換気扇・危機一髪
Gちゃんの見守りも兼ねて、私は実家の家の中の片付けを再開した。
ゴミ溜め一歩前の小屋をなんとかしたかったが、ここにはGちゃんの大事な大工道具がところ狭しと詰め込んであるので手が出せない。
Gちゃんのお宝満載の小屋は後回しにして、次に気になっていたのは台所の換気扇と調理台下、流し下の開き、床下収納、それと、以前から、
『これはもう、トイレごと捨てるっきゃない!』
と、私が見放したトイレである。
換気扇は20年間無掃除である。
さきの冬と夏にあたうる限り努力したが、ぜんっぜん綺麗にならなかった。流し下と調理台下には40年分の醤油、酢、酒、ソース、油などが、一升瓶やらペット容器やら、空容器、使いかけ、未使用と、ざっと見て200以上ため込まれている。
さらに床下収納にも、いつのものだかわからない、真っ黒な梅干しのビンや、何が入っているのかわからん謎の容器がぎっしり詰め込んである。
業者さんに電話をして掃除を依頼し、見積もりに来ていただいた。
換気扇のフード及び周辺は特殊な薬剤を使えば拭き取れるが、換気扇には数ミリの厚さで油分やらなんやらがこびりつき、
「羽根を解体して洗わないとこれは無理ですね」
業者さんがヘラでこそぎ取った汚れはまあ……「あかんわ」なレベルだった。
「このまま使っていると調理してるときに、換気扇の軸部に貯まった酸化油の汚れが原因で自然発火するかもしれないですね」
さらに換気扇の下側、金属の油受けにも、汚れが貯まって、腐食して穴があいているため、
「この状態だと、今までも垂れて鍋とかに入ってたんじゃないかと思いますよ」
まじすか…。
換気扇掃除とトイレ掃除、2作業で料金は出張代込み3万円。
Gちゃんも納得したのでお願いすることにした。
腐食した油受けの部材を用意できたらすぐ作業、1週間後と決まって業者さんが帰られ、私も帰宅した。
家についたばかりの私に、Gちゃんが電話をよこした。
『換気扇、頼んだからよ』
「うん。……うん? 頼んだって何?」
『20万だってよ』
はい?
「何言ってんの、3万だよ」
『さっき業者が来て、交換しなきゃだめだからって、言ってたぜ』
「言ってないよ、そんな……」
そして、ふと、気づいた。
「Gちゃん、20万の話ってもう契約しちゃった?」
『した』
「契約書、そこにある?」
ある、とGちゃんは言う。
「電話番号、見えるかな、読めたら教えて」
『見えねえよ。なんだよ、オメエが頼んだ業者だろ? 電話番号がなんだっていうだ』
違う。
私が頼んだ業者さんじゃない。
他の、どこだかわからない業者が、Gちゃんから契約を取っていったのだ。
「いいから見て! 今すぐ見て!」
私の剣幕に驚いたのか、ぶつくさ言いながらもGちゃんは契約書を探しに行き、しばらくすると、
『えーと……なんだ、こりゃ、ちいせえ字で、うーん……』
たどたどしく文字を読み上げていく。
『3だか8だかわかんねえな』
「うん、いいよ、3か8ね、大丈夫。次は?」
『7か、1か……こりゃ6かな5かな』
「はいはい。次は?」
という具合に聞き出してすぐに電話を切り、書き出した数字を睨んだ。
3と8。
7と1。
6と5。
順番に組み合わせて考えること一分。たぶん、この並びだろうと目星をつけて電話をかけてみた。
『はい、△△住設です』
やった! 一発だ。
「すみません、今日の午後○町○丁目で換気扇交換の契約をした会社のかたですよね?」
紋切り口調で切り込んだ。
『はい? どこですか』
「ですから、○町○丁目です。老人ひとり、いたはずです、換気扇交換20万円で契約したと言ってます。契約取り消しでお願いします」
『あー、あります、記録が……外回りの者が訪問して、交換してほしいってことで、契約した換気扇工事ですね』
「それです、契約はなかったことにしてください!」
私の剣幕に相手はたじろいだ様子で、しばし返事がなかった。
「父は独居で、調理はしません。換気扇の出番もないんです」
『はあ?』
「ですから、清掃業者に換気扇掃除だけ頼んであるんです。掃除は来週と決まって、業者も私もさっき、帰ってきたんです。そのあとでおたくの外回りさんが来られたんじゃないんですか? 一人暮らしの年寄りの家に来て20万もするような換気扇交換を短時間で契約するようなこと、やめてください、困ります!」
爆撃弾のようにバリバリ言うと、
『ちょ、ちょっと待ってください、うちはそんな、詐欺みたいな会社じゃありませんよ』
言いながら、どことなくほがらかな感じで笑った。
『GBさんのお宅ですよね? 家を建てたときに換気扇をつけたのはうちです』
「え……えっ?」
『いやー、すごいね、お嬢さん?』
「いえ、ああ、はい、そうです」
お嬢さんではなくオバハンだが。
自分で自分の剣幕が恥ずかしい。
「すす、すいません、ごめんなさい、私ったら」
『心配はわかりますよ。こういうご時世だものね』
「はい……」
『安心してください、私、○林と申します。契約の取り消しはたしかに承りました。何か不都合があったら、いつでも電話してください』
「あ、ハイ」
『それと、うちの若い者にも、契約取るときは家族にも了解を得てからにしろと注意しときます、すいませんでしたね』
丁寧に謝られて私のほうがワタワタしてしまった。
……とまあ、竜頭蛇尾なことになったが、このことはGちゃんの身の回りを考え直す、ひとつの教訓となった。
Gちゃんは家族のためには一円でも出し渋る人だが、親戚や他人から、
『おじさん、財産あるんだね、すごいね』
という具合に、ちょっとくすぐられると、いたって弱くて、財布の口が超ゆるいのである。
かつておだてに乗って親戚に30万ほど貸し、Bちゃんと大げんかになったことがあった。
仲裁にかけつけたので私も覚えているのであるが、この後30万は返ってこなかった。
でもGちゃんは、
「あれはくれてやっただ」
うそぶいて突っ張らかり、
「俺の金だ。オメエが口出すことじゃねえ」
「何さアンタだけで稼いだお金じゃないんですからね、たいして持ってるわけでもないのに見栄張ってどうすんのさ」
喧嘩+暴力の結果、Bちゃんから電話がかかってきて、私がかけつけてまた仲裁。
ここ数年、GB引きこもり体制となり、さらにBちゃんが入院してしまって、Gちゃんの蓄財っぷりを褒める人はいなくなった。
おそらくGちゃんは自慢したくてたまらないのだ。褒めてもらいたくて金の話題をしばしば口にする。
冷たいムスメ(私)が、
「お金がたくさんあったって、必要なときに使わないなら、ただの数字だ」
なーんて言うから、まあ、満たされないものがあったのだろう。
換気扇のことも、清掃業者と住設業者を混同し
『二十万円ぽんと払える俺ってカッコいいべ』
のノリで、あっさり契約したものと思われた。
そういえば夏の終わり頃、2度目の手術を終えて退院した後に、Gちゃんはなにかというと金融関係の営業さんを家に呼びつけ、保険をどうするだとか、定期の満期がどうだとか言って、すごいですねえと笑顔で褒められて、ご満悦だったなと思い出す(小説なら伏線だ。恐ろしいことに現実でも伏線だった。のちに金融と保険で重大な問題に直面する)
銀行さんも信金さんも保険勧誘さんもゆうちょさんもかんぽさんも、顧客から少しでも多くの契約を獲得するために、褒めるわおだてるわ……当たり前である。あちらはそれが仕事なのだ。彼らは決してGちゃんを尊重しているわけではない。
また、一度ならず電話で、
『東京のマンションを投資目的で買いませんか』
アヤシイことこの上ない勧誘電話の相手と、Gちゃんが熱心に話しているのを耳にした。
「詐欺に決まってるでしょうが」
相手にしなさんなと言う私に、
「俺は詐欺なんかにかかりゃしねえよ」
と言いつつ、
「さっきの電話は詐欺じゃねえ」
だから詐欺だっつーの。……というようなこともあった。
Gちゃんの財産の全容を私は知らないし、どの銀行にどれだけのものが預けられているのか、正確にはわからない。
Gちゃんの自慢話から「これくらい……の額なのかな?」想像するだけだ。
通帳はGちゃんが管理している。
『管理できている』ことがGちゃんの支えでもあるのだ。支えをむげに取り払ってはいけないし、そもそもGちゃんはお金に関しては家族でも信用していない面があるから、私も管理に手出しをしなかった。
しかしGちゃんがこういう状態になった今、私の知らないところでなんらかの事件、たとえば詐欺……詐欺の他に何があるのか、ようわからんが……に、巻き込まれたときに、私が気づかず、気づいても突き止めようがなく、被害を受ければ受けっぱなし、の可能性があるのでは?
……Bちゃんのときとはまた違って危ないことになってきた。
Gちゃんの認知症の状態では、できないことが増えていくが、社会には
「できないままに通用して成立してしまう」
こともけっこうあるのだ。
そしてGちゃんは認知症が進めば進むほど猜疑心に満ち、警戒心を強めて、金庫の守りを固くするあまり、鍵の保管場所を変えて、結局は鍵の保管場所を忘れるという、どうしようもない状況にある。
私の心配をよそにGちゃんの認知症は進んでいく。そして、認知症になっても、暴言頑固・意固地に虚栄、少しも変わらないGちゃんであった。
冬の陣・布陣 に続く
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