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Soft Machine "THIRD" 雑感

 冒頭から甚だひねりのない思いの吐露で恐縮だが、この作品は数十年に一枚ぐらいの名盤ではないかと、私はかねてから思っている。

★★★

 すでに数多くの賞賛を浴び、その後のカンタベリー・シーンを始めとする前衛的なロックに大きな影響を与えた名盤。学生の頃、タワーレコード新宿店の洋楽階で手に取ってみた時、帯に書かれた「ブリティッシュ・ロック史上、最も野心的かつ理知的な」という形容が刺さったことを覚えている。
 音楽にどのようなことを求め、またどのような音を聴きたいかというのは、人により異なるであろうし、また同じ人であってもその時の状況によって全く異なるであろう。Soft Machine は、そういう意味では The Beatles や The Beach Boys のような万人に支持されうる普遍的かつ芸術的なポップネスを有しているわけではないし、「聴く人を選ぶ」という面があることは否めない事実だろう。それはまた同時に、 Soft Machine を理解し得ることが自らの変なエリート意識やインテリ根性を醸成してしまうことにもなりかねず、常に自らへの戒めを伴ったリスナーであることもまた求められるのであるが。

★★★

 今更ながら、この作品が世に出された1970年は、というよりもこの作品にまで結実する1960年代という時代の潮流は、押さえておいたほうがようだろう。ロックという文脈でこれを考えるとすれば、その軸足は必然的にアメリカに置いて考察することとなることをご了承願いたい。
 その前段としてまず、1950年代は、現象面だけをみれば、若者たちはエルヴィス・プレスリーなどが歌唱するロックンロールに熱狂し、またジェームス・ディーンが主演を務めた映画『理由なき反抗』などに影響を受け、戦後の大衆文化の恩恵を受けたが、その外形に比してみると総じて従順で、消費社会を謳歌し、極力政治的言動を慎んだために、皮肉を込めて「沈黙の世代」と呼ばれることもある。勿論、アレン・ギンズバーグやウィリアム・バロウズ(なお、よく知られているとおり、Soft Machine というバンド名は、バロウズの同名小説からとったものである)らのビート詩人などのように、彼らの親の世代の物質主義を批判し、中産階級が浸っていた因習的な生活様式を拒絶するような思想もあったことは重要であるし、さらにいえば、これらの思想が1960年代に引き継がれていくことで後の「政治の季節」は到来するのでもあるが。また、この時代に端を発する黒人公民権運動が1960年代における様々な社会運動の起爆剤となったことも忘れてはならない。
 そして、1950年代の好景気を牽引した共和党のドワイト・D・アイゼンハワー大統領の後、1961年に43歳の若さでアメリカ大統領に就任した民主党のジョン・F・ケネディは、到来したばかりの1960年代を、希望を込めて「ニュー・フロンティア」と呼んだ。リベラル路線の彼の呼びかけは、若い民主党員や理想主義者らを駆り立てるとともに、1950年代から徐々に盛り上がっていた公民権運動にさらなる拍車をかけた。進歩的な政治路線の大統領として彼の功績は称えられてもよいであろうが、ケネディ政権の外交上の失敗は、ヴェトナム内線への介入であった。かねてより巻き起こりつつあった社会運動の波が、ヴェトナム戦争への突入及びその泥沼化によって一気に爆発し、1960年代半ばには全米各地で大規模な反戦集会やデモ行進が行われた。これと歩調を合わせるように各地で学園紛争が巻き起こり、公民権運動とともに1960年代を「政治の季節」として彩ることとなる。なお、ケネディは1963年に、保守派によるものと思われる凶弾に倒れたことは諸賢周知のところである。
 1960年代の後半までには、先の反戦運動や学園紛争、公民権運動などの反体制的運動は、ヨーロッパや日本など世界的に広がって大きなうねりとなり、フランスのパリ5月革命などが起きた1968年にそのピークを迎えることとなる。ここで注目しなければらならないのが、これらの運動と密接に関わったカウンター・カルチャーの勃興である。この強烈な一連の文化群は、既存の生活様式や社会規範、道徳観に反旗を翻し、あるいは挑戦をし、自らの生活共同体であるコミューンを作り、マリファナやLSDなどの麻薬による意識の拡大を目指し、性道徳からの解放を求める多くのヒッピーらを生み出した。これに伴い、音楽においても、1950年代に産声を上げたロックンロールは、あるいはリズム・アンド・ブルース、ソウル・ミュージックやゴスペルなど脈々と歌い継がれてきたブラック・ミュージックは、1960年代に「ロック」という巨大な流れを形づくった。ロックンロールの時代とロックの時代とでは、その表現手法の多様性や革新性において、聴き比べてみれば明らかに大きな差が見受けられ、いわば「指数関数的に」ロックへと発展したとすらいうことができる。いわゆるポピュラー・ミュージック全般において、1960年代は決定的な進化をもたらした時代ということができる。

 サウンド・エフェクトという面でみても、音響効果やエフェクトと呼ばれるものの基本は、この頃までに生み出されたものと現在とで、実はほとんど変っていない。即ち、エコーやディレイ、リヴァーブといった残響エフェクトの類、フェイズ・シフト、コーラス、フランジャーといった位相エフェクトの類、それにディストーションという歪みエフェクトの類である。これらのトゥールの発達及び普及により、1960年代のポピュラー・ミュージックには多様な音楽手法が花開いた。特に「サマー・オヴ・ラヴ」と呼ばれた1967年や政治の季節の頂点となった1968年頃は、新たな音楽の潮流が目まぐるしく生まれ、また変わっていったといわれている。
 大規模な音楽フェスも各地で開催され、1969年8月にアメリカで行われた「ウッドストック・ミュージック・アンド・アート・フェスティヴァル」において、それは1つの頂点に達したということができる。
 イギリスの音楽シーンもまた、アメリカの音楽シーンとの相乗効果により、1960年代に大きな進歩を遂げていた。というよりむしろ、そもそもイギリスの音楽(The Beatles, The Rolling Stones, The Kinksなど)が、アメリカのカウンター・カルチャーにおける音楽に多大な影響を及ぼしたといわれている――いわゆる「ブリティッシュ・インヴェイジョン」である。

★★★

 Soft Machine は、前身の The Wilde Flowers 時代も含め、イギリスのサイケデリック・バンドとしてスタートする。The Wilde Flowers は1964年から1968年頃まで活動し、そこから枝分かれして結成された Soft Machine は1966年頃から活動する(伝説的なヒッピーであるデイヴィッド・アレンが1967年まで在籍していたことも忘れてはならない)。この頃には、イギリスの音楽シーンでも1つの沸点を迎えていたように思われる。それは Pink Floyd, Led Zeppelin 及び King Crimson の画期的なファースト・アルバムの登場(それぞれ1967年、1968年及び1969年)にも象徴されているということができる。
 そんな熱気を帯びた時代に作られ、世に出された本作だが、前年の1969年あたりから、Soft Machine はマイク・ラトリッジ(キーボード)のかねてからのジャズ志向がやや強くなり、その音像はカラフルなサイケデリック・ポップから、モノクロームな印象の前衛ジャズ・ロックの色彩に変わっていった。それはまた、現在まで脈々と続くカンタベリー・ロックの源流ともなったわけだが、1960年代のうちに先述のデイヴィッド・アレン(ベース)が分派してフランスで Gong を結成し、また、ケヴィン・エアーズ(ギター)が脱退してソロ活動に転向し、残されたラトリッジとロバート・ワイアット(ドラム)が、新たに迎えたヒュー・ホッパー(ベース)とともに選択した独自のジャズ・ロックの道であった。

 さて、本作においては、当時の彼らが模索していた方法論からの流れで、何といってもホーン・セクションを導入したことが大きい。具体的には Keith Tippett Group からエルトン・ディーンを始めとする8人のホーン隊が加入し、濃密なフリー・ジャズのエッセンスが注ぎ込まれた。これに加え、前年に加入したばかりのホッパーの実験音楽的な志向も伴い、本作は得体の知れない構造を持った前人未到のジャズ・ロックとなった。
 以下、1曲ずつ(といっても全4曲だが)私の個人的な所感とともに、それぞれの曲の簡単な解説を記すこととする。

Facelift
 まず、ホッパーによる先鋭的な曲である(とはいえ、主たるアイデアやモチーフを彼が提供したということではあるだろうが、このような前衛的なインプロを含む曲は、誰が作ったかというのは厳密にはいえないのである)。元々はライヴ録音であったものを編集したもので、もはやジャズの向こう側へと迷い込んだ怪作。
 冒頭、静寂から次第にファズで歪ませたオルガンによりマッド・サイエンティストを思わせる音の塊を垂れ流すラトリッジによる5分以上のイントロダクションが、すでに尋常ではない雰囲気を知らせる。
 その後、カンタベリーのカテドラル(大聖堂)の堂々たる威容を思わせるようなメインテーマへと自然に移行する。緊張感のあるユニゾンを伴いながらこれが数回繰り返されると、突如、空気を切り裂くように次の場面へ──すなわち、本曲のハイライト部分である。
 7/4拍子のリズムに乗ってエルトン・ディーンの吹くサックスが叫ぶと、2つ目のテーマ部分が奏でられる。何とも偏執狂的なユニゾンだ。そこから各楽器のインプロヴィゼーションへと入っていくわけだが、やはりラトリッジの狂気的なプレイが光る。なお、ホッパーは1箇所、明らかに音を外してしまっており、これがある程度自由に空中を舞うことができるホーンやオルガンであれば違和感なく自然に聴こえるのであるが、ボトムを支えるベースならではの辛い所である。ひとしきり狂乱の即興を繰り広げた後、再び偏執狂的ユニゾンによるテーマが奏でられると、いつの間にやら夢野久作『ドグラ・マグラ』を思わせる鐘のような音とともに小休憩。そのまま終盤へと入る。
 終盤ではまずフルートによる静寂の空間が訪れる。だが、しばらくするとリズム隊も加わり、落ち着いた律動とともに淡々とビートを重ねる中、サックスが熱のこもった叫び声で唸りまくる。そして、最後は自然にホーンが消え、先の7/4拍子の部分のテーマをモチーフとした静かなアンサンブルが数回続く。
 と、その後に突然、駄目押しで再度、堂々たるメインテーマが奏でられる。おそらくここは、テープの切り貼りによるシームレスな効果だろう。その後はやはり、テープを使った逆回転によるかき混ぜでぐちゃぐちゃになったままフェード・アウト。総じてこの曲は、うん、ジャズではないね!

Slightly All The Time
 ラトリッジによる曲。導入部はベースのリフレインによって始まりを告げる。ゆったりとしたテンポだが、もちろん微妙に変拍子。ここにドラムやエレピが順に重なり、最後にホーンが入ってくることでメインテーマが完成する。コードはDm7を基調にGm7、Am7そしてCm7へと移るものの、ドラムやベースは基本的にひたすらリフレインを重ねる。シンプルながらウィットの利いた構成で、何だか古書店のような雰囲気がする。
 そうこうしているうちに、突如としてテンポが変わり、リズム隊のリフレインも次のパターンへ。ワイアットのハイハットが細かく刻まれる。
 と思ったら、再び当初のゆったりとしたメインテーマへ。やっぱり古書店。コーヒーも合いそう。この曲に限らずなのだが、このアルバムを聴いていると、かつて住んでいた東京の情景がどうしても思い浮かぶ。ちなみにこの曲は、神楽坂から江戸川橋や早稲田の辺りの感じ。
 そんなことを言っていたらまたテンポ・アップしたテーマが奏でられる。今度はすぐには終わらずに、そのまま美しいフルートが蝶のように舞い始める。聴き惚れているうちにホッパーのリフレインがE音をルートとしたパターンを幾度か繰り返し、するとまた場面が転換し、急に東京に雨が降り出したようなウェットなテーマへ。ここでも変拍子に乗りながら淡々とビートが刻まれ、サックスは少しエキゾチックなスケールを忍ばせる。
 とまたここで唐突に場面が切り替わり(おそらくテープ操作によるものだろう)、最後となるテーマが静かに始まる。♪ラーミーラーソー……の部分。このテーマを軸として終盤に向かってアレンジが加えられてゆく。Amから始まり、Gmを経て、臨時記号を要するマイナー・コードをいくつかぐるりと回り、またAmに戻る、というコード進行。サックスは、この上で幾分叙情的な旋律を奏でる。ゆったりとしたグルーヴ感で進むが、同じコード進行をキープしたまま唐突にやや疾走して音数の多いアンサンブルに切り替わる。そしてまた♪ラーミーラーソー……の最後のテーマが奏でられ、フィナーレを迎える。

Moon In June
 ワイアット作。このアルバムで唯一の歌もの。ワイアットによるブリティッシュのお家芸のようなひねくれサイケデリック・ポップを存分に楽しむことができる。
 実に、この曲に対する評価はすこぶる高い。このアルバムの中では、傾向として、1曲目とこの曲が特に大きな評価を得ること多い。しかし実は、私はこの曲をスキップしてしまうことも多い(ごめんなさい)。私の好みによるところが大きいのだが、時として私にはこの曲が少し退屈に感じられてしまうのである。というか、次の曲が好きなので早く聴きたいということなのだが。とはいえ、この曲に不思議な魅力があることは間違いなく、ワイアットがドラムを叩きながら歌っているのだと思われるが、オルガンもヴォーカルをなぞるように奏でられ、この曲こそ「ストレンジ」の形容を冠するに相応しいと思う。なお、序盤で聴くことができるメロディアスなベース・ソロも秀逸。
 ワイアットがこの時期に追求していた音楽はこの曲のような方向にヴェクトルが向けられており、このアルバムに収められたほかの3曲と比べると明らかに異質である。逆に、この音楽性の違いが、結果として後のワイアットの脱退からマッチング・モールの結成へとつながるわけなのだが……。
 というわけで、このアルバムのジャケットのようなくすんだセピア色の音が4分の3を占めるこのアルバムの中で、異彩を放つカラフルな音絵巻がここで繰り広げられる。歌のメロディも、おそらく同じ旋律が唄われることなく(いわゆるサビに近い部分で若干同じ旋律が出てくる気はするが)、1回きりの一期一会のフレーズを噛み締めるように聴きたい。そもそも、この歌はいわゆるサビのようなものはなく、唯一無二の起伏により展開していくクレイジーな構造である。
 と、ヴォーカル・パートが終わるとインストゥルメンタル・パートに入り、そしてしばらくすると静寂を切り裂くファズ・ベースが一気に場面を転換する。冒頭からそうなのだが、この曲はアルバムの中で唯一ホーンが入っていないことも特徴である。したがって、ここからのインストゥルメンタル部分も、ドラムとベースとオルガンによる三つ巴の取っ組み合いである。熱量の高いかけ合いが格好いい。
 ひとしきりのジャム・セッションの後は、オルガンのドローンを軸とした長いフィナーレへ。終わりそうでなかなか終わらないエンディングは、途中からヴァイオリンによる壊れたような音色も混じり出し、サイケデリックな夢見心地のままフェード・アウトしていく。

Out-Bloody-Rageous
 最後の1曲。このアルバムが稀代の作品だと私が思うのは、この曲によるところが大きい。
 先ほどまでのワイアットの音世界の余韻に浸ったままボンヤリとしていると、そのうちうっすらとシークェンス・フレーズが聞こえてくる。抽象的な音像で、焦点の定まらない鍵盤の音のようであるが、これもテープ操作によるものか。テリー・ライリーらのミニマル・ミュージックによる影響のようである。元となるフレーズは聞き取れないが、ソシ♭ドシ♭ドレーーシ♭ーソのような感じか。そのミクロな音のうねりは、量子力学の世界のようである。しばらくして、そこへピアノが均衡を破って入ってくる。
 すると、シークェンス・フレーズは遠ざかり、先ほどの曲でフリーキーな演奏を繰り広げていた3人(ラトリッジ、ホッパー、ワイアット)が、最後となるこの曲でビシッと正装したようなタイトなプレイに徹し(しかしやはり変拍子)、さらにホーン・セクションが重ねられることで空気は一層引き締まる。ここがメイン・テーマ部分であり、かなりストレートにジャズに接近したような演奏である。キーはハ短調だが、4回に1回ぐらい変ハ短調に転調してまたハ短調に戻る。そんなパートが幾度か繰り広げられた後、オルガンによるインプロヴイゼーションに突入する。その後、ホーン・セクションによる合図を機にベースのみによるブレイク。そして、ホーン隊がこれまたタイトな旋律を吹き続け、しばらくすると完全なブレイクへ。
 そしてメイン・テーマをモチーフとした静かなピアノが入ると、少しずつ他のパートも加わり、静寂に色を添える。しかし、あくまで色彩は一貫して淡いままである。
 皆さんは、手塚治虫『火の鳥 未来編』をお読みになったことはあるだろうか。この曲に対し、私は『未来編』のような壮大なスケール感をおぼえる。この曲の冒頭の、ミクロの世界のようなシークェンスは、原始の宇宙において微細な粒子たちが、それぞれの空間に散らばってブラウン運動を繰り返しているような印象も受ける。そして、今メイン・テーマが終わったところのこの静寂は、『未来編』のように遠い未来において人類が滅び、全てが尽きた後で、宇宙空間を浮遊する細かな残骸たちをみているかのようである。兵どもが夢のあと。
 全ては虚しい。全ては「空」である──仏教の経典に出てきそうだが、これは旧約聖書の『コヘレトの書』の言葉である。人間は欲望を持ち、名誉を求め、承認されることを求め、必然的に争いを生じ(承認欲求から必然的に争いが生じることは、ゲオルグ・W・ヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」においても説かれている)、しかしこれらいずれも、結局は全てただ虚しく、ヘベル(ヘブライ語で「空虚」を意味する)である――このように『コヘレトの書』の著者がソロモン王に仮託して語っているのは、王がこれまで見てきた数々の栄枯盛衰をもとに悟った、人生の、そして人間の儚さである。1967年から1968年にかけて描かれた『未来編』において、愚かにも人間たちは、人工知能に全てを支配され、その指示に盲従するままに破滅へと向かう戦争を起こし、自ら人類を、そして生命を終わらせた。それはいかにも「空虚」なものであった。
 さて、曲に戻ってみると、静寂のまま18/8拍子に乗って、走馬灯のようにオブスキュアな流体が空間を漂っている(キーボードによるリフレイン)。と、そこにホーンが、かつて栄えた人類の文明の遺跡のような姿で、この曲が、そしてこのアルバムが終わりに向かっていることを思わせるような荘厳なテーマを繰り返す。そして、最後のユニゾンに入り、ホーンがポリリズミックにフレーズを重ね、いよいよ漆黒のフィナーレを迎え、全ては果て、演奏は幕を閉じる。
 エンディングとして、この曲の冒頭部分に似たテープ・エフェクトによるスペイシーなシークェンスが始まる。差し詰め、空虚な宇宙空間に漂うクォークたちといったところか。熱力学第二の法則によりエントロピー増大を続ける宇宙と、その向かう先としての宇宙の熱的死(即ち、全くの熱平衡状態になりそれ以上熱のやり取りがなくなること)――しかし、『未来編』にもあるように宇宙の時間的無限性、あるいは反復を仮定すると、そこには「復活と再生」というキー・ワードが浮上する。「再生し、永続する」という宇宙観は、20世紀のソ連の科学者エルネスト・コーリマンらが国是たる弁証法的唯物論に沿う形で主張し、宇宙のエントロピー極大化による熱力学的死を問題化した。その後の宇宙物理学の発展により、宇宙の時間的無限性を想定することは難しくなっているが、結局のところ、気が遠くなるほど遥か先の未来のことは、今のところ人知の及ばない領域である。この曲では、オープニングに似たミニマルな音世界に帰っていくことにより、まるで『未来編』のような円環構造すなわち「復活と再生」が、うっすらと見え隠れしている。

★★★

 さて、このように個人的見解たっぷりでこのアルバムを見てきたわけだが、このアルバムに収められているいずれの曲も大作にして、かつ、創造性が極めて高い。特に4曲目などは、このような曲を作品として残すことができればミュージシャンとしてどれほど素晴らしいだろうと羨ましく思う(私はミュージシャンでもなければ音楽評論家でもないのだが)。1960年代にカウンター・カルチャーとともに爆発的な進化を遂げたロックは、1970年にこのようにして前人未到の1つの結晶を残したのだった。前年の1969年には、アポロ11号に乗って人類は遂に月面に着陸し、あのお月様の上を歩くという歴史的な出来事もあった。
 混迷と狂乱の1960年代のいわゆる「60's レヴォリューション」は、1970年代に入ると少しずつではあるが落ち着きを見せ始めるようになり、1973年のヴェトナムからのアメリカの撤退やオイル・ショックなどを機に収束していった。The Eagles が有名な"Hotel California" において「スピリッツ(酒)はありますか?」「あいにく1969年から切らしております」というバーでの寓意的会話を歌詞にしたのは1976年。この頃には欧米では、保守派の巻き返しもあり、急激な社会変革に燃える熱いスピリッツは、すでに過去のものとなってしまっているのだった。勿論、それでもなおロックは、時代とともに進化を続けていったのであるし、ジャズの側からみれば、ロックを触媒としてマイルス・デイヴィスの諸作のような新たな道が開けることにもなった。

 ロックは、その進化の過程の所々において、いわばターニングポイントとなる時期はいくつもあるだろう。その進化史の中でも、ことアメリカ社会の大きなうねりと密接に連動した1960年代という時代は特別な意義を持った時期であり、その1つの成果として、この稀代の傑作は結晶化されたのだと私は考えている。