標識までグミをキープできたことは数えるほどしかなかったけれど(あそこまでグミが溶けなかったら、いいことある)と思いながら何度も挑戦することは色あせず好きだった。

いいことがあったのかどうかも、溶けたお菓子のようにもう忘れてしまったけれど、グミを食べながらゆっくりゆっくり歩いていたときの、1人で完璧に充足していたあの心地は、ささやかだけど幸福な記憶だ。

今でも、何かをじっくり味わうとき、散歩をしたくなってきて、困る。最近は、焼きたらこがあまりにおいしくて、ささやかな一切れを口にいれて散歩した。

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