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愛憎芸 #38 『遡上』

なかったもののうえでダンスなわたしたち無機質にただ走るGoogle

瀧本緑

コーヒーは注ぐもの

 せめてコーヒーに注ぐお湯だけでもおだやかにあれとふと思って、丁寧に、丁寧にと注いだコーヒーは自分で淹れたものと思えないほどおいしかった。わたしの表現が文学に寄る時、コーヒーがついてくることが多い。文学とコーヒーというのはもはや使い古された距離感だと思うが、わたしは1日に3回くらいコーヒーを淹れる日もあるくらいなのだから、たとえ使い古された表現であり距離感なのだとしてもさすがに使う権利がある。しかもこれは他人のものさしではなくて自分のものなので、とかそう思ったらなんだか嬉しくなって、平日の朝にコーヒーを淹れられたのは久々だった。

 コーヒーを淹れるという行為は社会人になったタイミング、つまり2020年から始めたことで、その期間は人生の1/5にも満たない。それなのにずっと前からともにあった行為な気がするし、今の生活の上にそれなりのウェイトでたたずんでいる。その「重さ」はなみなみとまわりにも広がっていき、遠くに住んでいる母がわたしを真似てコーヒーを淹れるようになった。「粉にしちゃうのは封を開けてるようなもんだから」と言ってもなかなかその先に進んでくれなかったからコーヒーミルを贈った。そしたら母もまた、豆からコーヒーを淹れるようになった。「カルディカルディ」とよく言っている。

 豆を削って、フィルターをセットして、お湯を注ぐというその工程は5分程度で完結するので、慣れてしまえば大した気合いも必要としない。これはほんとう。けれどもそこにはちょっとしたハードルのようなものがあって、ハードルというのはたとえちょっとしたものでもトコトコと歩いて超えられるようなものではない、助走をつける、飛ばないにしても跨ぐなどしないといけないものだから面倒だし邪魔に思うこともあるのだけれど、ハードル超えてもおいしくないけどそうやって淹れたコーヒーはめちゃくちゃおいしいので。みなさんも、カルディカルディ、でいいと思うので、豆からコーヒーを飲みましょう!


ストリートビューではしゃぐ

 Googleストリートビューには過去に遡る機能がある。Googleは数年に一度ストリートビューを撮り直しているのだが、その変遷を追うことができるのである。それでふと、自分が今住んでいる部屋を追いかけてみたら2010年まで遡ることができて、三角地帯の中に草が生い茂っているだけだった。街を見渡してみても、今あるものが全然ない。ショッピングモールは工事中、クソでかい駐車場は車室だらけ。13年前ならこの街に引っ越さなかったかもしれない。

 2009年の次は2013年で、その頃には今のマンションも建っているしショッピングモールは完成しているしで街は小綺麗になっていた。駐車場はまだデカかったけど。4年か。4年もあれば街は変貌する、となるとそろそろわたしが京都から出て4年である。幸い実家の周りは何も変わっていない(おそらく、30年くらい前から)が、やはり同志社大学の周りは別物になっている。TSUTAYAは無くなり、ほとんどのラーメン屋が敗走。TSUTAYAの後のリサイクルショップも潰れ、ついに直営店のひとつである天下一品今出川店さえもアルバイトの人手不足で臨時休業らしい。最近は天一は直営フランチャイズ関係ない味なのではと思うことが増えたが、あそこの天一はそれこそ深夜2時でも空いていて、大学生の頃の淡い…淡くもこってりとした記憶のセーブポイントだったのにな。もう戻れないかもしれないと思うと寂しい。残ってくれ。

 ストリートビューのデータが2010年からあることに衝撃を受けた。インターネットは気がつけばそこそこ歴史を重ねていて、2010年が「アーカイブ」対象になってしまっている。2010年はわたしがTwitterを始めた年だ。広瀬香美くらいしか有名人アカウントがなかったイメージ、と思うと確かに過去棚。

 過去、が積み重なれば積み重なるほど今、が短く感じるのがまた寂しい。寂しくなくなる日は来るのだろうか。人生は失っていくもの、という大好きな映画のセリフを思い起こす。積み重なったうえに立っているのに失っているというのはあまりに逆説的である。積み重なったうえに立っているのでそれらを拾おうとすると足元が崩れ落ちて落下、死んでしまう。そんな言説を唱えられるだけわたしは大人になってしまったのか?大人になるということは過去を見ないでいられるということ?そんなわけはないと思うんだけど。

 わたしはまだまだ過去に縋っていたい人間で、Googleストリートビューを見てしまう。そんな機能があるんだよとこの前母に電話した時に伝えたら大はしゃぎしていて、親だ…と思った。


■MAGAZINE:BUTLOVESONLY VOL. 4

■私信 

 みなさんご無沙汰しております。多分愛憎芸として更新するのは今年最後となる予定です。ただ、『いちばんすきな花』についてのエッセイを同時並行で書いているのと、引っ越すという行為についてはどうしても今年中に書き切りたいので、それは愛憎芸でカウントせずにアップしますので、ぜひ読んでみてください。

 前回の愛憎芸で短歌を始めたい、ということを言っていたのですが、さっそく冒頭に入れてみました。これから愛憎芸の冒頭には短歌が入ります。短歌だけはやったことがなかった創作なのでコツコツやって、どうしても作品にしたいある景色を書ききれるところまで行こうと思います。

 愛憎芸をどうにか1年やり続けることができました。まあ当初の週一更新は一切できてないんですが、それでもこうやってナンバリングしているおかげで、1年前よりはだいぶ書く量が増えました。今年は今泉力哉監督に文章をさらりと褒めていただけたりとか、地味に自分で好きだったアイスクリームフィーバーの記事がじわじわ来ていたりと、好きだなと思って書いた文章がそれなりの反応を得られることに喜びがありました。

 今年はここ2カ月で仕事も変わり住む場所も変わり、これからはもう少し解像度高く東京の暮らしを書けるのではないか、一方で激務とされる業界に転職をしたのでどこまで書けるか、という不安がありますがそれでもいまわたしは毎日日記を書いています。やっぱり「それ」が生活にあることはどこか安らぎなんですよね。文章書くの好きな人間はやっぱり文章を書いてナンボ、と思うので来年もたくさん書いて、まずは愛憎芸50回到達を目指します!誕生日までには到達したい!来年もよろしくお願いします。

■『ブラッシュアップライフ』

 これは紹介せざるをえない。面白すぎた。Netflixで全部見られるようになりました。自分のために向いてた矢印が知らん間に外に向いていく物語って面白いですよね。

■『市子』

 めちゃくちゃしんどいけど、とてもいい邦画がまとう独特の雰囲気、を携えた作品でした。

■『PERFECT DAYS』

 結局光の差し方が好きだったんだと思うんだけど、音楽と映像の融合にわたしはとんでもなく弱いので(涙腺が)何度も泣きました。

■友達が言った「逆上がりしてもあの時の瀧本君はベンチャー企業に入らなかった…」


 ……逆立ちですね。

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