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「コワーキングフォーラム関西2022in大阪」に参加して揺さぶられた思考を取り留めもない文章にボロリンコとアウトプットしてみる。

昨日、コワーキングフォーラム関西2022に参加してきました。かなり面白い気づきがあったので、自分の中の熱が冷めないうちに文章に残しておくことにしたモノです。

勢いのままに書き殴ったので、残念なことに全然まとまりのない文章に仕上がってしまいました。僕のことをご存知の方は「いつもに増して早口で」話している僕をイメージしてご覧ください。笑

しかし、めちゃくちゃ大入満員で熱気の凄まじいイベントでしたよ。主催者の皆さん、登壇者の皆さん、本当にお疲れさまでした&貴重な機会をありがとうございました。

主催者の方が投稿した写真より


01.共創とは、いったい何を指すのか


さてさて、今回のテーマは「共創」です。大阪万博も「共創」を掲げていますね。僕のビジョンの中でも「共創」は大切なワードとして扱っています。

でも、ふと思ったんです。

世間で扱っている「共創」って「コクリエーション(Co-Creation)」と「コラボレーション(Collaboration)」が混じっていない?と。

そもそもコクリエーションとコラボレーションって、どう違うんでしょうね。
あるいは、もしかしたら全く同じモノなんでしょうかね。
それとも、一部分が重なっているようなモノなんでしょうかね。

自分の中での仮説はあったのですが、しかし他の人はどう捉えているんだろう。そして、自分を驚かせてくれるようなもっと異なる解釈はあったりするんだろうか。そんな疑問と期待を持って何かヒントが得られないかと参加しました。


02.山盛りの気づきに出会うアンカンファレンス形式


フォーラムはよくあるパネルディスカッション形式だけかと思いきや、今回はアンカンファレンスと呼ばれるプログラムが途中に差し込まれていました。

アンカンファレンス(unconference)とは、参加者がスピーカー(話し手)となり、自分が話したい内容を発表したり、参加者同士でディスカッションしたりするミーティングや会議、イベントのこと。

この形式のテーマが事前募集されていたので、「コクリエーション」と「コラボレーション」の違いについて考えつつ、共創を実現させていくアプローチについて考えてみたいとテーマを出してみて、数名の方と対話することとなったのです。

「コクリエーション」すなわち「共創」がどんなモノであるのか定義できれば、よりコクリエーションを起こしている事例を拾い上げることができるかもしれない。もしかすると世の中には拾い上げられていなあいコクリエーションの事例がたくさんあるかもしれない。コクリエーションが体系化できれば、もっと面白いモノが生まれまくる社会になるかもしれない。そんな期待感も未来に対して抱いています。

いやぁ。この対話がめちゃくちゃ面白かった。

あまりにもマニアックすぎるテーマだったので誰も参加しないかもなぁと思っていたのですが、僕含めて4名の方とじっくり対話することができました。この人数感もすごくよかたと思います。それぞれが考えることを深く対話しつつ、相手の話もしっかり聞くことのできる人数感。僕にとっては最高の対話でした。

もちろんここで語る共創像はこの場で対話していた僕たちの共創像であり、他の人の捉える姿とは異なるかもしれません。ですが、この共創像は僕のビジョンの共創社会と同じ構図でありながら、さらにその構成を補完してくれるモノだと感じています。

対話のメモ。もうちょいキレイな字で書けないかね自分よ


▶︎コラボレーションとコクリエーションは何が違う?

さてさて、まずはコラボレーションとコクリエーションの違いから追いかけてみましょうか。この二つに共通することは「異なる二者以上の人や組織」が関わり合うということです。コクリエーションは共創と訳されますが、コラボレーションはここでは共同作業という言葉を使って考えることにしました。

コラボレーション(共同作業)は目的設定があります。言い換えるとゴールが定義されている。そのプロセスを効率的に進めるためや、うまく進まない場所を埋めるために、他者と協働してコトにあたる。ある意味ではプロセスにフォーカスしているとも言える世界観です。

コクリエーション(共創)はアウトプットにフォーカスしている。でも、ゴール自体は変わるかもしれない。元々抱えていたそれぞれの目的や課題感自体も変化してしまう可能性がある。それは可能性が広がると同時にストレスや不安と隣り合わせでもある世界観です。

ここまでが最初の整理。この段階でも参加メンバーの思考がアッチ飛びコッチ飛びとしていたのが面白かったです。いや僕が「そもそも論」を話すのが好きなのもあるんですよね。どうにもこうにも、こういった「そもそも論」に踏み込むのが興奮しちゃう。もう性癖みたいなモノだと捉えています。

でも、皆さん「そもそも論」から考えもって対話できたのでとても有意義な場でした。繰り返しますが、ここでの対話結果はあくまでも僕たちの対話から生まれた一つの方向性であって、他人に押し付ける定義ではありません。この投稿をご覧いただく方の中に違う意見があっても、それはそれで当然だとも思います。


▶︎コクリエーション(共創)を起こしていくために大切なことは?

では、そんなコラボレーションとの違いを考えたうえでコクリエーション(共創)を起こしていくには何が大切なんだろう?ということをじっくりじっくり考えることにしました。

ポイントになったのは「自分の目的や課題すら変化する」というところでした。それは自分だけが変化するのではなく、共創する相手も一緒に変化することでもあります。

「Aさんの持つビジョンA」と「Bさんの持つビジョンB」を突き合わせた結果、「まったく新しいビジョンC」が生まれるような考え方です。最初にそれぞれが持っていたビジョンからは変化してしまっているんですが、もはや自分にとってはビジョンCの方が大きな意味を持つような状態ですね。

このビジョンを「ジョイントビジョン」と表現すると教えてもらいました。(スタートアップの世界で使うジョイントビジョンとは少し意味が違うかもしれません。)

一緒に対話していた方にコワーキングスペースの運営者の方がいらっしゃいました。やはり「共創」的なあり方を目指していたのですが、そのうえで大切にしていることに「足のつかないプールに放り込む」という表現を使っておられました。

「足がつかない」わけなので溺れることになるんですよね。でも、プールなので死にはしない状態です。その状況をそばで暖かく見守っているわけです。無茶しても死なない、安心して溺れることができる、狂うことができる、そんな表現もされていました。

これは、ある意味で自分自身の変化に対する許容と勇気でもあると思います。自分自身のビジョンという柱は明確に持っていながらも、それを飛び越えるようなビジョンに出会ったときに自分自身をアップデートする勇気とも表現できるかもしれません。土台を自ら揺るがせることは大きな不安感との戦いです。でも、その不安感の先にこそ共創の世界観が存在する。

しかし、そもそもその不安感を抱えるためには前提として「個のビジョンが明確化されていること」が必要でもあります。自分自身のビジョンが明確でなければ変化に対する不安感も抱けないわけです。

ビジョンが明確化しているからこそ変化に対する恐れや不安も明確化していく。その不安に対して「安心して溺れることのできる場をつくる」のがコワーキングの役割にもなってくるわけですよね。

「ビジョンが明確な個」たちが出会い、対話すること。異なるビジョンが混じり合い、変化し、新たなビジョンへと変化すること。この構造は哲学におけるヘーゲルの弁証法と似た構図になっています。

以前から抱いていた共創イメージ

で、ここまでは僕が以前イメージした共創社会の姿ともそっくりでした。自分自身のビジョンが明確化する前にも「アート思考」と「弁証法」を掛け合わせた共創にこそ可能性があると感じ、そんなnoteを書いたこともあります。

で、ここからは今日のフォーラムで新たに生まれた気づきです。ビジョンそのものが統合できることには気づいていたのですが、課題だって統合できるなぁと感じたのです。

アンカンファレンス前のセッションにおいて登壇者の方がコワーキングの価値の一つに「課題の共有ができる」ことを挙げておられました。自分では解決できない課題をコワーキングに持ち込むことで、誰か他に一緒に解決できる人を見つけることができる、そんな可能性がコワーキングにはありますよね。

で、この「課題共有」はとてもコラボレーション的です。Aさんの課題Aに対してBさんが解決策Bを持っている。結果Aさんの課題Aが解決するので、目的地は最初から明確です。

でも、もしかしたらAさんの課題AとBさんの課題Bを突き合わせてみると、もっと深層に存在する課題Cが浮かび上がってくることだってあるのではないでしょうか。このときAさんとBさんが協働することで課題Cに向き合い解決するための行動を取れるなら、それはとても共創的だとも感じるのです。

ビジョンは未来を向いています。一方で課題は現在(または過去)を向いています。今まで共創とは「未来」だけが軸だとも思っていましたが、現在を軸に共創することもできるのではないかと感じるようになったのが大きな気づきでした。

新たに行き着いた共創の構造

ただ、課題フォーカスは別の課題も生んでしまいます。問題に注視しすぎると悲観的になってしまい、「そこから抜け出すこと」が唯一の目的になってしまうのです。それは「現在からの脱却」であって「未来に向かう行為」とはまた異なると思うのです。

極端に課題フォーカスになると悲観的になってしまうのですが、課題統合してから未来に向けてイメージを飛ばすことができるようになると、きっと前向きに捉えられる可能性もあるんじゃないかと感じています。

しかし、ここはまだ可能性の段階だと思います。課題感が強くなりすぎて「危機感」が「諦め感」にまで至ってしまうと何も動かなくなってしまうことは、何となく実生活の中でも皆さん感じていることだとは思います。

だから、課題統合のときにもキッチリ未来に目を向けるアプローチは組み込みたいんですよね。これはもしかしたらコワーキングやコミュニティコーディネーターの役割になってくるのかもしれません。


▶︎共創を科学するために必要なことは?

さてさて、共創のポイントが言語化できてきたところで、この先に「共創を科学する」ために何をしたら面白そうかも考えてみたいと思います。「共創像」が明確になるとそのアプローチ自体を体系化して、もっと世の中に共創を増やしていくことができるとも思うのです。

逆にコクリエーション(共創)の姿が鮮明になっていけばいくほど、コラボレーション(共同作業)の姿も鮮明になっていくのかもしれません。両者には価値の差はなく、使い分けだとも思います。

どんな場面でどんな使い分けをしていくと効果的なのか、これはきっとコクリエーションとコラボレーションの境界線を探求することでより明確になっていくモノとも思うのです。

では、共創を科学するために何をするべきか。まずは事例を見つけてくることだとは思います。ですが、フツーに「共創の事例ちょーうだい」と言っても、適切なモノは見つからないと思います。

ポイントは
・ジョイントビジョン的な事例の発見
・課題統合的な事例の発見

この二つだと思います。

しかも、共創した二者以上の当事者の「そもそも論」自体が変化しているモノを探すことなのかなと思います。最初に考えていた方向性がガラっと「関わる全員」に変化が起こった。でも、その変化はとても前向きで未来を期待させるモノだった。そんな事例ですね。

きっと、世の中に存在しているとは思います。でも、まだこの観点では拾い集められていないはずで、他の事例に紛れて埋もれているとも感じます。ココをたくさん拾い上げられてくると、なんだか面白そうなことが起こりそうな気がしてきますよね。


03.おわりに


と、勢いのままに書き連ねたコワーキングフォーラム関西2022から感じたことでした。

イベントそのものの感想やレポートというわけではなく、そこで起こった僕の思考変遷が中心なので、何とも取り扱い方の分からない投稿かもしれませんね。笑

しかし、これだけ思考がうごめいたのも久々の体験で、めちゃくちゃ面白い場でした。神戸のフォーラムも参加しましたが、さらにブラッシュアップされている感がありましたね。ここまでの場を作るのは相当な努力と思いと苦労があったことと思います。

改めて主催の皆さん、登壇者の皆さん、そして今日この場を共有した皆さんに感謝したいと思います。

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