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【葬送のフリーレン】1000年以上生きたフリーレンにとっての10年とは

珍しくエンタメ分野に関連する話をしたいと思います。『葬送のフリーレン』が結構面白いなぁと思っています。興味ない方はスルーを、読んだこと・見たことある方はお付き合いを。

ドラクエ・FF最盛期に少年時代を過ごした自分としては「その後」のストーリーを紡ぐ設定にとても惹かれる。また、登場人物の「時間軸」の異なりから生まれるストーリーがとても厚みがある。時間をどう捉えるか、それぞれの登場人物の「時間観」から少しだけ掘り下げてみたいと思うのです。

主人公は1000年以上の時間を生きている。人間ではなくエルフという種族だから寿命が全く違う。一緒に旅した仲間と過ごした時間は10年。主人公は「たった10年」と表現し仲間は「10年も」と表現する。旅した仲間のうち普通の人間は長くても100年ぐらいの寿命。生きた世界の違いが感覚の差異になって現れる。

実際、私たちが生きるこの世界にも「ジャネーの法則」という説が存在します。これは10歳の人も、60歳の人も、生まれた瞬間から今までに経過した時間を「実感」に置き換えると実は大人も子どもも同じだとするモノです。

説の信憑性自体はよく分からないのですし、どうやら証明されているモノではないようなのですが、それでも実感ベースでこの説が合っている部分があるかもと感じます。子どものころに感じる時間感覚と大人になってから感じる時間感覚の違いみたいなモノは、そこに一つの要因があるのかもしれません。(他の要因で語られることもありますが。)

さて、この法則をフリーレンの旅に落とし込んで考えてみるとどうなるでしょう。10年は長い?、短い?、YOASOBIの歌う主題歌「勇者」では「百分の一の旅路」と表現されていましたね。

ここで「あぁ、感覚が違うんだなぁ」と理解を留めるのではなく、「どれくらい感覚が違うのか」「その感覚を自分に落とし込んでみたらどうなるのか」を考えることが世界の認識を広げるのだと思います。これが想像力ですね。

仮にフリーレンがエルフではなく人間の20歳だと考えてみましょう。エルフの中では若手な感じがしますしね。フリーレンが何歳であるのかは分からないので一旦1000歳で計算します。人間の20歳だと捉えるのも、これも何歳だと仮定するかによって計算結果が全然変わるのですが、まぁカタいことは言わずに思考実験だと思って聞いてください。

さて「1000年生きたエルフにとっての10年」とは、20年生きた人間にとってどの程度の時間なのか。これ、だいたい「2ヶ月ちょっと」です。

フリーレンの10年の旅路は20歳の人間が生きている中の「2ヶ月ちょっと」で起こった出来事だと想像してもらえれば、その感覚に近いモノが掴めるのではないでしょうか。

2ヶ月ちょっと。確かに短いですね。「たった10年だよ」と言われれば僕らにはよく分からない感覚ですが「たった2ヶ月ちょっとだよ」と変換してみれば、まぁ言葉の感覚も分かる気がしますよね。

でも、「2ヶ月ちょっと」って人生を変えるような出会いや経験が生まれる可能性は十二分にある、そんな時間単位だと思います。実際、自分の人生でも他人の人生でも、それに近いことが起こったりもしています。2ヶ月ちょっと、そこに濃密な経験があれば価値観や人生は変わりうる。

だからこそフリーレンは「たった10年」と表現しながら、その10年が(僕らにとっては2ヶ月ちょっとの経験が)自分自身を変えたことを実感したのでしょう。

相手の感覚を理解できないモノ・自分とは異なるモノとして遠巻きに見るわけではなく、自分に落とし込んで想像してみる。もちろん、その想像が「てんで的外れ」である可能性も自らの中に飲み込みながら、それでも想像してみることをやめない。

「時間」はそのものが僕の探究テーマの一つ。そこにグっとくるストーリー展開と、幼い頃に親しんだ世界観とのマッチがこの物語に惹き込ませてくれました。そんなことをアレコレ思い巡らせる葬送のフリーレンです。これからも楽しみたいと思うのです。

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