17.母への手紙

さて、私の最初の準備は、母への手紙です。
父を亡くし80代後半となっても一人で炊事、近場への買い物なども難なくこなしていました。もし私の癌の病のことを伝えると、おそらく人一倍心配性の母は、日夜、仏壇に向かい、更には夜も眠れない日々を送ることになるであろうと思われ、それ故、母には私のことは内緒にすることにしました。

しかしある日に私の命が尽きたときに「何故話さなかったのか」と残る家族を責めることになるのではと不安になりました。そこで私は最初に母宛の手紙(それを遺書というのかもしれませんが。)に私の気持ち、伝えられなかった理由、またそのことで残された人達を責めたりしないように等との思いを書き残しました。しかし結局は徒労に終わりそうです。

 4年経過したある日、母は家の前で転倒し救急車で病院に運ばれる騒ぎとなりました。医師との相談の上、このまま一人暮らしをさせることは困難と判断し、また痴呆の症状も出始め、施設への入所を勧めました。母は直ぐに入所に納得したものの、その後毎日のように「家に帰る」と荷物をまとめて私達が迎えに行くのを待っている状態で困らせました。痴呆により、私が母に抱くイメージも崩れ、その変化に対し、私が声を荒げてしまうこともありました。その様な状況の折、私の肺炎等による入院や症状悪化もあり、私自身の与命にも不安になる中、意を決して私の病のことと大変難しい状況下にある旨を告げました。

 すると母は「人は誰しもいつかは死を迎えることとなる。最後は痛くないようにしなさいよ」と呆気にとられる返答です。痴呆のこともあり、私の話した内容を理解していないのか。はたまた90歳を過ぎた老人の卓越した心情なのか。と困惑しました。
「今日の話を明日は忘れているのでは」と話を振ってみると「息子の病気のことを忘れる親はいない」との返事でしたが、数日後の面会時に再び私の病の話をするのですが、どうも母の反応は乏しく、やはりすっかり忘れているようです。「まあこれで良かったのかもしれない」と思う反面、「何も解決していない」と複雑な心境です。

母は年中、昔のように「風邪をひかないように」との私への心配な思いは続いています。現在93歳となりますが、私より身体的には何も問題なく元気で過ごしています。以前は1日おきに洗濯物とお菓子等を持って家の者が室を訪れ、短い時間ながら話をしていたものの、コロナ禍の中で特に老人施設においては長く面会禁止の状況が続いています。淋しいでしょう。何か楽しみでもあるのでしょうか。昔のように一緒に私の病のことでも心配してくれればと思うこともあります。また母を看取るつもりが逆に看取られるかもしれない無念。親より先立つ程の親不孝はないと思います。
家内は「二人で母を見送ろう」と言ってくれていますが。

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