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本屋大賞から未来予測をしてみる

先日面白い記事を見つけました。

過去に本屋大賞を受賞した本から傾向を掴んでノミネート作を予想するという内容の記事です。

過去の傾向から結果を割り出しているあたり、多分この人は資格取得とか得意なんだろうな、と勝手に推測したりしました。
ただこれができるのであれば未来予測までできそうな気がしたので、引用して記事にしてみることにします。

結論から言えば、多様性が国を作るんじゃないかと思っています。

考察

上記記事では、ここ最近の本屋大賞の傾向より「生きづらさ」とそれに対しての「解放」を描いたものが評価されやすいと定義しています。もう少し定義的に言えば「多様性の象徴」ですね。
これに関しては自分も同感で、この定義こそがまさに今の時代を表していると思います。
ここから分かることは、多くの人から支持される小説とはその時代の価値観を切り取ったものであるということです。

これは余談ですが、価値観の変遷について、記事では2018年大賞の「かがみの孤城」あたりから「生きづらさ」が評価されるようになったとあったのですが、その多様性の原点、ないし画一性に終止符を打ったのが2017年ノミネート作の「コンビニ人間」だったのではないかと個人的には思います。
普通に生きて、普通であることに努めようとし過ぎた結果普通ではなくなるという結末が、画一性の末路として十分過ぎるインパクトを残しました。

では本題に戻ります。
画一性が廃れて、多様性が受け入れられるようになってから先の未来を予測します。

未来予測をする上で重要なのは、昔にも同じような時代がなかったかを探ることです。
「歴史は繰り返す」という言葉が有名ですが(個人的には『歴史は韻を踏む』の方が好きです)人間なんて数百年そこらで進化するはずもないので、おそらくこの言葉は的確であると思います。

で、該当したのが室町時代に代表される中世です。
ここでざっくりと中世を振り返ってみます。

墾田永年私財法により荘園という私的所有の土地が誕生し、資本力のある貴族が治める

世が荒れてきたことから荘園に守護をつけるが、次第に彼らの力が強くなり、守護大名を経て戦国武将となる

戦国時代に突入し、豊臣秀吉が天下統一したのちに関ヶ原の戦いが起こり、徳川の勝利

江戸幕府の発足

かなりざっくりですが、流れとしてはこんな感じです。
これを参考にして、自分なりの解釈を加えた未来予測を行います。

財閥から株式会社が生まれ、メディアを含めて資本家の既得権益を存分に発揮する

世を統治するため優秀な人材を欲したが、やがて彼ら自身が力をつけるようになり、独自の手腕でコミュニティを形成する←イマココ

コミュニティ戦国時代に突入し、似通ったものは統合されつつ、そのジャンルを代表するコミュニティだけが絶大な影響力を及ぼす

それぞれが小国になる

具体的に説明します。

荘園の成り立ちは、財閥とほとんど似通っています。
共に資本力を用いて私的に治めています。また荘園の所有が土地であるのに対して、財閥の所有は株式です。
後に財閥は解体されますが、それでもまだ株式会社として現代日本に燦然と君臨しています。

次に、その貴族に対し仇なす守護は誰に当たるのか。
多分、今で言うところのインフルエンサーが該当します。
YouTuberだったり、ビジネス系の伝道師だったり、タレント、アーティストその他諸々を一括りにして「たくさんの人を集められる個人ないしグループ」と定義しましょう。

人がいるところではコミュニティが形成され、いずれ小国にも引けを取らないほどの集団になると思っています。
ただしここでいう「国」とはあくまでコミュニティの最終形態であって、領土や承認によって国際的に認められるような公式のものではありません。
国を作るのは難しいですが、国のようなものを作るのは、この時代においてはかなり容易いと思います。
もう作ってる人もいますし。

例えばオンラインサロンであれば、入ったことないので偏見で言いますけど、トップの人間が掲げる信念に共感して日々意見を交わしているのでしょう。知らないですけど。

それが戦国時代においては、各地域の大名がさまざまな政策を執り行うことによって独自の発展を遂げていきました。
分かりやすい例で言えば、安土桃山時代の楽市楽座です。

それぞれの信念を掲げたオンラインサロンがいくつもあるように、それぞれの繁栄のためにその土地独自の発展をしていたのが戦国時代です。
こうやって考えると、戦国時代とは多様性の象徴とも言えるかもしれません。 
ただし現代との相違点は、個人の多様性ではなく集団としての多様性が認められたという点です。
なので、多様性が起こす流れ自体は把握できるのですが、個人がどう感じるかは現代を生きてみないと分かりません。

話を戻します。
戦国時代といえば争いです。
現代の価値観が戦国時代に似通っているということは、そのコミュニティ同士で争いが起きるのかという話になると思います。

結論から言えば、起きるのはせいぜい諍い程度であって、もしコミュニティ同士が本格的にぶつかり合うことがあれば、その結末はどちらかの掌握または関係性の融解です。

戦国時代に争っていた理由は、その土地が欲しいからですね。
では、現代における土地と同等のものは何か。おそらくは影響力が該当します。

そもそも戦国大名が土地を欲したのは、影響力を及ぼせる範囲を広げたかったからです。
しかしこのインターネット社会においては、土地という資産はあまり意味を成さなくなっています。
逆に言えば、インターネット社会で盤石のコミュニティを築いておけば、青天井の影響力を示すことができます。

「そんな人の影響なんか受けてないで、こっちにおいで、いい勉強になるから」
これが謳い文句ですね。
これを言うことで、似通ったコミュニティは淘汰され一極集中化が進みます。
そして争いようのないジャンル同士は全くの無関心という関係性になり、それぞれが思い思いの江戸幕府を作ることになると思います。

思い思いの小さな江戸幕府。
これが多様性社会の行き着く先、僕の導き出した結論です。

余談

余談ですが、各ジャンルで既に多数のインフルエンサーがいるのに、LGBT関連では誰も台頭してこないのは不思議だなと思いました。
そこで考えてみたところ、マツコデラックスさんがその筆頭だったんじゃないかなと思いました。
マツコさんの性に関する達観した意見に対し、誰もが耳を傾けていた時代があったはずで、その時にコミュニティ形成にも時間を割いていたら今頃どうなっていたかな、と少しばかり妄想に耽ってみました。
しかし人がどう生きるかはそれぞれの自由ですから、それをどうこう言うつもりもありません。あくまで可能性の話です。

あと興味深いのが、今は絶賛コロナ禍ですが、室町時代中期の応仁の乱あたりでも疫病が流行っていて、天然痘によって数百人もの人々が亡くなったとされています。
その時には個人で生きる生活様式だったらしいのですが、やがて疫病が治まると共に核家族的な様式に変わり、その関係性だけで一大組織になっていたみたいです。
この大それた仮説を裏付ける例になるでしょうか。

個人の生き方

最後に、多様性社会における個人の生き方について考えてみたいと思います。

先述の通り、コミュニティが諍いを起こすという予想なのですが、この諍いに参加しているのは一部の人間で、一定の人はどこにも属していない状態になると思います。
これは、ネットや生配信への書き込みが一部の人のみによって行われていることからそう結論付けました。

では、どこにも属さない人は何をしているのか。
これは特に根拠もなく、自分ならこうするだろうという私見を元に推測します。

どこにも属さない人は、それぞれのコミュニティが掲げる信念や理想に対して、一つ一つ吟味して、それらを何となく横目で流しながら、良さそうなものだけ拾って価値観のカスタマイズを行うと思います。

具体的に言えば
「ここの信念は美しくて魅力的だけど、民度低いから言葉尻だけ受け取ることにする」
とか
「ここの信念は過激で好きじゃないけど、そのコミュニティに属することで面白いこと、勉強になること、旨味になることがあるから入るだけ入ってみる」 
とかですかね。

こうやって良いとこ取りをしながら、価値観のカスタマイズ、もう少しかっこよく言うと価値観武装をすると思います。

卑怯者ですね。
もし同じことを考えた方がいれば、異端審問にだけは気を付けましょう。

まとめ

以上が本屋大賞の傾向から見る未来予測です。
どこまで読み通りになるかは分かりませんが、当たったら誰か褒めてください。
また、この時代にまだ本屋大賞があるとして、自分が本を書くとすれば、価値観を詰め込みすぎててんてこ舞いになる主人公を書いてみたいですね。
情報を整理しきれずにあっぷあっぷする様子を鮮明に描ける自信があります。

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