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身体性に着目した裏街道――山内志朗『感じるスコラ哲学 存在と神を味わった中世』(慶應義塾大学出版会、2016年)評

スコラ哲学とは、キリスト教が力をもった中世ヨーロッパにおいて知識層の思想の主流となった哲学。「スコラ」とはラテン語で教会や修道院に付属する学校のことで、英語の「スクール」の語源でもある。

スコラにおいて学ばれ、研究されたスコラ哲学は、キリスト教の教義を扱う神学を、ギリシア哲学(とりわけアリストテレス哲学)によって理論化・体系化するもので、その集大成が有名なトマス・アクィナス(1225年頃~1274年)の『神学大全』である。このあたりまでは、高校の「世界史」や「倫理」で勉強したという人も多いだろう。

だが、そうやって伝えられてきた中世ヨーロッパ思想のイメージは、実をいうとあまりよいものではない。閉鎖的な場にこもり、大局的にはどうでもよいマニアックなテーマに重箱の隅をつつくように耽溺していく知識層限定の嫌味な衒学趣味――そんなところがスコラ哲学の一般的なイメージだろう。

だがそうしたイメージは、中世を暗黒時代として否定し自らの新しさをアピールしたかった近代哲学のプレゼンテーションにすぎないのではないか。そんな疑義のもと、長らく中世哲学を研究してきた著者(西川町出身)が、従来とは異なる角度からスコラ哲学の魅力を描き出そうと試みたのが本書である。

ユニークなのは、著者が「情念と感覚が草むらにたむろする裏街道」と表現する、スコラ哲学の身体性への着目である。従来「合理性の光に照らされた表街道」ばかりが重視されてきたスコラ哲学には、感覚や体感を通じて神とつながろうとする神秘主義の流れが随伴しており、それゆえにかの思想が多様性を保持でき、当時の知識層以外の人びとにも受容され得たのではないか。「感じるスコラ哲学」とはそれを端的に表現した言葉だ。

穿ってみるなら、著者のこうした見立てはスコラ哲学のみならず、「合理性の光に照らされた表街道」ばかりに目を向けがちな哲学全般、あるいは現在のよのなか全般に向けられた警句としても響く。さて、では私たちが味わい損ねているものとは何だろうか。(了)

※『山形新聞』2016年10月30日 掲載

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