「椿姫」読んだ
嘘偽りない愛の話、ではないのは百も承知なのですが、どうしてもそう言いたいくらい美しい話でした。
いっそのこと頓知を利かせてみれば落ちがつきそうです。
そもそもこの小説はフィクションで一つの嘘、それを真実の物語であるとして二重の嘘をついているので、コインの裏表の原理を利用すれば、これが真実の話であると言い切れるのではないでしょうか。
ではなぜそこまでしてこの物語が現実であってほしいか、それはこの物語が現実以上に愛というものを捉えているからです。
愛というものは数ある感情の内多くを内包する言葉だと思います。
単純な好意もあれば、裏返しになった憎悪もまた愛です。親心も愛ですし、祈ることも含まれそうです。それになんと言っても相手のために身を引くことこそが愛ゆえに成せる行為と言えるでしょう。
幼い頃から放任されて、今までずっとお金を媒介して人付き合いしてきたとして、急にこんなクソデカ感情を浴びせられたらそりゃびっくりしますよね。
この話では常にお金という概念が鍵を握っています。
お金がなくては生きていけない生活をしていて、それでもお金より優先したいものが芽生えて、徐々にそちらへ移り変わっていったところで、それよりもっと大きい感情に丸呑みにされてしまうのですから、ここがこの話の一番の悲劇だと思います。
ただし間違っても悪者探しをするべきではないと思います。
今以上に良家の風格が重んじられる時代にあの圧がかかるのは仕方ないことでしょうし、お金を媒介して人付き合いをしていたので裏切られることもあるでしょう。
それでも最後、病に苦しみながらもたくさんの愛で祈りを捧げたのには胸を打たれました。
ということで、これはフィクションであることは百も承知ですが、私からの祈りをもって嘘偽りない愛の話と言わせていただきます。
ありがとうございました。
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