私と東京と、それ以外の街たち

東京という街が好きだし、東京にいてこそ私は私でいられる、と思う。

東京に住み始めたのは5歳のとき、父親の転勤でそれまで暮らしていた東北を離れ、江東区深川のあたりに住むことになった。それまで暮らしていた東北の家は広く、近くに川があり、幼稚園にはスキーウェアを着て行っていた幼い私にとって、東京はまったく驚くべき土地だった。……と言いたいところだが、正直そんなに大きな衝撃はなかった。確かに深川の家は東北に比べると手狭になったし、マンション12階、永代通りに面したその部屋は比較的車の通りが多く、夜になっても明るくエンジン音が響いていた。でもそれだけだった。元々両親が東北出身ではないことも影響しているかもしれないが、私は子供の無邪気さを以て、あっさりと東京に馴染んでいった。

それ以来もう20年ほど、何回かの引越しを経ながらも東京にずっと住んでいる。心のふるさとはお江戸日本橋にあって、相変わらずJRには乗り慣れないけれど、都営線の駅たちにも見慣れた顔ぶれができてきた。旅行が好きで、アメリカやヨーロッパにも何度か行ったけれど、結局”私の街”は東京だ、といつだって思う。

東京はかわいそうだ。「東京には田舎者しかいない」「東京にはなんでもあるけど、何もない」「東京にいると消耗する」、言われたい放題だ。でも私はその猥雑さ、せわしなさ、両極端さにいることで落ち着きを感じる。思い出のある駅がある。愛着をもっているお店がある。実家があるというだけではなくて、そういったひとつひとつの過去たちが、東京における居心地の良さを作り出していると思う。

だから、一つ一つの記憶を拾い集めるように東京のことを書きたい。そこにある私の年月や季節を記して、東京を文字で遺しておけたら、それは宝物になると思うのだ。

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