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近代戦の戦術を基本基礎から学べるドイツ軍の教範『軍隊指揮』の紹介

戦術(tactics)とは、戦場における部隊の配備、移動、運用をいいます。軍事学では軍隊の運用を分析する単位として、戦術の他に戦略、作戦がありますが、戦術は作戦の下位に位置づけられ、最も小規模な部隊の行動を扱います。だからといって、研究対象としての価値が小さいわけではなく、軍事学の最も基礎的な研究領域と言えます。

第一次世界大戦(1914~1918)はさまざまな側面で戦闘のパターンを変えた画期的な戦争でした。ドイツはこの戦争で敗戦国となり、イギリスやフランスから軍備制限を受けましたが、将校は戦史の編纂や戦術の研究を続けていました。その成果の集大成となったのが『軍隊指揮(Truppenführung)』(1部、1933年;2部、1934年)でした。第二次世界大戦(1939~1945)を通じてドイツ軍の戦術の教範として読まれ、今なお高い評価を受けている文献です。

ドイツ国防軍陸軍統帥部陸軍総司令部編、旧日本陸軍陸軍大学校訳、 大木 毅監修『軍隊指揮:ドイツ国防軍戦闘教範』作品社、2018年

『軍隊指揮』の原型は1919年にドイツ陸軍部隊局長に就任したハンス・フォン・ゼークトが公布した『連合兵種の指揮と戦闘(Führung und Gefecht der verbundenen Waffen)』(1部、1921年;2部、1923年)に見出すことができるというのが通説になっています。これは戦間期のドイツ軍が第一次世界大戦で広く用いられた陣地戦、塹壕戦から脱却することを目指した教範であり、運動戦、機動戦によって任務を完遂する戦術の原則をまとめたものです(こちらの翻訳も紹介した文献に収録されています)。

ゼークトの教範の1部が公布されてから10年が経過した1931年に、ルートヴィヒ・ベックヴェルナー・フォン・フリッチュカール=ハインリヒ・フォン・シュテュルプナーゲルがその改定に従事し、出来上がったのが『軍隊指揮』でした。

さまざまな内容が盛り込まれていますが、研究者の間でよく指摘されているのは、委任戦術(Auftragstaktik)を全面的に取り入れていることです。委任戦術とは、それぞれの部隊指揮官が、上官である発令者の意図を踏まえ、目の前で発生している状況を自分で判断し、それから何をなすべきかを決心することを標準的な意思決定の手順としたものです(参考:モルトケが語る訓令戦術(Auftragstaktik)のエッセンス)。

この委任戦術を実行するには、指揮官が教令に盲従せず、規定の手順に固執せず、独断専行さえも必要とされます。そのため、教範の冒頭で「用兵は一の術にして、科学を基礎とする、自由にして、かつ創造的なる行為なり」と述べられています(434頁)。そのため、『軍隊指揮』では、あらゆる状況を想定した上で、指揮官に問題を解決する方法を押し付けることを慎重に避けています。戦争は絶えず変化するものであるため、新たな交戦の手段が出てくることを指揮官は想定しなければなりません。教令に示した原則も状況に応じて活用しなければならないと述べています(同上、434-5頁)。

『軍隊指揮』の冒頭では、「人格」の適性が必要であることが述べられています(同上、434頁)。つまり、「敵前において、沈着、決断および勇猛を示す」ことができなければならず、また「部下の心情に通じ、また、その感情と思想とを理解し、かつ、これに普段の配慮を加え、部下の尊信を受け」なければなりません(同上、435頁)。最前線で委任戦術を実行するには、このような優れた人格特性を持った人材に対して高度な戦術教育を施しておく必要があります。

『軍隊指揮』は戦術教育で重視すべき基本基礎を巧みに体系化した教材として価値があり、現代においてもその意義は失われていません。ここでは、例として遭遇戦に関する記述を見てみましょう。

遭遇戦とは、行進中の部隊が不意に、あるいは予期した上で衝突し、そのまま周到な準備を行わずに始まる戦闘です。敵情が不明のまま進行する戦闘ですが、『軍隊指揮』では「遭遇戦においては、成果は、敵の機先を制し、かつ、敵をして、われに追随せしむる者に帰す」と述べています(562頁)。ここで述べている通り、遭遇戦の鉄則は先制であり、敵情が判明するのを待ってから部隊の行動を定めることは「例外に属する」とあります(563頁)。

このため、遭遇戦では部隊主力の前方を掩護するために先行する前衛の初動が非常に重要になります。『軍隊指揮』によれば、前衛の最適な初動として「決然たる要点獲得」のための攻撃がしばしば成果を上げると述べていますが、もし敵の部隊が優勢である場合、あるいは前衛の現在地があまりにも地形の観点から見て不利である場合には、ある程度の後退も考えられると述べています(同上)。

素直な読者は、このような後退を認めることは、先に述べた先制の原則に反しているように読むかもしれません。しかし、『軍隊指揮』では「もっとも確実なる最初の基礎は、戦闘準備における先制」であり、先んじて戦闘準備が完了すれば、敵が不利な態勢で我が部隊と交戦せざるを得なくなると述べています(同上、562頁)。例えば、戦闘のために部隊が展開できない狭い場所で、敵が圧倒的な火力を使用してきたならば、前衛の指揮官は部隊を離脱させ、より有利な位置で戦闘準備を完了することを目指すことが妥当であると考えられます。

『軍隊指揮』は機動戦の実施を想定した教範ではありますが、決して攻撃に一辺倒だったわけではありません。陣地防御に関する記述に目を通すと、基礎的な事項が満遍なく網羅されていることが分かります。陣地防御の成否は火力の効果によるところが大きいため、可能な限り射撃の効果を最大にするように陣地を設定しなければならないことが原則として述べられています(同上、582頁)。ただし、陣地防御では、敵が攻撃せざるを得ないような地形を選び、陣地を構築する必要があります。さもなければ、敵は不利を承知で正面から我が防御陣地を攻撃するはずがありません。敵が防御陣地を迂回しようとする場合については、これを攻撃的方法で対処する必要が生じるため、防御陣地を選定するときには周囲の地形や経路をよく分析しなければなりません(同上、586頁)。

防御陣地の編成については、前進陣地、戦闘前哨、主戦闘地帯に区分されます。前進陣地は防御陣地の位置を偽騙するための陣地であり、敵の攻撃部隊を前方で展開させておき、砲兵の射撃に必要な観測も行います(同上、591頁)。戦闘前哨は、主戦闘地帯が戦闘準備を完了するまでの時間的猶予を確保するための部隊であり、主戦闘地帯の位置を欺くことができます(同上)。戦闘前哨がどこに陣地を置くべきなのか、どれほどの兵力で編成されるべきか、どれほど長く持久抵抗すべきかは状況によって異なるため、その基準を一概に示すことはできません。戦闘前哨は必ずしも防御に徹すればよいとも限らず、戦況によっては敵の攻撃準備を妨害し、また敵情を探るために、限定的な攻撃を加えることもあります(同上、592頁)。

主戦闘地帯に敵が進入すれば、事前に作成した射撃計画に基づき、火力を集中発揮します。「敵主戦闘地帯に近接するに従い、ますます火力を濃密ならしめざるべからず」とあるように、戦闘の段階に応じて歩兵と砲兵の火力を計画的に運用することが重要だとされています(同上)。もし敵が主戦闘地帯の一部に突入することに成功したならば、付近の部隊が逆襲を行って敵を撃退しなければなりません(同上、596)。これに失敗した場合は、後方に配置しておいた予備隊を使って反撃すべきか、あるいは前線を再構成すべきかを考えなければなりません。

以上に述べたことは、『軍隊指揮』のごく一部の内容にすぎませんが、戦闘における部隊の配備、機動、運用について理解を深めることができることが分かると思います。戦前の日本で書かれた教範としては旧陸軍の『作戦要務令』が有名ですが、『軍隊指揮』はさらに踏み込んだ解説を盛り込んでいると感じます。非常に専門的な著作であるため、軽い読み物としては不適当でしょうが、これから戦術を詳細に学ぼうとされる方ならば、手に入れる価値がある一冊だと思います。

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