見出し画像

煩悩喫茶Agua「あきらめがつきません」


いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ。

ご注文:ももジュースとバタートースト

「ぼく、果物ではももが一番好きなんです。もものジュースを出すところなんて珍しいですね」

 国内の生産者さんを応援したくて、当店のジュースはすべて国産100%ジュースなんです。そちらは福島のももですが、今日は山形のラ・フランスと山梨の巨峰もありますよ。パンは、近所のベーカリーから取り寄せています。やわらかくてほんのり甘みがあって、焼かなくても美味しい食パンです。

食べ終わると、お客様は私に声をかけてきました。

「実は・・・仕事をやめて、もうすぐ田舎へ帰るんです。でもふんぎりがつかなくて。どうしたら、すっぱりあきらめられますかね」
 ずっと役者(いわゆる、売れない劇団員)をやってきた。親の猛反対を押し切って上京して以来12年、バイトをかけ持ちしながら何とか続けてきた。親には30までやらせてほしい、それで芽が出なければ帰ると約束したが、結局32才まで続けてしまった。
「というのも、たまに良い役につけたからなんです。ドラマや映画に、セリフと名前付きの役で出たこともあるんですよ。ちょっとした役ですよ、でも親も一応喜んでくれました」
 そんなことがたまにあるから、「いつか、そのうち」とがんばってきた。本当はもう何年も前から、こんな生活に疲れていたのに。

 長い間がんばってきたんですね。それなのにここで終わりにしようと思ったのは、なぜなんですか?

「少し前に『もういい加減帰ってきて』って、おふくろから言われたんです」
両親とも、もう年だ。父親は以前大病をして、何とか働いているが、今も経過観察中。嫁に行った姉も「長男なのに何を考えてるの」と呆れている。

あきらめと、「ひょっとしたら、いつか」という希望の間を行ったり来たりはもどかしいですよね。正直なところ、どちらの割合が大きいですか?

「うーん、あきらめが6で、希望が3。あとの1は地元の奴らに笑われそうだから帰りたくないって感じです。あきらめが6なら、やっぱり帰った方がいいですかね」

ここから先は

1,207字

¥ 100

いただいたサポートは、記事取材や資料購入の費用に充て、より良い記事の作成に使わせていただきます。