『Ball Boy & Bad Girl』とは…
突き抜けたおちゃらけっぷり。かと思えば、そこはかとなき透明感と寄る辺なさが……そんな断章で綴られる寓話、それが飯島愛(1972-2008)の遺作、『Ball Boy & Bad Girl』(以下『B&B』)。
この作品が生み出されるきっかけとなったのは、おそらくは飯島からのリクエストで企画された押井守監督との対談(『お友だちになりたい!』所収)。アニメーターになりたい、監督をやりたい、といった夢を抱いていた飯島が、押井守に直談判。飯島が物語を書きためてゆき、押井が何かしらの作品にまで仕上げるべく指南する、といった共同作業が始まる。
最初はアニメ化なども目指していたが、いきなりそれはハードルが高すぎるということで、まずは、大人向きの絵本のような趣きの作品を作るという方向でまとまっていた。そのような共同作業は飯島が芸能界を引退した後も継続されていたが、急逝により一旦、頓挫。しかし、「あれだけ一生懸命やっていたんだから、遺書として、遺志として残してあげようよ」(p116)との押井らの思い、尽力によって、死後2年を経て完成にまで漕ぎつけたのが本書である。
Ball Boy/Bad Girl
本書の軸となるのは、Ball Boy とBad Girlという、ふたりの男女(?)の物語。
Ball boyは、いつの間にか、股間の玉がなくなってしまった少年。おまけに、なぜか夜の12時をまわると朝まで女性に変身してしまう。そんな能力があるのをいいことに、玉を取り戻すべく、夜な夜な男を漁る日々。しかし、母からも見捨てられた過去のある彼は、いかに物質的に満ち足りても、心の奥底では、ほんとうの自分を愛してくれる誰かを求め続ける。
所変わって、局所銀河群のひとつ、遊星キノコは、ジメジメとした暗い一般家庭が放つどんよりした空気で湿気を保ち、資源を維持している星。
そして、Bad Girlは、遊星キノコの女帝の一人娘。でも、何億年と支配を続ける女王陛下の母に嫌気がさしていた……
親子げんかの末、地球へと真っ逆さまに堕ちてきたBad Girl。そこは新宿歌舞伎町のど真ん中。地球上で自分が男か女かなんてことも知らぬまま、店のスカウトに誘われるがまま付いて行ってみたり……
実人生との接点
……とまあ、荒唐無稽なストーリーではある。そして、この男女(?)がどう交錯するのかさえ判然とせぬまま、物語は終わる。
でも、そこには飯島自身の現実の生が透け見えてもいる。
彼女は「おとなしい良い子」として幼い頃より両親からの厳しい教育を受けてきたが、思春期になるにつれて反発を強め、非行を繰り返す。そして、16歳で亀戸の実家を飛び出し、六本木で水商売の世界に飛び込んだ。Bad Girlには、そんな「大久保松恵」が源氏名「愛」へと変容してゆく姿が重なる。
かたや、Ball Boyには、「女」を前面に出したメディア戦略に担がれつつ――必ずしも本意ではなかったようだが――、歯に絹着せぬキャラクターで時代の寵児となってゆく「飯島愛」の姿を重ね合わせてみたくなる。
そして、本書の後半では、一気に現実に引き戻されるがごとく、大人になったBall Boyらしき人物の「日常」が描かれる。
そして 結びには、叶わぬ愛の相手へのメッセージのようなモノローグが……
一人でいることの寂しさ、過去の家庭のある男性との恋愛、その断ち切りがたい想いといったものは、メモワール『プラトニック・セックス』やエッセイにも綴られていたが、まるでその続きであるかのような趣き。
ただ、それらを乗り越え、前へ進もうという意志もまた、より深く刻まれているように思えるのではあるが。
ナイトライフ
それらとはまた真逆なテンションで、二人の物語の合間に幕間劇のごとく登場するのは、ナンセンスなトークを繰り広げるゲイやギャルたち。
飯島の実生活においても、こういったparty people的な世界は(最近も昔も友人になぜかゲイが多い、と他のエッセイでも述べていた)、芸能界引退後の人生にも影響を与えるぐらいに、インスピレーションの源泉になっていたのではないか。
本書のあとがきでは、この企画を始めてからの飯島とのやりとりを、押井が詳しく語っている。
実際に、2007年の芸能界引退の後も、彼女なりの活動は続けていた。コンドームやバイブレーターといった性にまつわるグッズ通販の事業を立ち上げ、亡くなる直前には事業開始の公表もひかえていたという。
AIDSなどへの関心は、その何年も前から持っていたらしい。クラブ好き、そして、ニューヨーク好きの彼女は、90年代初頭には、現地の知人から「どんどん知り合いがエイズで死んじゃう」といった話を聞いていて、その後、「知り合いの二丁目のオカマに言われたから」と、12月1日の世界エイズデーには毎年、エイズ募金に5万円寄付していたという(『生病~』p218)。エッセイの中でもSTDの検査や予防を呼びかけ、女性が身を守るためのコンドームには「「首の皮一枚ほどの理性」。こんなキャッチコピーを私はつけたい」(同p32)などと語っていた。
そんな、夜の街の光と影、そこで生き抜く女性や同性愛者への共感的な眼差しは、『B&B』の世界にも反映されているように思える。
生き延びる<作品>
残念ながら、彼女の生前に作品は完成には至らなかった。
彼女のエッセイを見ると、すでに30歳前後から体調不良の訴えは多くなっていて、引退直前の頃には仕事に穴をあけるほどだったようだ。押井ですら、引退後の飯島の姿については、こんなことを述べていたほどである――
飯島自身、メンタル不調をうかがわせるようなブログ投稿などもしていたものだから、彼女の急逝をめぐってはさまざまな憶測が流れ、いまだことあるごとに、その「波乱万丈の人生」がニュース記事で取り上げられたりもする。
しかし、その一方で、彼女が最期まで取り組んでいた、この『B&B』が言及されることは、ほとんど、ない。
<飯島愛/大久保松恵>の生を越えて日の目を見ることになった『B&B』という作品こそ、彼女の多面的な生の結晶化、証として、もっと広く読まれてよいと思うのだが。
たしかに、『B&B』に一貫したストーリーを見出すのは難しい。実際に書き始めてみると、かなり書き悩んでいたようで、押井によれば「彼女の中ではお話はあるけど、ここを書き、ここを書き、って点でしか書いていない」といった状況であったようだ。
しかし、だからこその魅力というものもある。
これはひとつの「散文」というべきものなのだろう。
途切れ途切れの断章ひとつひとつが、様々な連想を喚起する情景を描き出してゆくような……
アートワーク
ちなみに、本書の挿絵はアニメーターの小倉陳利が担当している。
でも、もし、絵も飯島自身が手がけたとしたら、どんな作品になっていただろうか。
最初の著書、『どうせバカだと思ってんでしょ!!』では自身のイラストも披露している。それだけでなく、表紙のCGイラストも飯島自身の手になるものだった(CGアーティストを目指し、Macも入手していたらしく、90年代前半という当時としてはけっこう先を行っていたのではないか)。
清楚な雰囲気の挿絵もよいが、カートゥーンぽかったり、猥雑なトーンだったりする飯島のデザインも『B&B』の世界にはマッチしたかもしれない。
また、テクストにしても、けっこうな量の原稿を用意していたとあるから、本書には収められなかった断片もいろいろとあるのではないか。そういったものも、いつか公開されることがあるだろうか……
……とはいえ、それよりもまずは、本書の復刊希望からか。
飯島愛 Bibliography
1994年 どうせバカだと思ってんでしょ!! (エッセイ集)
2000年 プラトニック・セックス
2003年 生病検査薬≒性病検査薬 (エッセイ集、週刊朝日に連載) (『生病~』)
2006年 お友だちになりたい! (対談集、日経エンターテイメント!に連載)
2010年 Ball Boy & Bad Girl (『B&B』)