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AIのなんとなく嫌なところを挙げていく。

こんにちはJagiです

AI時代をテーマに記事を書いていると、AI推進派のように扱われますが、反対でも推進でもなく、「まぁ、そうなるよね」という気持ちで記事を書いています

だから結構AIに対してネガティブな印象も持っているので、今日はそれを挙げて、何となく自分の考えを整理したいと思います

一番気になっているのは職業スキルの陳腐化です
絵師の技術、士業の知識、プログラマーの経験、5年前までなら、代替不可能な、個人が磨き上げたスキルだったものが、ほんの数年で、AIを使いこなす、ポッと出の人に労働市場を荒らされる

人生をかけて、数千時間を投じて手にした技術が、たまたま、AIのワークとフィールドが重なってしまっただけの不運で陳腐化する

当事者の悔しさを思うと、人類にどれほどの恩恵があるとしても、許容できない問題だと感じています

二番目は、制御ができないことです
人間より賢いAIになるのにそれほど時間はかからず、今年か来年には、大半の人類より賢くなり、その翌年には、AIが何をしているのか真に理解することが出来る人間はいなくなると思います

その時、何を考えてるかわからないやつが、身の回りのことをウロチョロやってるわけですから、怖いと感じますよね。よく映画とかで、問題にされているのもこの点です。

解らないものは怖い。
そりゃ人間の本能です

もっと怖いのは、人間がわかる程度の情報だけ表に出して、それ以外の情報を隠して処理するようになることです

そうならない理由が無いので、人が心の中で考えるように、AIも人に見えないところで好き勝手に考えるでしょう。

そうなったらお手上げです。

三番目は、感情が無いところです
私はよく、エスカレーターのような自動で動く機械を見ていると、そこに洋服が挟まってゆっくりと潰される怖さを感じます

もし機械に感情があれば、危ない!とか、このままじゃ死んじゃう!って緊急で止まってくれると思うんですよね。でもそれが無い。急いで潰すわけでもなくただ淡々と、無慈悲に肉体を巻き込んで磨り潰す

その後も停止することなく、人を運び続ける・・

怖すぎません?

AIにも同じ恐怖を感じます。

救命救急の現場で、命の選別をするとき
コンクール直前のピアニストの手の骨折を治すとき
ワールドカップ選考中のサッカー選手の膝を治すとき
ラストステージ目前のベテラン歌手の声帯ポリープを切除するとき

AIなら、治癒する確率が最も高い治療を選び、予後は、その次

死ぬよりもつらい選手生命の終わりに思いを巡らせることなく
魚の目の芯を取り除くように、治療を終えるでしょう

合理的で、結果的に助かる人の数は増えます。体の予後は良いでしょう。表面上のテキストでは、心理的配慮をして話してくれるでしょう

でも、将来の健康より、明日の数時間が大切という想いは、伝わらない
どこまで行ってもただのプログラムで感情はない

あらゆる場面で、このような現実をAIから叩きつけられたら、合理性のかけらもない、感情だけの決断で突っ走って、いろいろあったけど、後悔はありません!というような太く短い人生論は無くなるでしょうね。

最後に・・
総じて私が嫌だというか、悲しいと感じるのは、AIの台頭によって最終的に人は奇跡を感じたり、信じたりすることが出来なくなると思ってしまうことです(私的見解)

人間一人一人の不確実性が干渉しあって、計算外の結果を生むことが奇跡だと私は感じています。そんな奇跡を信じるから、どんな絶望的状況でも、希望が生まれるとも思っています

それに対して、AIではどこまで行っても計算上の想定内の結果しか生みだしません。計算結果が出れば、それは多少の幅はあっても、確定した未来になるのです

だから、AIの登場により、人類はやがてすべての希望を失うというのが、現時点での結論です

あくまでも個人的な意見で、最初に述べた通りいろいろ考えると「まぁ、こうなるよな」程度のものですから、戯言と思って聞き流していただければと思います

最初は、何となく嫌いなところを挙げるか・・くらいの気持ちで書き始めましたが、読み返すとメチャクチャ嫌いで絶望的ですね。今度は何となく好きなところも書いてみようと思います

ではまた。


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