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愛憎芸 #21 『文学的示唆とそれ以外の景色』

 身の回りの景色に意味を求めることは何かに縋りたいという潜在的な気持ちを顕わにするし、自分の拠り所の少なさをまざまざと見せつけられるようで、こういうときじゃなくてもっとそういう、拠り所を拠り所だと気づかないタイミングでそういう人たちを大切にできていたら、とかいろいろ思うけれどここは新自由主義の国、掴みに行かないと零れてしまう、なんてことだ、選挙に行った。

 そういうタイミングではついついジンクスを気にする。自分の場合は家を出た後に忘れものに気づいて戻るといいことがある、というのが一つなのだが真面目に生きていたらそれは全然発生しない。そこでこのジンクスをもう少し解剖してみる。

 そもそも、「忘れ物をする」ことが良しとされているのではなく「家を出てから忘れ物に気づく」ことがよしとされている。このジンクスは少年野球をやっていた頃に生まれた。例えばユニフォームのベルトをし忘れたまま家を飛び出す。仮にそのままグラウンドに着いてしまったら、ジンクス成功とはいえない。自転車に乗るか乗らないか、そのくらいのタイミングで「あ」と気が付くことができればジンクス成功である。つまるところ「忘れ物をする=緊張」、「忘れ物に気づき笑う=緊張がほぐれる」ということなのである。ジンクスってそういうこと?やけに論理的だ。もう少し突拍子もないジンクスはないか。みなさんのジンクスはなんですか?コメント欄で募集します。

ジンクスは、縁起の悪い言い伝え。さまざまなものがあり、生活に密着した教訓・習慣・法則の一つ。科学的根拠に基づかず、経験に基づき唱えられる場合が多いため、前後即因果の誤謬に陥っているものが少なくないが、近世になってから裏付けがとれたものもあり、全てが迷信と言いきれるわけではない。

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 …ほなわたしのは「いいジンクス」ということですか?もういいかなジンクスの話は。けれど「こっちの道を通った方がいい」のように、ジンクスって簡素化すればするほどいくらでも日々に溢れてしまって、同じ道しか通れなくなり同じ行動しかとれなくなり…と雁字搦めにされてしまう。だからここ数日、わたしはもう「後悔しないか」を選択の軸としている。たとえば前回の日記で書いた映画監督に話を聞きに行くために引き返したこととかがそう。どの電車に乗れたとか乗れなかったとか、FIFAでパリ・サンジェルマンに負けたとかって別にどうでもいいし、そんなのに人生左右されていたらたまったもんではないよね。

 久々に同世代としのぎを削るようなグループワークに出て充実感と危機感と悔しさとその他もろもろを得て帰ってきた。学生の頃に出たどのグループワークよりも協力し合っていて理性的に意見をぶつけ合える場所、スリル!でも出会ってわずか2日でその場を築けるチームメイト、あまりにレベルが高かった。懐も深くて、よい。わたしはいつも稀有な経験をする。

 ジンクスのような文学的示唆は人生を豊かにすると見せかけるけれど、結局は人と交わることでしか得られないものがあまりにも多いな。変わりたい、と思って日々を生きているけど一人きりではどうやっても変われなくてけれどこの2日間だけで半年分くらいいろんなものがうごめいた気がして、ここ2年間で得た冷静さのようなものは失わないまま、どんどん変わっていきたいな、と思うばかり。

 これまた示唆的な話になるけれどback numberのドームツアーで清水依与吏がハンドマイク片手に歌うシーンがあった。桜井和寿と被るその姿をライブで観たのは初めてだった。彼は必ずギターを背負っているギターヒーローだった。『ヒーロースーツ』。自らが行う他者との比較の呪縛(そう言った方がまっすぐだ)についてのこの楽曲でその姿になっているのも面白い。ライブに行くたびに清水依与吏さんは解き放たれているような気がして、でもやはりラスト直前のMCでは苦しそうにしていて東京ドーム2日目ではついに涙を流してしまっていて、それでも『ベルベットの詩』ではback number史上初めてと言っていい「ラ~」のシンガロングも求めてきて、久しぶりにライブで泣いてしまった。弱さ、情けなさを背負い続けながら生きる人の背中はつまるところ絶えず逡巡する人の背中で、そういう人がわたしは本当に大好きだ。

 芯を残して変わっていたい、誰もが抱く願望を例に漏れず抱いている。人生ゲームの大逆転!みたいなところを踏まずとも、マスの上を進むようにa little な変化。a little。大学1年のころ、英語学の授業で「ラブデイ」という教授に「おぬし、その回答に自信はあるか?」的なことを問われて"a little…" と言ってったらめちゃくちゃ詰められて、その授業を履修中止したことを思い出した。今なら逃げはしない、だろうけどそういう情けなさをわたしは持っている。それを知りながらそれを超えようとしながらそのままでいながら、気が付けば4月も終わりに近づいている。そういう日々を書きたかった。


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