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Bちゃん施設に入る

Bちゃんのリハビリが始まった。

立ったり歩いたりはできないが、ベッドに横たわったまま足を上げたり、腕を上げたり、少しだけ座ってみたり。ちょっとずつ、身体機能が回復していく。

入院前の状態には戻れないし、自力歩行はたぶん望めないだろう。
それでもBちゃんの表情は日々明るくなっていった。

看護師さんには本当によくしていただいて、ケアのあいだに笑い声がたつ。
Bちゃんは素直にケアを受け入れて、必ずお礼を言って笑顔になる。

「Bさんの笑顔に、私たちも癒やされるんですよ~」
そんなふうに看護師さんに言っていただいて、私なんか単純だからもうジーンとしてしまう。Bちゃんも嬉しそうだった。

手はまだかなり震えるものの、スプーンを少しだけ使えるようになった。
髪もざっとなら、とかせるようになった。
仕上げ磨きはしてもらうが、歯も磨けるし、暖かいタオルを渡されれば顔も拭ける。
何かができるたびに看護師さんがものすごく褒めてくださるので、不思議や、Bちゃんは入院前よりむしろ生き生きとしてきて、認知症の症状も軽減したやに見える。

まわりの人々の笑顔に囲まれる毎日が、こんなにもBちゃんを元気にさせるのだと、今更のように驚く。

1月中旬、Bちゃんは車椅子に座れるようになり、リハビリ室でトレーニングを受けるまでに回復した。
さらに、驚くべきことに、長年、Bちゃんを苦しめてきた「高血圧」「高血糖値」「高コレステロール」がきれいさっぱり、治ってしまった。

唯一、これは若いときの大病の後遺症で、腎臓機能だけは注意を要するのだが、それ以外は、完治してしまったのである。

10月の手術のあと二か月あまりに及んだ点滴生活で、贅肉が全部落ち(筋肉も減ったけど)、病院での三度の食事で健康になり、血管内もきれいになったのだろうか?

それでこのころ

「三途の川を泳いで帰ってきたね、Bちゃん」とか
「悪いモノは三途の川に全部捨ててきたんだね」とか
いろいろ言ってみると
「やだよ、この子は!」
Bちゃんはコロコロ笑った。
冗談がわかる。そして笑う。
危ぶまれたほどには脳機能も衰えていない。
むろん物忘れはあるのだが、これも15分は余裕で保つ。

さきの夏の夜、私と話していて誰だかわからなくなって錯乱したときのような、大きな混乱はなく、Gちゃんに殴られて、自宅のこたつでぼうっとしてうつむいていたときのような暗さもない。

ショートステイ直後に私を罵倒したときのような、妙な興奮ももちろんなくて、穏やかで平和そのものの言動。
まさに、すごいぞBちゃん、奇跡の復活! である。


そしてGちゃんはというと。
Bちゃんとは逆に、さらに悪くなっていった。

もともと、人の話を聞かない人、だったが、このころは「聞いてもわからない」人になっていた。

同時に、生来、人のためには何もしない人だったが、このころはそれを通り越して「余計なこと以外、何もしない」状態になっていた。

Bちゃんが歩けないこと、Bちゃんにオストがあること、カテーテルをつけていること、全部、わからないし覚えられない。

施設ではBちゃんのベッド脇で、
「こりゃあ何よ、何つけてんだ」
カテーテルのチューブを引っ張って引っこ抜こうとしたのも一度や二度ではない。
「引っ張っちゃいけないんだよ」
引き留めると、不機嫌になって、
「くっだらねえ、意味ねえよ」
意味のわからないことを言うし、Bちゃんをベッドから下ろそうとする危険行為もたびたびあった。

Bちゃんの透析が終了したときには、
「透析ってのは一生やるもんだ。俺はよく知ってんだ(何を?)。透析をやめたってぇのはな、もとっから透析なんか必要なかったのに、やつら(病院)が儲けるために、余計な治療しやがっただ」

とまあ、根拠ゼロの悪態の限りだったので、私はGちゃんを病院へ連れていくのをやめることにした。

すると数日後、私が出かけるちょっと前に、Gちゃんが電話をかけてきて、

『今日は病院へ行かねえのか』
というから、
「行かないよ」
と嘘をついたら
『じゃ、自転車で行くべ』
ご近所から空気入れを借りてくると言う。
前後輪とも私が空気を抜いてしまったので、走れなくなっていた自転車である。
「今日は雨降るよ。やめたら?」
『なんだ、そうかよ』
天気予報は晴れ。危険防止のためなら嘘も方便。

とまあ、騙し騙しして日が過ぎて月末。
Bちゃんは退院してそのまま施設に向かった。
Bちゃんのために新しく買った車椅子での移動だ。

病院からそう遠くない距離だったので、施設までは徒歩で車椅子を押していった。
晴れた日の昼さがり、静かな住宅街の道を、母の車椅子を押して歩く。
Bちゃん、生きててくれてありがとう。なんだか泣きそうだった。

前回のショートステイのことや、最初の数日、吠えたり騒いだりしたことを、Bちゃんは覚えていない。
それでも、部屋に入るとなんとなく記憶がよみがえるのか、
「アタシ、ここに来たことあるわ……」
ぽそっと呟いたりした。

自分が何故、病院に長くいたのか、自分の身体に何が起きたのかを理解できなくても、一年以上前のショートステイを覚えている。
ここで過ごして、なんとなく楽しかった、その記憶は長く残るのだと思われた。

帰宅願望はあるけれども、激しい抵抗はなく、文句なども出ない。
施設も病院の延長と感じて、ここでしばらく暮らすのね。とわかっているらしかった。

入所しても数日のあいだ、私も通う必要があった。
衣類やその他のこまごましたものを届けたり、市立病院へ定期的に検診に行ったり、以前のかかりつけ内科医に行ったり。

日々は過ぎていった。

ところが……Gちゃんである。

この時期、Gちゃんは今まで以上にがっちりとカネの守りを固める体勢に入った。
施設の入居金の金額に驚き、おそれをなしてしまったのである。
入居金はBちゃんの口座から払ったので、Gちゃんのふところは痛んでないのだが、
「いったいいくらかかっただ」
何度も私に聞き、「500万」と私が答えるとそのたびに、
「高い、ぶったくりだ」
と憤慨することしきり。

「で、毎月いくらかかんのよ」と聞くから、
「あれこれ込みで25万くらい」と答えると、
「寝かしとくだけなんだべ? 高すぎる」
さらにブリブリ怒って、しまいには、
「施設から出せ。家へ連れて帰るだ」
と言い出した。

寝かしとくだけじゃないということは、Bちゃんに会いに施設へ行ってわかっているのに、こういうことを言うんである。

Bちゃんの体調や、毎日の様子など、まったく、気にかけてはいない。
ただひたすら「カネが惜しい、カネがかかる」くどくど言い続け、これには参った。

おまけに、Bちゃんの通帳と印鑑を、入居金支払いが済んだあと、Gちゃんが「返せ」
と言い張るのに負けて、返してしまったのがいけなかった。

Gちゃんはこれを死守して金庫から出そうとしない。
なので、Bちゃんの入居に必要な品々を買い足すことができなくなった。
施設からは、
「衣類をもう数日分、持ってきてください」
「雑貨の何々が足りません」
等々、次々と電話がかかってくる。
施設にいても、かかりつけの医への通院は続いている。月に数回の介護タクシー往復代金、診察費も必要だ。
例によって私は仕事を止めていたし、そもそもGBの介護と通院に援助をしてきて蓄えが心もとなくなくて、そう簡単に調達はできない。
手をつけないと決めているメイン口座を除けば、自由裁量で使える口座の残高はゼロが5個というレベルまで減ってしまっていた。

しかたがないので、前回ステイのときと同様、蔵書とCD、DVDを売りとばしたが、ほとんど焼け石に水である。私の書架はこうしていっとき、スカスカになった。

そのころのGちゃんはといえば、
「バーサンが毎晩、家に帰ってきてるだ」
「看護師も一緒に来て騒いでる」
という幻覚を毎日、見ているようだった。

Gちゃんの幻覚にこのころ登場していた面々は、おおむね家族だ。あとは親戚、それとプロ野球の選手(何故なのかは謎)である。
彼らがとっかえひっかえ、夜中に家に入り込んで、迷惑なほど騒ぎたてているらしかった。

「あいつら、俺の金庫、狙ってやがんだ」
被害者妄想のほうも相変わらず強い。

「Bちゃんの身の回りのものが足りないから通帳と印鑑、貸して」
という私の再三の催促にGちゃんは抵抗し続けた。

加えて、施設でのGBの面会もまた、悩みの種だった。
Bちゃんの面会にGちゃんを連れていくと、Gちゃんは共有スペースをいやがって、なにかというとBちゃんを個室へ連れていきたがる。
個室に入るや否や、
「バカが、カネばっか食いやがって」
「とっとと出てこい、こんなところ」
「歩こうと努力しねえからオメエはダメなんだ」
以前と同じように罵倒の連続であり、Bちゃんのカテーテルを引っこ抜こうとしたり、車椅子からムリヤリ立たせようとしたり、Bちゃんが座っているのに車椅子をたたもうとしたり、車椅子のストッパーを勝手に解除したり、自分の目薬を持って行ってBちゃんに渡し、
「これを毎日飲め、ちったあ良くなるだ」
もう、無茶苦茶のしほうだいである。

しまいには、
「この○○ババア、早く◯ねばいいだ」
とまで言い出した。
幸いGちゃんはこのころから滑舌が悪くて、Bちゃんのほうは耳が遠くなっていたので、耳に入らなくて済み、まあ良かった……ではあるが……。

認知症が進めば進むほど、本性というか、Gちゃん本来の「我」が剥き出しになって、いよいよ悪辣になっていく。

権勢欲、金への執着、命を軽んじ、暴言を吐く。

怖いなあ……。傍で聞いている私も慄然とする。

いっそのこと、完全にふたりを引き離したほうがいいかもしれない。
GちゃんはBちゃんを見るたびに怒りを膨らませ、罵倒し、自分の権力下へ引き戻そうとするが、それは当然、かなわないわけで、すると、
「思い通りにならないことだらけ」
となり、怒りと憤りばかり心に残り、積もり積もって認知症をさらに悪い方へ進めてしまうのではないか。

なので私はGちゃんを施設へ連れていくのをやめることにした。

私の送迎が止んでしまうと、Gちゃんはとうとう、自力で1時間かけて施設へ行くと言い出した。

あらかじめ職員さんに、
「Gが来たら、個室へ行かせないでください。Bと2人きりにしないよう、お願いします」
事前にお願いしてあったため、大事には至らなかった。

自力面会の帰路Gちゃんは道に迷い、くたびれ果てて帰宅したらしく、それ以降は単騎出陣をしなかった。
見放し介護の小さな収穫である。

しかしBちゃんの施設入所後数か月を過ぎても、Gちゃんの金庫抱え込み問題は解決していなかった。

お金への異常な執着心が高まる一方、Gちゃん自身の口座の残高確認や諸手続き、記帳などは停滞し、
「見えない、書けない、歩けない」
三重の枷のために、Gちゃんはこのころ、お金ノイローゼ状態となった。

四六時中、残高と引き落とし期日と振り込み日が気になっていて、しかし自分ではどうにもできない。
ついには「寝られねえだ」睡眠障害に陥った。

GBの貯金や保険の運営は、パズルかクイズのように複雑で雑多で、すごくわかりにくい、ということはなんとなく察していた。

さきに金庫の中身を見せてもらったとき、出るわ出るわ、通帳10数冊、あちこちの銀行、信金、ゆうちょ各社の定期預金証券、保険証券、はては国債、他にも色々、どれも半端な少額で預け散らかしている。

なので、金融機関からは次々と「お知らせ」がくる。
何が書かれているのか、Gちゃんには見えない。
苦労して何時間もかけて見る。それから私に電話をかけてくる。

「何か払えと言ってるだ」
と言うから、急いで実家へ行って通知を確認すると、下のほうに、支払いを促すものではないと書かれていたりする。

「どこそこの口座から、○円おろしてこっちの口座へ移すだ」とか、
「引き落としされると残高が足りねえだ」とか。
あれこれ言うが、いざ銀行へ行ってみると、記帳以外に何もすることはない、というような有様となった。

私は一計を案じ、もっとも複雑な預けっぷりになっている「ゆうちょ」と複数かけまくって、理解不能になっている「かんぽ」の一挙解決をもくろんだ。

ゆうちょとかんぽ、職員さんふたりを同時に家に呼び、

「年内に手続きが必要なものはどれか」「振り込み期日」「引き落とし期日」の一覧表を作ってもらった。

その上で、その場でかんぽさんに、Bちゃんの入院に対して支払われる保険金の請求について尋ねた。
かんぽさんは診断書用書類を差し出し、病院の医師に書いてもらってくださいという。

「もうこれでとうぶん、お金のことは何もしなくていいんだよ、Gちゃん」
Gちゃんを安心させ、Bちゃんのメインバンクの通帳だけを選んで、
「これ預かるよ」
「おう」
よし。大丈夫。
帰路、私はすぐさま銀行へ行き、必要額をおろして、その足で、施設から指摘のあったBちゃんのためのあれやこれやをととのえるべく、街へ向かった。

Bちゃんの通帳を私が預かっていることを、Gちゃんはたぶん忘れる。
返せとは言い出さない。
と私は踏んだ。
そして、その通りだった。

はからずも後日。
このBちゃんの一冊の通帳が
GB唯一の資金源となり
Gちゃんが手持ち金なしのまま長期入院して人生初の資産ゼロ、お金は一円も使えない+払えない…という危機に見舞われたとき、
この夫婦を救う命綱となり活躍する、いわば命の通帳となるのである。

が、そのときはまだGちゃんも私も、Gちゃんに襲いかかる資金難のことなど、少しも予想していなかったのだった。

米騒動・ツチノコ騒動  へ続く

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