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愛憎芸 #14 『2月のある晴れた夜にブロッコリーのビタミンCはレモンの5倍あると知ることについて』

 1年半ぶりに会った彼女に、ブロッコリーに含まれているビタミンCがレモンの5倍であることを説かれていた。かつて猛烈に片思いした相手と栄養素について語っている。相変わらず私は恋愛が苦手だけれど、もうそれでもいいやと思えているのがあの時との大きな違いなのだろう。

 1年半前に猛烈な振られ方をして以来。2日前に決まった成り行きでの再会。相変わらず、ペースは常に彼女にあって、緊張で細くなった私の声は学芸大学の大衆酒場ではとても通らないようだった。繰り返し「ん?」と聴き返される。声が細い職場の後輩に腹式呼吸を勧めた人間とは思えないほどのか細い声で、それでもどうにかこの人には流された言葉とか相手を立てるとかそれだけではなくて、自分自身で向き合っていたいと思った。

 この1年半、あの時抱いていた気持ちの正体を疑い続けていたけれど、それは確実に恋心であった。1年半も会っていないと彼女の存在はだんだん記号になっていって、目黒区、モリモリの料理、映画、読書、モテキの長澤まさみ――ひょっとして自分は彼女の属性が好きだったのではないか。そう考えて彼女の断片を辿るようにマッチングアプリで様々な女性との逢瀬を繰り返したけれど満たされることはなかった。そう、違ったのだ。属性で人間ははかれないし、属性に恋をすることはできないのだ。彼女は相変わらず誰よりも深く考えていた。自分の行動や感情、選択した道、その正体に考えを巡らせている。勢いで生きているようで、やまない検討がその後ろからついてきている。そして何より、それらについて言葉にして語ることができる。それをずっと繰り返して生きているその姿に自分の人生を見たことが何よりも嬉しかったのだった。語る人間になら語っていいと思える、その安心感は相変わらずあって、なにより自分がしたいのは終わることのないおしゃべりなのだと改めて思った。人生の駒を進めたいから、この再会にあたってまた恋愛に至ることはしないし、彼女に置いていた思いはどこかへ飛ばそうと思うのだけれど、それが高々と舞い上がる風景を撮影して手元にとっておくことくらいは許してほしい。それが本当の意味での忘れるという行為だと思う。

 彼女もまた、私と同様に満たされていなかった。それもけっこう深刻に。私は今だに文筆の夢があって、それが何の到達もみない日々が続くから精神的に健康でない日も多いのだけれど、彼女はある種夢をかなえてしまって、その後の人生の歩み方、意味の見出し方にずっとモヤモヤしているようだった。出会ったときはその夢に一区切りをつけたところで、そこから1年半が経ち夢のあとさきを感じ続ける日々。自分のことはもういい、誰かのために生きることが喜びなんじゃない、と言う27歳の横顔は少し僕ではなくて前を見つめていた。

 隣の芝は青く見えるというけれど、会えない間の1年半、四角い投稿たちから覗く彼女の暮らしは充実していて、まるで何一つ悩み事などないような、東京・目黒区・最前線女子のそれだった。だがその暮らしの中にはずっと葛藤があって、けっこう深刻にしんどい経験もしていて。表象だけで人を語ったり捉えたりすることはやめにしなければならないし、それをやめにできないから、その日に出ていた首相秘書官のオフレコ発言みたいなのも生まれてくるのではないか。想像力の欠如に、正義感がブレンドされると最悪だ。

 返せていなかった本を返して、自分が去年の暮れに救われた星野源のオールナイトニッポン土井善晴ゲスト回のリンクを送って別れた。ほぼ絶縁状態になってしまっていたけれど、自分の人生にはやはり必要な人間だと思う。たまに、2時間でいいからお時間を頂戴して、私だけでは見られない景色を見せてほしい。

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