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日記;20240403 知らない人に話しかけられる(良い場合)

 小田急、千代田線、半蔵門線が一切遅延せず、これは...!と期待しつつ九段下駅に到着したら都営新宿線が12分遅延していた。12分て。影響をモロ受け、ギリギリに出社。昼休み寝ないと午後の座学が眠くなるので、どうにかセブンでうどんを買うことができた。

 昼休み、今日は一人だったのでWSのみんなの日記を読んだりする。Cさんが𝕏を始めていた。みんなで本を作る春も一人で作ろうとしている冬も、文フリに関わるなら𝕏はまだまだあった方がいいもので、かつ母から、会社でXを運用しようと思うから電話したいとかLINEが来ていたので、距離を置くために消していた𝕏のアプリを入れ直した(最近はブラウザから見ていた)。𝕏、リプ欄を見なければまだまだスレッズより上かも。ひとたびリプ欄を開けばゾンビ映画の序盤くらいリプライゾンビでうっじゃうじゃなので、もう𝕏は「人の会話を端から見る」側面の魅力はなくなっている。

 一方で元来の独り言ツールとしては、まだまだ使えると思った。どうせ生成AIによって作られた文章が中東から飛んでくるなら、それの「本当のクソリプを覆い隠す」作用を愛せばいいのかもしれないし。時代は孤独。友情・努力・勝利?いやいや孤独・怠惰・引き分けでしょうに。イーロンがゴミにした𝕏のことをわたしはかたくなにTwitterと呼んできたが、いざ再度𝕏のアプリを入れてみればそれはもうTwitterの姿形をしていないのだからもう割り切って𝕏としようと思う。Twitterはゴミではなかった。𝕏が、ゴミなのだ。ディストピアのワクチン。そう思ってときたま開けばいい。スレッズは調教次第でなんとでもなるが、時々何のためにやっているのかわからんくなる、必死につぶやいてみるけれど結局日記が待っていて、思ったことはつらつら書けるわけなのだから。

 ここ数週間、職場と家との往復のあいだで村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を読んでいる。満員電車で無理矢理スマホを見ている人は山ほどいるけれど無理矢理本を読んでいる人というのは少ない。だからこそ同じ人を見かけると嬉しくなるし、その背表紙を追うためにわたしの目はいいはずなのに全然見えない。

 下北沢のスタバで日記と愛憎芸をそこそこ書いたあと、仕事着を買いにユニクロへ。セットアップを見ていたら、知らないお兄さんに「ユニクロのジャケットって買われたことありますか?」と話しかけられた。店員と間違えたとかじゃなく、いち客同士として話しかけられたようだった。「今着てます!」と2Bコンフォートジャケットに手を添える。「おおー!」とお兄さん、いいですねそれならよさそうだ、と。撥水のパーカーみたいなのを羽織っていて、いつもこんなので仕事してるけどたまたまジャケット着なきゃいけなくて、と。「なんの仕事してるんですか?」とか訊いてあげればよかっただろうか。こういうときの咄嗟のグイグイ、がまだ出てこないな。とはいえ彼としては、それをまんま仕事で着てる人に出会えて安心材料を手に入れられたわけで万々歳、やたら満足した顔で去って行った。なんの意図もせずに良い人になってしまった。なんの意図もせずに悪者にされることばかりのこの世界においてはかなり良いシーンだと思った。同じ見知らぬ人に話しかけられる、でもこんなに違うのか...わたしはジャケットは買わず、シャツ3枚とパンツ(パンティの方)2枚を購入し帰路についた。

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