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数学者を目指す

(本記事は 『数学セミナー』2023年4月号 に寄稿した記事を、編集者の方の許可を頂いて転載したものです)

人は何をもって「数学者」になるのでしょうか? 数学の博士号を取れば数学者、何か定理を証明して論文を書けば数学者、数学の研究をライフワークにしていれば数学者…いろいろな基準が考えられると思います。私自身はというと、まだ「数学者」と名乗ることには躊躇があり、「数学者を目指す者の一人である」というのが正直な感覚です。

「数学者を目指す」というこの記事のタイトルは編集者の方からご提案いただいたもののままです。このテーマに関して私が書けることは、大幅な遠回りをしながら40歳目前で数学者を目指すに至った自分自身の経験しかありません。不恰好な内容ではありますが、研究者を目指すことに迷いを感じている学生や、数学との付き合い方について悩んでいる方にとっての参考になれば幸いです。

はじめの大学院受験まで (1984-2006)

数学者というと世間では、幼少の頃から特別に数学の才能があったとか、並外れた計算能力があったといったイメージを持たれることが多そうですが、私はそのような子供ではありませんでした。私が算数に面白さを感じるようになったのは小学校の5, 6年頃からでしたが、それは算数そのものよりも通っていた塾の先生に対する信頼から来るものでした。私は学校で「正しいこと」として教えられる物事がどうも腑に落ちず、先生たちは私が感じた疑問にまともに取り合ってくれていないように感じていました。塾のK先生は、私のような面倒な性格の子供に対しても真っ直ぐ向き合って算数の考え方や面白さを教えてくれたので、塾に通うのがいつも楽しみだったことを記憶しています。

中高に進んでも学校のことは好きになれない一方で、中学3年から通い始めた理数系専門塾では数学の講義をいつも楽しく受けていました。講義後に分からないことを質問しに行けば先生たちは一つ一つ疑問点を掘り下げて解消してくれました。数学では「正しいこと」には必ず理由があり、一つ一つ遡っていけば必ずその正しさが納得できるようにできています。このような経験から私はますます数学と数学の先生に対する信頼を深めていき、「私も数学を教えられるようになりたい」という思いから大学受験を目指すようになります。

大学に入り、いろいろな教養科目を受ける中でもやはり面白いと感じるのは数学だったので、迷いもなく数学科に進学しました。しかし専門課程に進むと講義の難易度は一気に上がり、徐々についていけなくなってしまいました。目の前で面白そうな話をされているのに、基本的なことが分からない。私は同期の学生との交流もあまり持たず、自主ゼミなどにも参加していませんでした。このまま大学院に進学したとして、その先研究者として生きていく方向でも、数学を活かす仕事につく方向でもビジョンが見えませんでした。こうした将来への不安から次第に心身ともに不調を来すようになってしまいました。

学部4年の夏終わりに大学院の入学試験を受け、かろうじて合格することはできましたが、進学に関しては前向きではありませんでした。ちょうどそのタイミングで、中学のときに入っていたコンピュータ部の先輩から一緒に会社をやろうという話が来ました。いざ取り組んでみたらチャレンジングで面白かったので、もう数学からは離れてこちらで頑張って行こうと決め、大学院進学は辞退しました。

二度目の大学院受験まで (2006-2016)

仲間と会社を立ち上げたのは2006年で、それからはソフトウェアエンジニアとして数学とはほとんど関わりを持たずに生きてきました。その後は二度転職をし、2012年(28歳)に結婚をして、2014年(30歳)には子供が産まれました。家族ができたことで、見ないようにしていた過去のことも少しずつ受け容れられるようになり、この先どう生きるべきかを考えられるようになりました。

2013年頃から、ソフトウェア業界でAI/機械学習が本格的に注目を集めるようになり、その基礎となる数学に対して身近でも関心が高まっていることが感じられるようになりました。当時所属していた会社で上司から依頼を受けて社内向けの数学勉強会を開催したところ評判が良く、私は数学科出身のエンジニアとしてもっと貢献できることがあるかも知れないと思うようになりました。

2015年の1月から自主的に「プログラマのための数学勉強会(プロ数)」を開催し始めました。数名の発表者が、プログラミングと絡めて面白い数学の話を発表する形式の一般向けの勉強会です。毎回、参加希望者が大幅に定員を超えるほどに好評で、私はこんなに数学好きな人は多かったのかと驚くと共に、回を重ねるごとにもっと数学をやりたいという思いが強まっていきました。それまで数学の話ができる仲間が身の回りにいなかったので、一気に孤独から解放されたような気分でした。

第3回の「プロ数」を開いた5月に、もう一度大学院に入り直そうと決意して、その年の入学試験の受験申し込みをしました。仕事と子育ての隙間で、学部一年の内容から復習し始めました。この決断と行動は、もはや数学への思いを塞ぎ続けることはできないという衝動に駆られたものでしたが、これだけ数学の大切さが見直されている今なら学び直して無駄になるということはないだろうという確信に支えられるものでもありました。

9月に大学院の入学試験を受け、その2週間後に合格通知を受け取りました。そのときの喜びは前回とは比較にならないほど大きいものでした。翌年2016年の4月に、勤めていた会社を退職して東京大学の数理科学研究科の修士課程に進学しました。

修士課程 (2016-2019)

修士課程の指導教員は古田幹雄先生を希望しました。上述の通り、私はただ数学をやり直したいという思いだけで進学を決めたので、研究したいことは決まっていませんでした。古田先生を希望した理由は、進学前の面談でお話しした際に圧倒的なパワーのようなものを感じたからでした。

希望通り古田先生の研究室への配属が決まり、4月から大学院のセミナーが始まりました。初めの一年は、人生でこんなに苦労したことがないというほど大変なものでした。研究室の先輩や同期たちは遥かに高いレベルのセミナーをやっていて、内容は全く理解できません。私は学部レベルの知識も覚束ない状態で毎週無理解を晒しているようで、社会人として身につけた小さなプライドもガラガラと崩れて行きました。二年目に入ってもその状態は変わりませんでした。このままでは修士論文を書くことはできないと悟り、夏前に在学期間を一年延長することにしました。その決断の後からは、ある程度落ちついて勉強に取り組めるようになりました。

修士課程2年目も終わりに差し掛かる2018年の年明けに、先生から Khovanov (ホバノフ)ホモロジーという結び目のホモロジー理論があると教わりました。調べてみると、私が趣味で作っていた単体複体のホモロジー群の計算プログラムを少し拡張すれば、 Khovanov ホモロジーの計算もできそうだと分かりました。早速プログラムを書いていろいろな具体例で計算実験をしてみると、あるホモロジー類の成分表示には必ず「2べき」が現れるという不思議な現象が目に留まりました。これを詳しく調べるところから私の研究は始まりました。

時を同じくして、佐藤光樹さん(現・名城大学助教)との出会いがありました。佐藤さんは結び目理論が専門で、4月から古田研究室にポスドク研究員として来られる予定でした。佐藤さんは3月から毎週私のセミナーに参加して、結び目理論の基礎的なことから研究に関することまで、多くの時間を割いて一緒に議論をしてくださりました。

研究テーマが決まり、頼れる先輩とも出会えたことで研究は一気に進み、夏頃には一つの主定理が得られました。年末には修士論文のドラフトが出来上がり、結び目理論に関する研究集会でその結果を発表することもできました。翌年2019年の1月に修士論文を提出し、2月に論文審査を受け、3月に晴れて修了できる運びとなりました。

修士課程に進学する段階では、続けて博士課程に進学することは現実的なこととしては考えていませんでしたが、修士論文を書き上げる段階で「もっと研究を深めたい」という思いが強まり、家族の同意も得られたことから、博士課程への進学を決意しました。

博士課程 (2019-2022)

博士課程の1年目には修士論文をもとにした論文の採録が決まり、翌年度から日本学術振興会の特別研究員(DC2)として採用されることも決まりました。2年目はいよいよ本腰で研究に取り掛かるぞ!と胸を躍らせていたところ、世界的なコロナウィルスの感染拡大によって状況は一変してしまいました。

2020年4月には緊急事態宣言が発令され、大学は閉鎖され、妻の会社はリモートワークとなり、子供が通っていた幼稚園は臨時閉園となりました。家族3人が家にいる状況で研究を進めることは不可能でした。これが長く続く可能性を考えると、残り2年で博士課程を修了するのは無理かも知れないと脱力しました。当面は家族の健康を第一優先事項として、研究は進みが遅くても歩みを止めないことを目標とすることにしました。

6月になると幼稚園も再開され、家族も日常を取り戻しつつありました。7月には、手が動かせるうちに結果を出しておかないといつまた足止めされるか分からないと思いを改め、集中して研究に取り組みました。修士論文の結果をもとにした新しい研究を一ヶ月ほどで完成させ、続けて4月から読み進めていた論文をもとにした次の研究にも取りかかり始めました。こちらもアイディア通りに証明が進み、10月頃には次の論文の大枠ができていました。この二本の論文が、博士論文の前半と後半となるのでした。

コロナ禍以後、博士課程を終えるまでの2年間、セミナーや研究集会はほぼすべてオンラインで行われました。オンライン化は参加に際しての場所的・時間的制約を大幅に軽減してくれるので、子供がいる私にはメリットもありましたが、やはり対面での密な意見交換ができなくなったことは大きな損失でした。

3年目も人との接触がほとんどない日々でしたが、研究は概ね順調に進み、2022年3月に数理科学の博士号を授かることができました。ここまで来れたのはたくさんの人たちの支えのお陰です。古田先生をはじめ、私に数学の面白さを教えてくれた先生たち、私を仲間として受け入れてくれた研究室のメンバーたち、私の学び直しを応援してくれた友人や仲間たち、いつも私を理解し応援してくれる家族のみんなに、心から感謝しています。

研究者としての道 (2022-)

2022年4月より、理化学研究所・数理創造プログラム (iTHEMS) の基礎科学特別研究員としてトポロジーの研究を続けています。もうすぐ研究者としての1年目が終わりになりますが、4月からの日々はとても充実していました。iTHEMS には数学者だけでなく物理学者や生物学者など幅広い分野の研究者がいて、お互いの知見を共有しながら日々交流を楽しんでいます。研究に関しては、修士論文を発展させた研究を佐藤光樹さんと共同で行い、前のものより遥かに満足な形で論文を完成させることができました。夏には海外出張に行き、現地で私の研究を認知してくれている研究者とも出会うことができました。この先もっと研究を進め、数学を通して世界と繋がりたいという思いを強くしました。

数学の何が好きなのか?

現在に至るまでの経緯を振り返った上で、改めて私は数学の何が好きなのかを考えてみました。

(1) 確かさ

数学では、よく分からないことを、納得が行くまで徹底的に考え抜くことができます。何かをクリアに分かることができれば、見える景色は大きく変わり、まるで自分のことを話すようにそれを人に伝えられるようになります。正しさは平等で、個人の属性や価値観の違いなどによって結果がひっくり返ったりしません。

(2) 創造性と多様性

数学の取り組み方に制約はありません。緻密に論理を積み上げたり、ひたすら手を動かして計算したり、頭の中で空想したり、絵を描いて眺めたり、人と話しながら意見を交換したり…その過程は創造的で、分野や研究者ごとに特有の方法があって実に多様です。

(3) 未知の探求

私は数学研究の系譜 --- 紀元前から現在に至るまで、時代や地域を超えて、数学者たちが好奇心や探究心に駆られて研究し発展させてきた知識の集積 --- に畏敬の念を感じると共に、私も研究者の一人としてその最前線で未知の探求に参加できることにロマンを感じます。私が何十年も前に書かれた論文を読んでヒントを得ることがあるように、私の論文も未来の数学者が読んで何かを受け取ってくれるかも知れません。

数学を続けるべきか悩んでいた学部の頃、「私は本当に数学が好きなのか?」という自問に取り憑かれて苦しんでいました。今はこの苦しみから解放されていますが、それは「数学が好きだと分かったから」ではありません。この問いの背後は「本当に好きなことならどんな苦しみも乗り越えられるはずだ」という思い込みがありました。しかし私の場合、生存に対する不安がないこと、数学を共に学べる仲間がいること、そして家族がいること、この3つが満たされていなければ数学に戻ってくることはできませんでした。数学が好きだという気持ちだけで生きていけるほど私は強くなかったのです。このことを心から納得するために、私には遠回りが必要だったのだろうと今は受け止めています。

数学者を目指すあなたへ

数学は難しく広大なので、学習が進まないことに焦りを感じやすいと思います。特に学生のうちは期間も限られていますし、周りに優秀な学生が多ければ尚更のことでしょう。私も長らくこの問題に悩まされていましたが、昨年一つの解決策を思いつきました。それは「長く続けることを目標にする」です。1年で学び尽くせる気がしないことでも、3年、5年、10年かけて良いことにすればどうでしょうか。もちろん、定められた短い期間の中で成果を出さなければいけない状況もあるでしょう。それでも、そのために情熱を燃やし尽くすことはしないでください。ときには遠回りをしてでも、心身の健康を保ち、数学を楽しみながら長い付き合いを続けてほしいと思います。

また、これは私自身の反省として述べることですが、社会人経験を経て学び直しを志す際には、資金の準備をしておくことと、家族や同僚など、理解とサポートを求める関係者とはよくコミュニケーションをとっておくことは忘れないようにしてください。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

『数学セミナー』2023年4月号
数学者を目指す…佐野岳人


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