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自分の積み重ねが、自分では分からない

そんな状況に、多くの人があると思います。僕もそうでした、僕のヨメさんもそうでした、

最近、週末を中心にヨメさんと対話を重ねています。普段から個人事業主や企業勤めの方に対して、対話を通して自分の未来を探るアプローチを実践しているのですが、それを一番近い家族とやっている感じですね。特に仕事についてです。

この投稿はそんな家族の対話から見出した「自分の気づいていない積み重ね」についてです。投稿はヨメさんに許可も取っていますので気にせずご覧ください。笑


01.分からないことで不安になる


ヨメさんはアパレル販売の仕事を長いこと続けています。ただ、本人の中では「いつまでも続けられる仕事じゃない」って感覚がある一方で、なら自分は次のキャリアとして何ができるのかなぁといった漠然とした未来への不安も抱えていました。

基本的にアパレルの現場は20代の若い人が中心で、長いこと「現場に立ち続ける人」って圧倒的に少数派です。同じことを「繰り返しているように感じる」毎日の中で、漠然とした不安が徐々に積もっていくことも理解できます。

ただ、僕は「何かしら積み上げているモノがある」ことはしっかり感じていました。とは言えその正体が何なのかまでは深く対話してなかったので気づいてなかったんですよね。その正体を探ろうとすることを対話の一つの目的としました。


02.自分の『積み重ね』を可視化する。


まず、このアプローチが結構大事なんです。

自分が今までに何を積み重ねてきたのかって、自分自身が一番分かってなかったりするんです。分かってない理由は後でも触れますが、自分にとって当たり前になればなるほど自分からは見えにくいモノになっていく現象が「誰にでも」起こり得ます。

だから可視化するんです。

定性的でも定量的でもどっちでも良いですが、まずは数値に落とし込んでみることができるかどうかにトライしてみてください。数値は自分の積み重ねのうち「測定可能なモノ」から拾ってきますが、その積み重ねに気づいていない場合は驚くほどのインパクトを自分に与えてくれます。それこそ、自分自身の「積み重ねの意味」が変わるぐらいのエネルギーがあると思っています。

ヨメさんの場合だと以前、「大体一日にどれぐらいの人数を接客するの?」って聞いたことがありました。そしたら1日にざっくり50組の接客をしてるみたいです。もちろん肌感覚なのでブレはあるでしょうが、この数字をもとにすると結構びっくりすることに気づくんですよね。

1日に50組だとすると、年間勤務が240日なら一年でどうなるでしょう。50組×240日=12,000組にもなりますよね。この気づきだけでもスゴいことだと思うんですよ。さらに、ヨメさんは「ずーっと現場に立ち続けている稀有な人材」なんです。シンプルな計算でも、これまでの接客組数を累計すると15万人を超えるわけなんですよね

15万人ですよ、15万人。その数字にしただけでもスゴくないですかね!?

15万人を接客した経験値。こんな言葉にすると自分にとっても他人にとっても、その積み重ねの意味が変わる。それだけ積み重ねたからには、きっとヨメさんにしか生み出せない意味があるはず。僕自身そこは半ば確信めいたモノを持っていました。

ただ、あまりにも「当たり前」になり過ぎると本人からは価値も意味も見出せなくなる。あるいは「業界の固定観念」や「世間の常識」といったモノも、発見を阻害する要因です。まずは先入観なく「自分が積み上げたモノ」をしっかり見据えてみることがスタートだと思うのです。


03.対話から見えた圧倒的な自信(ただし本人は自信だと捉えていない)


さてさて、そんな「積み重ね」を感じてもいたので、じっくりこれまでの仕事をとおして感じてきたことを対話していきました。

どんなことが楽しかったか、何に興味を持ったか、何をしているときは時間を忘れていたか、他人から褒められたことは何か、逆に苦手なことは何か、なるべく避けたいことは何か・・・などなどです。すると、本人の中で「圧倒的な自信」として柱になっているモノが見えてくるんですよね。

ただ、コレを本人は自信だと思っていないのです。なぜなら、この自信を構成している要素は本人にとって「当たり前」すぎることだから。

でも実は、他の人にとっては全然「当たり前」のことではない。このギャップが、「圧倒的な自信」である領域を「単なる当たり前」と捉えさせてしまい、「他者にとっての意味」に変換できていない状態にあると気づきました。これは誰にでも起こり得ることです。現に僕にも起こっていたことです。

対話の最中に気づきがあったので「あれ?、もしかして○○だったら□□にできるの?」と問いかけてみると、自信を持って頷くわけです。それは本人にとって当たり前なことだから。

あまり詳細にはここでは語りませんが、「現場感×VMDの方程式」みたいなモノだと思ってもらえればよいでしょう。ずーっと現場で接客し続ける、15万人を接客し続けたからこそ見出せる方程式です。コレはヨメさんにしか生み出せない価値だと確信しているんですよね。

自分の「楽しい」「好き」「価値として認めてもらえる」といった行為と、「自分だから」「自分が積み重ねてきたもの」を掛け合わせたときに、どんな価値を生み出すことができるのか、どんな取り組みを実践することができるのか、考えてみるだけでワクワクすることが沢山生まれてきます。

ここ最近、ヨメさんの仕事への向き合い方が過去イチ楽しそうです。さっそく気づいたアプローチや、一緒に出したアイデアを店舗の中で他のスタッフも巻き込みながら実践しているみたいで、とてもイイなぁと思いながら見ています。

対話のスタート時期には「今まで積み重ねてきたモノ」「自分の価値観・思考・得意」などの分野をじっくり探っていました。そこからもういまは実践の中でトライする段階に移っているので次のステップです。見出した意味をどうリアルな世界で表現していくか、そのトライに入っています。だからこそ、以前のようなモヤモヤ感は減って楽しそうです。


04.自分の「当たり前」に意味があるけど、自分からは見えなくなっていく


ここからは僕の話が中心です。

さてさて、よく聞く話だと思うのですが「自分にとって当たり前のことが他人にとっては価値を持つ」って言葉がありますよね。

そのとおりなんです。でもなぜ人は「自分にとって当たり前のこと」が「他人にとって価値を持つ」ことに気づかないんでしょう?

「そりゃ“自分にとって当たり前”だからでしょう」って一言でケリをつけてしまうこともできるのですが、もうちょっと丁寧にこの現象を解体してみたいと思うのです。特に、「時間の流れ」に目を向けると、さらにこの現象の背後にある力学に気づくことができます。

「当たり前」に自分が気づかないのは当然なことかもしれません。しかも、この「当たり前」をさらに積み重ねていく「時間の流れ」がココに加わっていくと、尚のこと自分からは認識できないものになっていきます。

つまり「当たり前」は時間を積み重ねれば積み重ねるほどに自分では認識できないものになっていく側面があるのです。

学習することでどんどん「ルーチン」になっていく。これは別にその作業をサボっている訳ではありません。100のエネルギーを注いでいたことが経験を重ねることで70で実践できるようになる経験は誰だってあるでしょう。そこで空いた余剰の30に新しいトライを重ねたりするものなんです。で、この70は時間を追えば50にも30にも変化していきます。そしてエネルギーの投入量はそのまま意識できる視認性とも比例します。

効率化していけばしていくほど、自分の中で「当たり前」として染み付いていけばいくほど、逆に自分からは認識ができないモノになっていく。「考えずとも体が動く」は、まさにこの領域ですね。

一方で、意識を向ける量は減っているけれども「当たり前」の行為そのものは積み重ねているわけです。「意識を向ける」とは「その瞬間」の話ですね。ここでは時間軸は一点だけを指します。しかし、「積み重ね」という長期の時間軸で見たときに、その当たり前はまた違った意味を帯びていきます。

この「当たり前」は、積み重ねれば積み重ねるほど。どんどん自然と自分の中でブラッシュアップを重ねているのです。70のエネルギーで実践していたことが50で実践できるようになっていると感じている、しかし実は50で実践していることは既に70のエネルギーで実践していたときよりもハイレベルなコトを実行してるのです。この変化に気づきにくいのがポイントです。

「当たり前」を積み重ねることで、その「当たり前」はどんどん「価値」の高いものになっている。しかし皮肉なことに、価値が高まるからこそ自分では視認できないモノになっていく。

これが「自分の当たり前」にある価値を気づかせにくくする仕組みの一つです。

だから、他者の視点って超大切なんです。

他人の視点があるから気づくことができる。そんなコトが山のようにある。だから、家庭でも組織でも「対話」がめちゃ大事になるんですよねぇ。世の中で言う1on1みたいな関係性っていうよりは、完全に対等な土俵で行うどすこいです。対話によって気づくことのできるモノは、本当にたくさんあるんです。


05.意識している積み重ねの裏には意識していない積み重ねがある


さらにもう一つ大切なポイントがあります。まだ「意識している積み重ね」は自分で気づくことができるのですが、「意識していない積み重ね」には自分で気づくことはできません。これが実は大きい。

例えば「A能力」を獲得しようと思って積み重ねた行為があるとします。このとき実は「B能力」も獲得していたとしましょう。しかし、「A能力」を獲得しようとして積み重ねる行為の最中では「B能力」の獲得に気づくことは非常に難易度が高いのです。

何かを積み重ねていれば、必ず「意識しない積み重ねの効果」が存在します。だから、それに気づかせてくれる「他者との対話」はとても大事になるのです。

【ここまでのポイント】
▶︎自分の積み重ねは積み重ねるほど見えにくくなる
▶︎意識していなかった「積み重ねの効果」が存在する


06.僕自身も、自分の積み重ねに気づいていなかった


実は僕自身、自分の「当たり前」を可視化してくれる他人がいなければ気づけなかったことが山ほどあるんですよね。「えっ!?、僕にがそんな方向の価値を提供できるんですか?」って思ったことはここ数年で何度もあります。今実際に仕事として実践しているコトでも誰かに言われるまで気づかなかったコトが山ほどあるのです。

僕は一時期、ある業界に関するテーマブログを書いていました。本気でその業界に対する課題意識を持って、どんな取り組みから始めていくべきかを考えて記事を書いていました。しかし、長文を書くことに慣れていなかった当時の僕は今よりも何十倍もに分かり難い文章を書いていたと思います。今よりもですよ!?(今も十分ヤバいレベルでわかりにくいのに)

で、自分の文章が分かり難いことも理解していたので「画像」の力を頼ることにしたのです。伝えたい概念を整理して1枚の画像に落とし込む。言わんとしているコトをひたすら1枚の画像に落とし込む作業を繰り返していたのです。画像づくりはテーマブログの外に出てTwitterやnote、このFacebookで投稿するときにも使うようになりました。

そんなコトを積み重ねていると、あるとき皆さんから「情報や概念を整理することが上手いよね」って言われるワケです。僕にとっては青天の霹靂なんですよね、だって今まで自分にそんな能力があるなんてコレっぽちも思ったことが無かったから。

「えっ!?、僕にそんな能力があるの?、マジで!?」って自分では感じるワケなんです。でも、その言葉を聞いてよくよく考えてみると、ようやく自分の積み重ねに目が向くんです。このとき今までに作った画像の枚数を数えてみたら1,000枚を超えていたんです。そりゃ、それだけ「複雑なメッセージを1枚の画像に落とし込む」を繰り返していたら、整理するチカラも身につくよなぁと納得するんですよね。

でも決して、「整理するチカラをつけよう」と思ってスタートさせた取り組みではありませんでした。つまり自分の中では「積み重ねよう」と思ったモノでは無かったのです。画像にして表現することは自分の中で「当たり前」になっていた。しかし、「当たり前」を積み重ねたからこそ、「当たり前が生み出した価値」に自分で気づかなくなっていた。その意味に気づかせてくれたのは「対話」してくれた皆さんです。

そして、積み重ねたものを自分が認識できたことで、自分の新しい仕事のあり方につながっていくのです。いま実践しているいくつかの取り組みはこの積み重ねがなければ始まってない気がするんですよねぇ。


07.まとめ


ダラダラと今日も語り尽くしてしまいました。いくつかポイントをおさらいしますね。

▶︎自分の積み重ねを可視化する
▶︎積み重ねた当たり前に価値がある
▶︎他人だから気づくことのできる価値がある

この辺りかなぁと思います。こんな短文で表現できるコトを、ここまでダラダラと書き連ねたワケです。歳を重ねたときに話だけが長い説教ジジイになる未来が見える気もしますね。

このまとめすら「当たり前じゃん」って思われるかもしれません。でも再三申し上げてる通り「当たり前だから気づきにくい」のです。だからこそ、丁寧に掬いとるコトを忘れずにいたいと思うんですよね。

おわり。


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