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愛憎芸 #35 『中央線じゃない/慣れ親しんだ地獄』

 布団の中に潜りながら想像したことをそのままなぞれる人生、それはフィクションを好むひとがつい夢見てしまうものだと思うが、よくよく考えるとそれはただの予定調和でしかなくて、ひとつも面白味がない。わたしがあの時、いや、日々描き続けていたもの。阿佐ヶ谷に住む。23時まで残業をして、それでも小杉湯は深夜まで営業しているから寄ることができて、ミルク風呂でほくほくになって、チルアウト片手に高架下を阿佐ヶ谷まで歩いて帰って、そんな夢のような平日が待っている、と。夢?——まるで広告屋が見る夢である。そうあれるのは365日のうち何度あるかわからないのに、それが全てだとでもいうように、画面の向こうでキラキラしているものは決して暮らしではない。

 抱いた暮らしの理想像は淡く、それを保ったままわたしは不動産屋に開店凸していた。人生初のお部屋探し(今の部屋は社宅なので)。多少淡くもウキウキに、自分で探してきた阿佐ヶ谷の物件を差し出したが、不動産屋がちょちょいと電話して確かめるとそこはけっこうな事故物件だった。やはり、淡かった。それから中央線沿線で物件を探してもらうもあまりいいのがない。あとから三鷹に住んでいる先輩に話したら「まあそれが中央線の魅力だからね」と言われて意味不明なのに妙に納得した。安くていい物件があまりないこと。一筋縄じゃいかないところ。

 吉祥寺の物件で妥協しかけたとき、わたしが「実は…」と差し出したアナザースカイ、それが小田急沿線の物件だった。前日、ふと思い立ったように経堂・豪徳寺エリアの物件をみていて、駅近・築浅・自分の思うオシャレの基準に沿う最低限の外観を兼ね備え、かつギリギリ出せるレベルな家賃帯の物件を見つけていたのだ。そこは不動産屋のお姉さんから見てもそうとうな良物件だったらしく目が輝きだす。わたしたちはすぐさま小田急に乗り込み、とんかつにハマっている不動産屋さんに人形町のオススメ店舗を紹介しているうちに街について、初めて降り立つその街はえらくひらけた街だった。内見した物件も最高。自分、夢のようです。ここに住みます。不動産屋を3軒回る予定(実はあんまり意味ない)だったが、即決した。こういうとんとん拍子の流れは逃してはいけない、風の吹き方が甲子園の浜風、フェンス側へ吹いている。

 小田急がつくる街が好きだった。首都圏に越してきてから幾度となく下北沢のBONUS TRACKに通った(小田急が親となり、本屋B&Bの内沼氏らの散歩社がプロデュースしているのだ)。街を大切にするために、攻めのクリエイティブではなくまるでコーヒーをドリップするときのように染み込ませてを繰り返していくような街づくり。注がれる一滴一滴の力を信じる街づくりを愛して、遠い市川の土地から何度も通ったそこもまた定期券内になる嬉しい誤算。前述したように理想の帰り道など年間何回実現できるのかと途方に暮れるものだが、いつでも足を伸ばせる範囲に安心できる場所があるのは精神衛生上よい。愛する場所を作った会社が長いこと育ててきた街に住むことになったのは、必然だったのかもしれない。

 住みたい街は曖昧でも、暮らしをたてることへの欲求は底なしだった。この3年間、梅雨前線みたいなものが心の中に滞在していた。梅雨の晴れ間のようなかすかな希望は照れ隠しみたいに消えてしまうから、なかなか掴むことができない。会社を出たら見えるスカイツリーの光。隅田川。スカイツリーが愛おしくて仕方がないわたしは、これが掴みたかった生活、大学時代喉から手が出るほど欲しがった東京の生活だと信じていたけど、わたしの住民票は市川市にあって、住んでいる部屋は会社が格安で与えてくれるものだった。東京生活をサブスクリプションしていた。サブスクは自分のものではない、なんかあったら終わり、だから本当に好きな映画のBlu-rayを持っているし、back numberのアルバムに関してはCDを買うようにしている。

 今回の転職活動で、東京の暮らしを築き上げる行為をこんなにも欲していたのかと気づいた。何より大事なのはそこだった。この3年、観たい映画をたくさん観て、おいしいものもたくさん食べて、ちゃんと会いたい人には会えていたのに、ある種一番大事な暮らしに関してはずっと満たされておらいなかった。もちろん、仕事が自分の人生を本気でぶつけられるものではなかったのも一因。握っても握っても何もない、食べ応えのない感触!から脱出するために飛んで火に入る夏の虫。

 大好きなPodcastで「unknown heaven(未知の天国)」と「familiar hell(慣れ親しんだ地獄)」の話をしていて、あの日々のなかわたしはずっと、familiar hellの釜でぐつぐつと、焼かれるでもなく着実に煮物にされていたのだ!と思った。すまんが、ここいらで天国へ舵を切らせていただきます。

 最近、若干目線が変わったのか、同じ場所の気づかなかった風景に出会うことが多い。昨日の市川市は満点の星空で、関東に越してきてから初めてオリオン座を見ることができた。今日は富ヶ谷の歩道橋を渡っていて、いつもは『大豆田とわ子と三人の元夫』に出てくる上原の方とか代々木公園の方を見るのだけれど、ふと渋谷方面を振り返るとスクランブルスクエアが見えた。いまだ忘れがたい、あの2021年夏を振り切れるのかもしれない。東京生活第二章の明確な始まりはここかもしれないと、大好きな街でシャッターを切った。

 愛憎芸を始めて一年が経った。立て込んでて書けないこともあるけれど、地道にこのタイトルを続けていきたい。最近人の愛憎に触れる機会が多くて、生半可な気持ちでこのタイトルをつけたことを後悔してる。机上の愛憎と違って現実の愛憎はぶっちゃけ夜も眠れない、でもこれはあくまで芸、なので。次の一年も読んでいただけたら嬉しいです。


◎2年目に入ったので、愛憎芸にもマガジン的な要素をつけてみます。良かった映画・音楽・場所など、区切り線の下でこっそり紹介します。

▪︎槇原敬之『もう恋なんてしない』

 京都音楽博覧会2023の槇原敬之がすこぶる良かった。歌のうまさ、というか包容力。去年も出演されていたけれど今年は比べ物にならないほど感動してしまって、調べてみたら執行猶予が明けていて泣けてきた。岸田さんが2年連続でブッキングした理由、それに十二分に応えたパフォーマンス。どの曲も甲乙つけ難いけど、やはり一曲目のこの曲を。

▪︎『わたしの一番最悪な友だち』(ドラマ/NHKよるドラ枠)

 詳細は下記わたしのnoteを参考にされたしだが、脚本の質の高さ(=主人公・笠松ほたるの人物造形のリアルさ)に唸らされる。就職活動についての視点がかなり真摯な傑作。

▪︎『今夜すきやきだよ』(ドラマ)


 ちょっと前の作品ですけどネトフリで配信になりましたので改めて!ほのぼの食ドラマではなく、「新しい価値観」とどのように付き合っていけばいいのか、地に足つけて考える都市生活ドラマです、何よりみんな、登場人物が生きています、ほんとうに全人類見て。

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