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愛憎芸 #5 『ホムカミと街』

 昨日の仕事中から体調に異変を感じ、「とにかくレバニラ定食を食べるように」と上司に言われたのでそれを帰り道に食してから家で体温を測ると38度を超えていた。改めて、街中に設置されているサーモグラフィーの精度の悪さよ。コロナ禍が始まったころ、ユニクロのサーモグラフィーで私の体温は32度を記録した。多分誰だって経験したことだろう。未知数の体温を記録するためにいくらお金が使われているのか。そんなことを思いつつもしっかり眠り、毎週月曜日更新を飛ばした。脳みそがグジュグジュに混ぜられたイメージで、文章が全く浮かばなかった。こんな時に限ってストックしている文章も切らしてしまっていてトホホ。翌朝起きると体温は微熱まで下がっていた。2年半勤めて、病気で休むのは初めてだった。妙な罪悪感があったのに、拍子抜けするほど上司が優しかったのは、その実績のおかげか。ともかく抗原検査も陰性。とりあえず半日寝たら脳みそは回復して、寝すぎて眠りにつくのも困難になったのでこうして文章を書いている。ともかくみなさんもお気をつけくださいね。

 フルでない体調に、Homecomingsの音楽がしんしんと染みわたっていく。歌詞を書く福富さんの標榜する優しさが本物だからだろうか。福富さんの書いた、私の大学のすぐそばでもあった室町中立売についての文章が大好きだ。私にとって何気ない存在で「とりあえず入るか」とか思っていたあのミスタードーナツで、福富さんは『Cakes』を執筆されていたのである!そのあと、ミスドは実は、コーヒーおかわり自由であることを知った。というより、そういう「そこにいた事実」だけでその場所にスポットライトを当てることができるのはやはり創作のストロングポイントだと思う。私がHomecomingsを好きになったのは東京に出てきてからでとても勿体なかった。京都にいた頃彼らはよくライブをしていたし、ひょっとしたらタワーレコード京都店で福富さんにレジをしてもらっていたかもしれないのだ。しかしそれもまた縁の形というか。昨年の冬、初めてワンマンライブに行ったときそこは渋谷だった。渋谷で、福富さんの口から京都のことが語られて、ああこの人たちもまた、京都に、もはやいますぐ映像化できるような解像度の思い出を置いてきながら、こうやって東京で頑張っているのだと思い励まされたことを覚えている。今年のクリスマス公演はLaura day romanceとのツーマンじゃないか!すぐにチケットを確保する。

 やっぱりその街のことを本当に好きになるには、そこに住んでこそなのではないかなと思う。高円寺のこともどうしても客観的にしか知らない。スポットスポットを目当てにその街にいったり、一晩散歩したりして感じる空気と、たとえば毎日仕事から帰ってきて、駅から出て西友へまっしぐら、買い物袋をぶら下げて歩いて感じる空気には明確な違いがある。例えば三軒茶屋はキラキラした街で、カフェブームの火付け役になったほどの街であるが、職場が近いからという理由で住んでいる友達が1年住んで得た感想は「道が狭い」だった。駅構内もそうだし、出てからの246沿いもそう。狭いという。「それに比べて池尻はいい」らしい。私は今住んでいる街があまり好きではないのだが、社宅制度も絡んで、この環境からの脱出には仕事を辞める必要があり、すぐには動けないでいる。

 よく東京のことを「なんでもあるけどなんにもない」とその空虚さを嘆く文面を見かけますが私はそうは思っていなくて、東京は細分化が必要な町だと思う。確かに「東京」という全体像では、イメージのわりになんにもなくて、人が冷たく感じたりとかもあるのかもしれないけれど、そしたら高円寺の人たちとかって絶対全国屈指の人懐っこさですよね。東京はその街ひとつひとつが地方都市だと思った方がいいし、そのうえで自分はどこに属するのかを決めるべきなのだ。住みたい街の物件を眺めて、そこでの生活を妄想する。それだけで今は、飯が食えるようで食えていない。

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