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【翻訳資料】一から学ぶランチェスターの法則「集中の原則」(1916)

イギリスの技術者フレデリック・ランチェスターは軍事学の理論研究に数理モデルの方法を持ち込んだことで知られています。1916年に出版した著作『戦争における航空機(Aircraft in Warfare)』は、将来の戦争における航空機の意義を説いたものですが、その中で戦闘過程を定式化する損耗方程式を提案しました。

現在ではランチェスターの法則、あるいはランチェスター方程式などと呼ばれていますが、これは一次則と二次則という構造が異なる二つのモデルの総称です。ランチェスターの一次則は敵と味方の部隊が同数の損害を与え合う過程を記述しています。しかし、ランチェスターの二次則では、敵と味方の戦力の大きさの違いに応じ、相手に与える損耗の大きさにも違いが生じることを示しています。それぞれが想定している交戦の形態は大きく異なっています。

現代の軍事学の研究者は、このモデルをさまざまな方法で拡張し、戦闘の解析に利用してきました。戦闘部隊を編成するとき、質と量のバランスをどのようにとることが最適なのか。敵と味方が攻撃、防御、後退行動という3通りの戦術行動のどれを選択するによって戦闘過程がどのように変化するのか。情報優勢が戦闘の結果に及ぼす影響はどれほどのものか。軍事学の研究者は、こうした問いに答えるために、ランチェスター方程式を利用してきました。

ここでは、ランチェスターの著作でランチェスター方程式が示された「集中の原則」の一部を訳出しています。これは兵力の分散によって、本来であれば勝てるはずの戦闘も勝てなくなる危険があることを説いたものです。議論の途中で方程式が出てきますが、数式を読み飛ばして頂いてもある程度は理解できると思います。ただ、基本的な数学程度の知識があれば理解できる内容なので、ランチェスターの議論をより深く理解できるように簡単な訳注で解説を加えました。InternetArchiveで公開されているLanchester, F. W. (1916). Aircraft in Warfare: The Dawn of the Fourth Arm. London.を底本として使用しています。


「集中の原則」(1916)

フレデリック・ランチェスター
武内和人 訳

 ここでいったん立ち止まり、すべての軍種において戦争の科学と実践の基礎となる本質的な考察を行う必要がある。あらゆる戦略に通じる重大な問題の一つが集中の問題である。この問題では、交戦国のあらゆる資源を一つの目的、あるいは目標に集中させること、しかも陸海軍を問わず、その主力を作戦地域の一点に集中させることを考えなければならない。集中の原則は戦略の原則であるだけでなく、それは純粋な戦術行動にも等しく応用されるものである。その原則の物質的な解釈は厳密な科学に基づいて理解することができる。数多くの有名な著者がこの主題を取り上げているが、そのために議論が少しばかり混乱している。この混乱が生じている原因は、精神的な意味での戦力の集中、つまり目的を絞り込み、明確化することと、物質的な意味での戦力の集中という二つの異なる意味が一つの一般的な用語で表されているためである。人々は集中という言葉に、何か神秘的な意味が込められていると信じたくなるところだが、実のところ、この言葉を使うときには、まったく異なる二つの概念を表しており、それらの根本的な原則に共通するものは何も存在しない。

 物質的な意味での集中が重要であることは、攻撃と防御の手段に関する、ある基本的な原則から導き出せる。このような意味で集中の価値とその意義を正しく理解するためには、集中が何であるかを明らかにすることに意識を向けてはいけない。その背後にある根本的な原理に注意を払い、その基本的な意味を明らかにする研究を行い、確かな論拠を得なければならない。

古代と近代の戦闘状況の比較

 古代の防御と近代の防御との間には大きな違いがあるので、その違いを利用することで問題の要点を説明することにしよう。文字通り兵隊が武器を交えて戦っていた古代の戦争では、防御の動作は積極的、直接的なもので、敵の剣や斧による斬撃、打撃を自分の剣や盾で防いでいた。近代の戦争では銃撃に銃撃で応じており、小銃射撃を小銃射撃で、砲撃を砲撃で防いでいる。ただ、近代の軍隊は防御の手段が間接的なものである。簡単に述べると、敵が味方を殺すことを防ぐためには、味方が先んじて敵を殺す必要がある。しかも、それらの交戦は実際には部隊として行う集合的行為である。このような相違があるので、集中があらゆる時代で常に重要だったわけではなかった。古い時代の戦闘では、戦略計画や戦術行動によって、ある前線の範囲には、ほとんど同数の兵士しか投入できず、一名の兵が一名の敵兵と戦うことが一般的であった。たとえ将軍が戦場で敵の2倍の兵力を集中させたとしても、(戦線が分断されていない限りは)任意の時点で武器を使う兵士の数は敵と味方でほとんど同じであったといえる。しかし、今日の戦闘では、この状況が一変した。近代の射程が大きな武器、つまり火器が使われるようになったので、より多数の兵力を集中することが、直ちに前線に展開する部隊に優位をもたらし、数的に劣勢に立たされた部隊は一対一で戦うよりも、激しい敵火に晒されることになる。この違いは一般的に考えられている以上に重大であり、また問題の全体を理解する上で重要な意味を持っているので、さらに詳細に検討しよう。

 このように古代と近代の戦闘を比べているのは、古い時代に集中の利点がなかったことを示唆するためではない。例えば、軍が壊滅し、敗走に至ったとき、勝者の軍に数的な優勢があることは間違いなく重要なことだった。戦闘間にも背後に大勢の兵士が控えていることは、勝敗に大きな影響を及ぼした。さらに、弓矢やクロスボウは、一部の敵兵に味方の攻撃を集中させるという意味で、その性能には限界があったが、低威力の火器と同じ効果をもたらした。しかし、以下の考察では単純化のため、古代と近代の戦場の違いを強調し、それらを比較することで説明したい

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