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愛憎芸 #43 『回らなかった打席/冬の具体的な愛おしさ』

 草ソフトボールの試合で自分に回ってこなかった打席のことを考えていた。このまま自分に打席が回れば、自分が打つか打たないかでこの試合の勝敗が決まる場面がやってくる、とわかる場面。ふと思い出した、独特の緊張感。わたしはそれをかき消すために、そしてなにより自分を奮い立たせるために、チャンスで打席に入ったら打席でお尻を振ることにしていた。イチローが打席に入る際にバットを垂直に立てるあのルーティンが、わたしの場合はお尻を振ることだった。要は、大事な場面の直前でそういうめちゃくちゃアホなことをすることで、極度の緊張状態から正気に戻ろうとしていたのだと思う。

 たとえそうやって緊張をほぐしたとしても野球は3割打てればいいとこなスポーツで、ダメな時も普通にある。そういうヒリつきを結局追い求めていたのだろうか。そう気づいたとき期待感に満ち溢れたのだけれど、わたしの前の前の打者のおじさんがあっけなく空振り三振に倒れ、結局そういう場面は回ってこず、次の回にノーアウト1塁で打席が回ってきて、試合を大きくは左右しないその場面でわたしはショートゴロに倒れた、と思ったらショートがエラーをしていて、ノーアウト1、2塁にチャンスが広がり、2点くらい返したけど結局負けた。あの瞬間はまた訪れないまま、次の試合の2塁塁審としてわたしはアンダーシャツ1枚でグラウンドに立っていた。

 次にああいう思いをするのはいつ?業績を左右しかねない大きな商談?商談は勝率3割でいいんだっけ?まあ、いいのかもしれない。「生きた心地のしない」緊張状態というのは、結局最も「生きた心地がしている」はずだろうと思いジャッジをする。1塁ランナーが2塁に走ってくるがそれより前にボールはセカンドベースマンのグラブに到達したので、当然ながらわたしは右手のこぶしを作って掲げて「アウト」とか言ってその人の人生の一部分に片足突っ込んで、すぐにそれをひっこめた。


 深夜3時、自ら望んで本日の寝床としたソファーの上で目を覚ます。こいつはまずまずのソファーなので、そこで寝る弊害というのは通勤時に家を出てから電車に乗るまでの間に腰が若干張ったかも、と思うくらいのもので、とするとこれは、ただただ「ベッドではなくソファーを選んだ」罪悪感を享受できるだけの行為となっている。起き上がり、ソファーに望まれた本来の座るという行為にわたしは転じて、うっすいカーテンから入ってくる屋外の蛍光灯の光を僅かに受けつつ、iPhoneのロックを解除し今の気温を確かめてみた。11.3度、ああ春、深夜でもなお10度を下回らない。ずっと望んできたことのはずだったのだが、なかなかどうして、その暖かさにも満たない暖かさにさみしさを覚えた。四季の存在を知る限り、寒さにさらされれば誰だって望むであろう春の到来をわたしも同じく望んでいたにもかかわらず、いやいやまだ寒いんだわとそんなフリをして、わたしはなくてもいい毛布と掛け布団をしっかりと重ねてベッドに戻って入眠した。

 「日記屋 月日」さんの『日記をつける3ヶ月」というワークショップに参加し、日記を毎日つけはじめてから4ヶ月が経った。この冬は退職して就職して退職して就職してとりあえずは定着したという、わたしの人生の中でも随一奔放な期間だったのでそもそもそう簡単に忘れることはないだろうが、かといって日記をつけていなければ思い出せたことというのは前職が生理的にムリで生理的にムリなことは自分にとっては重大な問題だったということ、縁を大事にし続ければとんでもないピンチであっさり助け船を出されること、あとは退職~(以下略)の事実くらいしか残らなかっただろう。

 ところが、こんな期間に毎日日記をつけ始めたものだからその日々の感情の機微はもちろんのこと、実際にあった些細な出来事まで、綿密に記録されているのだ。退職を決意した1週間後にわたしは『インターステラー』を家で観ていた。あの映画は3時間超だから、平時に家で観るのはいささかはばかられた。こんなことは日記をつけていなければ忘却の彼方にあることだが、日記をつけているのでGoogleドキュメントの目次を遡ればその事実に即たどり着ける。日記をつけることで記憶の引き出しを確かなものにしていると思う。

 ワークショップの初期に、「日記とエッセイは何が違うんだろう」という疑問を抱いたことがあった。日記も熱が入れば1日2000字を超えることもある。この愛憎芸はおおよそ1500字~2000字をめどに作っているのでそれと遜色ない(今回は3000字くらいあるが)。それだけ文字数があれば思いの丈もこもる。テンションが上がればリリシズムもはばかられない。そこまでやったのならそれはもうエッセイでは。「日記エッセイ」という言葉もあるくらいだし、こんだけ書いて満たされれば愛憎芸やらんでもいいのでは、と初期は思っていた。実際に、WSの共有フォルダの方で書いた日記を清書してnoteの方に上げることを最近始めた(「日記;」シリーズ)。

 まるっきり別物でない別物に出会ってきた。J-POPで例えるなら、日記は弾き語りVer.で、エッセイは弦楽アレンジを含めた完パケVer.か。その前提に沿えば、冬の文学フリマがビッグサイトで開催されることになったほどの日記ブームもうなずける。瑛人『香水』は弾き語りで流行って紅白まで行った、それくらいときに人は「ありのまま」の状態を欲しがってきた、ありがたがってきた。

 とにかく、毎日日記を書いている。これといったおもしろエピソードがない日も毎日書く。帰ってからの記録がパワプロしたことくらいしかない日があるがそれでもパワプロをやったと書く。そのときTVの中の山本由伸が投じたドロップカーブが描いたその軌道によって、今わたしを構成する体の組織の何かが変わったかもしれない。日記を書くことで感覚が言葉になり、そして何より「いつでも思い出すことができる」。

 その枝葉に雪が積もっていたことを誰も思い出さないままパッコンパッコンと桜が開花し春が到来した。去年見忘れた、『四月の永い夢』の聖地たる国立市の桜を今年は観に行った。十二分に咲いている桜を見て「ほら、あそこ、まだ全部咲いていないんだよ」という人を尻目にフィルムカメラのフラッシュをたく、そんなことよりわたしは曇り空が惜しいよと、一人で行ったものだから言葉にはしない。

 4月に入ってから、雨が梅雨のように町を濡らすなあと思ったが、ある人は「桜の季節はいつも雨」だと言った。そう思ったことがなかった。4月の深夜に目が覚めたとき、不思議と暖かくてそれが寂しかった。本能的に、この季節の変わり目という、自分が経験する数を数えることが決して不可能ではない、仮に100年生きるとしたら冬は100回くらいしか経験できないと、あっさりと算出できてしまうその単純さゆえのさみしさなのかもしれない、と、記録する。どれも2年も3年も覚えていられないのだろうけれど、それが本になれば、一人が見た景色というものを数百年後に誰かが発見するかもしれないという参照のロマンにわたしたちは魅せられている。

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 月日さんのワークショップのメンバーとファシリテーターさんのphaさんで作る日記本を今度の文学フリマで出品・出店します。15人で、リレー日記だけど交換日記、な形で、月日さんワークショップのあとの3ヶ月を書きます。みんな、ワークショップが終わったあともひたすら日記を書いています。

 文フリ、いろいろなジャンルの同人本が集まっていてほんとうに文化祭のようなので、是非みにきてください。屋号はたぶん「みんなの日記サークル」。一番苦しかったはずの3ヶ月なのに書くことが楽しくてしょうがなくて辞められないなあと思えたのは間違いなくこのみなさんのおかげなので、そんなみんなと本を出せるの、正直うれしくてたまりません。愛憎芸初のPR回でした。みんなも、たくさん日記を書こう。


■MAGAZINE:BUTLOVESONLY

■コントライブ ダウ90000『30000』

芝居とコントの両方で本多劇場を埋めたことになる

 お笑いのライブを観に行ったのって初めてだった。ダウ90000のコント公演。自分はダウは芝居の方が好きなのだが、とはいえこの日も20分を超えるレベルの尺のコントもあり、お芝居かコントか、でもなんでもなく、お芝居をしっかりできるからコントが面白い、というものになっていた。大声で観客席が笑いまくってるの良いな。

■映画『海がきこえる』

 Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下でリバイバル上映中。基本的にはレンタル・購入でしか見られない今作、映画館に行った方がいいです。ビジュアル面の良さは映画館で引き出される人間の集中力を最大限動員して観るほうが堪能できるわけだし。家で適当に見ていた時にはリカコの奔放っぷりにイライラもしたわけだけどあれは都会人の茶目っ気のようなもので、成城学園を誇らしげに歩く彼女の姿に何一ついやらしさなんてなかった。

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