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介護坂は下り坂5

 ドスコイ茶会事件


 Gちゃんは自分たちの荒んでいく生活や、隠しようのない衰えが、私に丸見えになることをいやがるようになった。

 私が実家へ行くたびに、「来なくていい、帰れ」追い返そうとする。

 自分が『ちゃんとやってる』ことを示したいがために、なんでもないふうを装い、さらなる無茶をしてみせる。悪循環である。


 かつて騒動を起こして乗らなくなった自転車にも(消えた老人と自転車事件)再び乗るようになっていた。なので、容赦のないムスメ(私)は自転車の前後輪とも空気を抜いた。


 Gちゃんが電話で、季節の肌着がないから買ってこいと言い出したのは春先のことである。シャツパンツズボン下を六枚ずつというので、近隣の店で買い込んで、実家へ持っていくと、和室いっぱいに服が散らかっていて、Bちゃんが鼻をすすりながら片付けていた。
「Bちゃん、どうした、この服」
「アタシ、なんにもわかんなくなっちゃったみたい」
「そんなことないよ。何か探してる?」
「お父さんの肌着」
「買ってきたよ」
「肌着、あるのよ。ほら」
 Bちゃんが開けた箱に新品で袋入りの肌着が、まあ、あることあること、十数枚入っていた。
「お父さんがね」
「うん。何、言われた」
「オメエがきちんとしねえから俺の肌着がなくて風邪引いた、そう言うの」
「えーと……秋の衣替えで冬の肌着がないなら、風邪引くということもあるかもしれないけど、今の季節に肌着のせいで風邪引くってことはないよ」
「ごめん、Luちゃん、何言ってるのかわかんない」
「……Gちゃんの風邪はBちゃんのせいじゃないよ」
「そうかしら?」
 山のような肌着を見ながらBちゃんはうなだれた。
 Bちゃんと一緒に散らかった服を片付けたあとで私は二階へ上がった。
 GちゃんはBちゃんのおしゃれ着を箪笥から出して床に投げ散らかし、さらに桐の和箪笥を開け、たとう紙を開けていた。急いでGちゃんを和箪笥から遠ざけ、はみ出した着物を引き出しに押し込んで箪笥を閉め、扉が開かないように古いソファで押さえた。
「和箪笥に下着はないよ、肌着は私が買ってきたから」
「バーサンのものばっかりだ、くっだらねえ、見ろ、こんな物、着もしねえのに」
 鼻息が荒いが、元気そのもので、Gちゃんめ、風邪なんか引いてないじゃないか。
「肌着、買ってきたよ。下にあるってば」
「へっ、帯だ着物だ、こんなもん箪笥ごと捨てるだ」
「捨てないで。着物も和箪笥も私がもらう約束でしょ」
 嘘である。でもこうでも言わないと本当に、中身ごと箪笥を捨ててしまいかねない。
「けっ、こんなもんにカネかけやがって、バカめが」
 Gちゃんはしつこく怒っていた。
「茶会に着てくだとか、バカが、バーサンばっかりの会に着飾って行ってどーすんだ」
 一瞬。ピッと、私のアンテナが立った。
「Gちゃん、茶会がどうした?」
「断った」
「え、なんで?」
「みっともねえからだよ!」
「みっともない……何が」
「あんな、なーんにもわかんねえバーサンを人前に出せるか!」


 あかーん……。 

 茶会は年に一度、近隣の奥様がたが近所の小料理屋の二階で、軽く食事をしておしゃべりする、今やBちゃんの唯一の楽しみなんである。
 私は急いで階下に降り、衣装箱を押し入れに入れているBちゃんのところへ行った。
「Bちゃん、隣組の茶会、いつあるの?」
「あ、いつだったっけね。カレンダーに……」
 わっ、茶会は今日じゃありませんか。
「行っておいでよ」
「え、だってお父さんが行っちゃいけないって」
「Bちゃん、茶会に行きたい?」
「うん。行きたい」
「じゃ、今からお隣さんに行って、出席しますって言ってこよう。まだ間に合うよ」
「でもお父さんが」
「大丈夫、私がなんとかするから」
 靴を履くのももどかしく、Bちゃんを連れて通路を抜け、隣家のドアを叩いた。
「すいません、今、隣組の組長さんはどちらですか」
 あらーLちゃん、と燐家の奥様は微笑んだ。
「お茶会、やっぱり行きますアタシ」
 Bちゃんがそう言うと、それでお隣さんも事情を察してくれたものらしく、
「わかった、私から組長さんに言っておくよ」
 連絡を引き受けてくださった。
 ありがたいことに茶会の前に迎えに来てくださると、おっしゃっていただけた。
「アラ嬉しい」
 Bちゃんに笑顔が戻った。


 さて、ひとつ片付いたので実家へ戻って二階へあがり、
「Bちゃんは茶会に行かせるよ」
 まだ箪笥を揺さぶっているGちゃんに声をかけた。Gちゃんは振り返りもせず、
「勝手にしやがれ」
 私が口を出してきたら、かなわないということはわかっているようだった。


 あとでもう一度隣家へ行き、Bちゃんをお願いしますと頼んでみたところ、
「ご主人が、奥さんはもうどこへも出かけられない、迷惑かけるだけだから欠席しますって言いに見えたのよ」
 少しくらい言動にナニがあっても年に一度なんだから、出席したらとお隣さんはGちゃんを説得してくださったそうだが、
「イヤ、出れません」
 Gちゃんは頑として譲らなかったらしい。間に合って良かったが……間一髪である。


 その日Bちゃんは着替えてちょっとだけお洒落し、私が贈った口紅をつけて出かけていった。
 大きな事件は起きないがこうした小さなとげのある、それだけに始末の悪い出来事がだんだん増えていく。今までとは違う対策が必要だと思われた。

 Bちゃんの束縛に失敗してめっさ不機嫌なGちゃんはこたつにいて、むやみとテレビの音量をあげた。帰るからねと声をかけても返事はなかった。

 Gちゃんには明確な行動指針がある。
 くっきりと、利己、である。
 さきの小競り合いではまず肌着がすぐに出ない、という理由で怒りに火が点いた。
 次にBちゃんがひとりで茶会に行くのが気にくわない。俺の肌着も出さないで茶会なんか行かせるか、である。

 そしてBちゃんの了解なしに茶会参加を勝手に取り消し、だめ押しにBちゃんのおしゃれ着や着物を始末しようとする。
 しかし途中で横やりが入った。
 ムスメが出てきてGちゃんの計画は丸つぶれ、Bちゃんは茶会に行く、箪笥は捨てられない、腹が立つ、である。
 3%でいい、利己でなく利他の気持ちがあれば助かるんだけどなあ。
 と思いつつ車を走らせて、帰宅して小一時間でまた電話が鳴った。
『なんで黙って帰っちまっただ』
「帰るって言ったよ」
『聞いてねえ』
 アホかいな。ばかばかしくて返事をする気にもならない。
『明日、○△病院な』
「は? 誰が」
『俺だ』
「はい。行ってらっしゃい」
『車、十時な』
 言うだけ言って電話は切れた。つまり、翌日の通院の送迎をせよ。ということである。
 私の都合を聞かないのはまあGちゃんだからアリだとしても、○×病院は胃腸専門の消化器科。どこか悪いのだろうか。
 翌日十時に実家へ行き、Gちゃんを乗せて○×病院へ向かった。


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