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25歳、人生初月見バーガー食後エッセイ

 正しくは「濃厚とろ~り月見」を食べた。なぜだかよくわからないが25年の人生、一度も月見バーガーを食べたことがなかった。と書いてたところで月見バーガーって何年前からあるんだ?と思って検索をかけるとトミーズ雅が61年の人生で初めて月見バーガーを食べた、というヤフーニュースが目に入り、は?この文章これで終わるんか?とキレた、何なのこれが年の功っていうやつですか?(ちがう) あくまで月見バーガーはきっかけでしかないし本当は夏終わりエッセイとかにしたかったけどもう中秋の名月すら終わっていて、暦もマクドナルドも私にもう秋だよと教えてくれていたことを知る。

 じっさい、月見バーガーは今年で30周年らしい。生まれる前から存在しているではないか。初めて食して、その食感がどう考えても食べたことがあって、え、25年で初めてというのは嘘なのか?と思ったが、これはあれだ、エッグマックマフィンを食べたときの感覚だと気づいた。まさか同じ卵を!それはないか。本当にないか?完熟卵があまり好きではないとはいえ、多くの人が風物詩として愛するこれを食べなかったのはなんだかなぁ、と思う。まあ「月見バーガー」を仮に季語だとして、俳句なら3分の1が、短歌なら5分の1が持っていかれるし...ってそれは別にいいや。この前だって川越は小江戸で駄菓子屋に行ったが、駄菓子を食べた思い出がほとんどないので地獄のような時間を過ごしたし、妙に真面目な子供時分の食生活を恨む機会が最近は多い。月見バーガーはおいしかったが、客観的に見た自分はおそらくポテトの方にがっついていた。マクドナルドのポテトは最高だ。ハッシュドポテトも最高だ。ハッシュドポテトに関してはレギュラーメニューのポテトの本数くらいほしい(倒れる)

 仮にそうならすべてのことにつじつまが合うよね、という、自己のアイデンティティに関わる考えをここ2日ほど巡らせていた。いったんそういうことにしてしまって受け入れたほうが逆にいろいろ生きやすくなるんだろうな、と思いとりあえず宙に浮かせておくことにする。洗い物のつけ置きみたいな感覚で。それっていずれちゃんと洗わないといけないってことか?

 人間、結局誰かにとってのコンテンツでしかないんでしょうか。その人のその時点での最後の一人にならん限りは、結局話のネタと化すのが最期なのでしょうか。デートしている時に出てくる元彼やその子が振ったかつての男たちの話、それを私は笑っていたけれど、今は私が誰かに笑われているのではないか?人の引き出しを増やすために生まれてきたわけじゃない、そんな心の狭いことをあまり言いたかないけれど、なんかめっちゃくちゃ悔しい、自意識過剰、うぬぼれが露呈しているけれど。なんだこれは。誰も死ぬために生まれてきたわけじゃない...(VERB/GLAY)

 久々に間近で海を見た。お前絶対生きてるやろと思うほど高潮で驚いた。いや、確かに海は生きているのかもしれない。我々生命は、そもそも水からもたらされてきたという。体重の60%は水だという。私の体の場合はそこに鶏油やガラムマサラ、CHILL OUTドリンクにカフェイン等が含まれるかと思いますがね。ともかく私たちは海からやってきた。そして地球外生命体を探すときの重要なヒントの一つも、やはり水の有無なのである。そんな母なる海を見るのは気持ちが良かった。写真が最強(語彙力ゼロ)の友達と行ったのでポートレートもたくさん撮ってもらい自己承認欲求が満たされた。身長も顔面も決して好条件とはいえないのに、最高に仕上げてくれる。もう7年くらい関わっていることになる、久々に会うけど毎週LINEしているおかげで近況報告!という感じにならないのがなんとも心地よい。刹那主義ワイ、居心地がとてもよいのです。感謝。

 これからクールビズが終わり、冷え込んでくる。私の大好きな冬がやってくる。二度目の東京の冬である。刹那主義もいいが来年の四月、自分がどうなっているかの想像をしながら生きていきたい。2023年には今の寮を出て国立市で暮らす、これを一つの目標に、いろいろコツコツ積み上げていく。あとそろそろ、短編小説を上梓...アップします。noteの下書きに書いているのだ。芝居もやりたい、脚本も書きたい、いろいろやりたいが、月見バーガーの感想を自分なりにもったように、ともかく一つ一つに決着を。

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