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Bの混乱ふたたび


 ケースワーカーさんのご助力をいただいた結果、Gちゃんは晴れて病院預けの身の上となることが決まった。

 この四十年で、GBの入院前にこれほどたまげたことはなかったなーと思いつつ院外へ飛んで出て、Bちゃんに電話をかける。

『あっ、Lちゃん? お父さんがいないんだよ、どうしよう!』

 Bちゃんは半泣きだった

「大丈夫、私と一緒に病院にいるよ」

 説明しながらタクシーに乗る。

「今からそっちへ行くからね。Bちゃん、お昼ご飯食べた?」

『まだなんだよ』

「先に食べて待ってて」

 電話にはそう言い、

「東京駅八重洲口、お願いします」
 タクシーの運転手さんには行き先を告げた。

 そうこうするうちに七月末。
 首尾良くGちゃんを入院させた後で実家へ行くと、Bちゃんがボンヤリとして座卓前に座っていた。座卓にはこたつ布団がかけてあった。

 Bちゃんの混乱の度合いがよくわかる。

「Gちゃんは無事に入院したよ」

と話しかけると、

「入院? どこか悪いの?」

「目が悪いんだよ」

「それ、あの人はアンタには話したのね。アタシなんにも聞いてない」

「そうかー」

 しょうがないGちゃんだ。と言うと、ちょっとだけ笑顔が出る。

「アンタにばっかり、世話かけちゃってすまないねえ」

 ねぎらいの言葉も出た。

「紙に大きく、Gちゃん入院中って書いてここに置こうか」

「そうしておくれ」

 古いカレンダーの裏に、マジックで黒々と書いて座卓に置く。

「あの人、いつ退院するの?」

「そうだねえ、このあいだ、一ヶ月かかったから、今度も同じくらいかな」

「このあいだって……何?」

 うーん……。前回の入院のことは覚えていない。無理もない、Bちゃんの記憶は十五分でリセットしてしまうのだ。

「カレンダーに丸つけて、このへんで退院って大きく書いておくよ」

「うん、そうしておくれ」

「Bちゃん、うちに来ない?」

「ううん、行かない。あの人から電話かかってくるかもしれないから」

 かかって来ないだろうなあ。とは思うけれど、そうだね、と言っておく。

 しばらくすると、ヘルパーさんが来られて、挨拶があった。

「○○のヘルパーです。今日からよろしくお願いします」

「この人、誰?」

 Bちゃんはおろおろとしたが、

「私、娘さんの友達なんですよ~お母さん」

 ヘルパーさんはいなし上手。

「あらあ、ずいぶん若いお友達ねえ。あなた、おいくつ?」

「二十五です」

「まああ、いいわねえ」

と、話はそれなりに弾んでいた。じつはさきの冬、一度我が家へ来てもらったが、Bちゃんが、

「アタシの家ですから、アタシが全部やります。お帰りください」

と、鍵をかけて家に入れなかったこともある、そのヘルパーさんだった。

 Bちゃんは覚えていないから、彼女の顔を見ても警戒しない。

 ヘルパーさんは数日だけでも作業したので、家の中の様子がわかっている。

 Bちゃんの性分も理解してくれていた。さらに事前に打ち合わせもしてあったから、今回はすんなり入っていただくことができたんである。

 Bちゃんのご機嫌も良く、ヘルパーさんが

(今のうちに)と目配せしてきたので、

「Bちゃん、また来るからね」

 なにげなく言って私は席を立った。

 私が帰宅してから三時間後、ヘルパーさんから電話があり、食事を済ませ入浴も無事に終わり、火の元も確認しましたと連絡があった。

 Bちゃんはもう布団を敷き、「テレビを少し見て寝るわ」と言っているという。

 安全が一番なので布団に入れば一安心。ヘルパーさんにお礼を言って電話を切った。

 その十五分後、電話が鳴った。

『ねえ、お父さんがいないんだけど』

 またしてもおろおろ声である。

「Gちゃんはね、目の病気で入院したんだよ」

『えっ……。アンタそれ、知ってたの?』

「うん」

『あの人、どうしてそれをアタシには言わないの?』

「Bちゃんが心配するからだよ」

『黙って行っちゃうなんてひどい』

 ひとしきり泣いたり怒ったりした。

「今からそっちへ行ってあげようか?」

『もう遅いからいい。アンタも早く寝なさい』

 ちょっとだけ母心、である。

「ひとりで大丈夫?」

『大丈夫よ。あの人は入院してるのよね』

「うん、そうだよ」

『わかった。おやすみ』

「おやすみなさい」

 そして十五分後、電話が鳴った。

『ねえ、お父さんがいないんだけど』
 先刻と同じ会話の繰り返しである。

 このようにしてその晩は十二時まで何度も電話を受けた。
 一回ごとにBちゃんは驚き、怒り、悲しんだ。
 こんな繰り返しが認知症にどれほど良くないか、今更ながらGちゃんの丸ハゲっぷりに、もとい、丸投げっぷりにハラがたつ。

 翌朝、八時に電話をかけると

『あの人、入院したらしいのよ』

 昨夜に比べるとBちゃんは落ち着いていた。
 座卓の紙を見たのだと言い、

『あの人ったらこんな紙に書いて……。ひとこと言ってくれればよかったのに』

 そこのところは納得がいかないらしい。

「Bちゃん、朝のお薬飲んだ?」

『あ、飲んでない』

「飲んでね」

『そうね、今、飲むよ』

 これがGちゃんだと、「なんで薬を飲まねえんだ。自分のことだろう、言われる前に飲め」みたいな言い方をして朝っぱらから喧嘩だろう。
 Bちゃんが落ち着いているので、私も家の中をあれこれと片付けてから、実家へ向かった。

 が、実家で私は首を傾げた。
 Bちゃんの薬は、朝、昼、晩と一日三袋である。
 それを一週間分のお薬カレンダーに入れておいて、飲み忘れ防止を図ったのであるが……。

 何故か、今朝のぶんと翌朝のぶんが消えていた。
  よもやと思ってゴミ箱を見ると、やはり『朝』と書かれた袋がふたつ、ほぼ同じ位置に捨ててある。

 しまった……! 
 私が促したのでBちゃんは薬を飲んだが、じつは私に言われる前にすでに飲んでいたのである。

 かかりつけの内科のお医者さんに朝の薬二日分を飲んだことを、電話相談してみたところ、Bちゃんの朝の薬の中には血圧と糖尿病の薬があり、二回分を一度に飲むと低血圧や低血糖のおそれがあるという。

『お母様を連れてすぐにおいでください』と言われて、急いで医院へ向かった。

 忘却の薬 に続く

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