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このままでは終われないスリランカの旅 「宝石掘り」と「ビリヤニ」

先日、Instagramを何気に見ていたら、
「断捨離をしないと不要なもの(物・人)ばかりを引き寄せ、それらに囲まれて人生を終わる」という恐ろしい投稿が流れてきた。

そう言えば、クローゼットにはもう何年も着ていない服が大量にある。
しかも収まり切れないため、預かりクリーニングにも出している。

十数年前から書類をため込んで、ずっと放置していたサイドテーブル。
車輪がついているにも関わらず重すぎて移動できない。

そろそろ、やる…か(汗)

重たい腰をあげて家の中を整理し始めた。

引き出しを整理していると、何本かUSBのスティックが出てきた。
何が入っているのか覚えておらず、PCに繋いで中身を見てみると
昔の旅行の写真が出てきた。

今から13年前の10月、私は「スリランカ」へ一人旅をしている。

私は昔から旅が好きで、一人旅行も苦にならない。
ろくに英語(その他言語はもちろん)が喋れるわけでもないのに、怖いもの知らずで結構いろんな国へ行っている。

今日は、写真とともに「スリランカ」の旅を振り返ってみる。



やましい思いつきからの、スリランカへの旅

宝石を掘りたい

当時、31歳の私は何となく「インド」に行こうと思い立ったのだが、知り合いに予防接種を事前に(1か月以上前)しておかないと行けないよと言われ、仕事の日程的に行けるタイミングは今しかないし、どっかワクチンなしで「インド」っぽい(寺院や遺跡などがある)けど、今まで行ったことのない所がいいな~と行き先を探していた。

※今ネットで調べたところ、インドもスリランカも予防接種は推奨されているが、どうやら当時からしなくても旅行は行けたようだ。

世界地図を見ていて「インド」の右下の島「スリランカ」ってどうなんだろう?と思い、自分が知っている紅茶のセイロンティー以外に何があるか調べてみたところ、世界的にも評価の高い宝石産出国と出てきた。
サファイア、ルビー、キャッツアイ、クリソベリル、スピネル、ガーネット、ベリル、トルマリン、トパーズ、クォーツ等々、採掘される原石の種類も多様。

当時、海老蔵さんが結婚相手の小林麻央さんにベトナムで手掘りルビーをプレゼントした(本当に手掘りで発掘したのかどうかの真実は置いておいて)というニュースを見たことを思い出し、単純でバカな私は、「おおお!私もスリランカで宝石を採掘したい!!あわよくば大きな宝石を…ムフフ。」とむくむくとやましい野望がこみ上げ、旅先を「スリランカ」に決めた。

いざ、コロンボへ

一人旅で旅行会社のパッケージを使うと倍の値段がかかるので、旅はもっぱら別手配。格安飛行機(乗り継ぎで時間はかかるが、安いやつ)とホテル(寝場所はこだわる方なので、結構ちゃんとしたホテル)をそれぞれネットで予約し、3泊5日の旅行に出た。

シンガポールでトランジットして現地へ到着。スリランカとの時差は、日本より遡って3時間30分。現地のバンダラナイケ国際空港から宿泊先の首都コロンボの「ゴール・フェイス・ホテル」に着いたのは、夜だった気がする。

オーシャンビューのホテルとあったので、とても楽しみにしていたのであるが、翌朝、起きて見た海は、、びっくりするような断崖だった。

頭の中で勝手に外国人が浜辺で戯れる、”白い砂浜のビーチ”を想定していたため「なんだよ~」とガッカリしたものだ。
(そもそも泳げはしないが、砂浜を見るのが好き)

オーシャンビューだけど、、断崖

とは言え、朝食で色とりどりのフルーツが出てきたり、お庭で結婚式の写真撮りをしているカップルを見たり、ホテルの中を散策し日本ではあまり嗅ぐことのないお花の香りがしたりと、ゆっくりと日本とは違う時間が流れる空間がそこには確かにあった。

写真を見返しながら、訪れた時のことを思い出し、やっぱり旅っていいな~としみじみ思う。

レストランへ続く廊下
青いプールと広がる海
ヤシの木と広い中庭
スリランカンカップルの結婚式の写真撮り
名前はわからないけど、よく見かけたお花(ハスかな?)

初日はゆったりジェフリー・バワ巡り

午前中はゆっくりとホテルで過ごし、午後からトゥクトゥクに乗って、コロンボ出身の建築家、Geoffrey Bawa(ジェフリー・バワ)の設計した建造物巡りへ。ジェフリー・バワはアジアン・リゾートホテルなどを多数手がけたスリランカの偉大な建築家である。
中でも仏教寺院は珍しく、まずはベイラ湖にあるシーマ・マラカ仏教寺院へ。

シーマ・マラカ仏教寺院 こちらもジェフリーバワによる設計
シーマ・マラカ仏教寺院
寺院の近くででっかいトカゲ!
ベイラ湖から遠くには高層ビルが見える

オサレな建築家の元事務所

寺院の次は、「The Gallery Café」という名前の通りのギャラリー&カフェレストランへ。こちらはジェフリー・バワの元事務所である。

白い壁にくり抜かれた門を通って中へ入る。
中の建物もシンプルながら、壁面に飾られた絵画や、回廊と中庭の池、石の椅子や植物の調和が素敵でとても先進的でアートな空間であった。

非常にお洒落ではあるが、それだけではない。
カフェレストランの食事も美味しい。なのだが、お値段も日本で提供される価格とほぼ変わらず、要するに現地の生活水準で考えると超高級?
(スリランカの物価は日本の1/3くらいとされる)

にも関わらず、お店の中は人がいっぱい。観光客だらけなのか?
いや、車で来ている人もいるし、現地の人っぽい人もいる。
いったいどんな層の人が来ているのか?…という謎だけが残った。

The Gallery Café ギャラリー&カフェ 入口
建築家ジェフリー・バワの元事務所
中庭の池
石の椅子と大きな絵画 アートの世界
カフェの内側から見える中庭

2つの”現実”を同時に垣間見

寺院からそのカフェへ向かう途中で見た光景。
忘れられない写真も出てきた。

立派なホテルやお洒落なカフェがある一方で、舗装されていない道も多く、土ぼこりの舞う工事現場では、現地の方が灼熱の中でレンガを手で積むという作業をしており、出来上がっている建物とその作業工程の合間にある、いわゆる”貧富の差”を目の当たりにした気がした。

急激な発展の際には、必ず見かける途上の光景かもしれないが、
その間と間があまりにかけ離れすぎていて、何だかとても複雑な気分になったことを思い出す。

工事中の道路

詰めの甘い「宝石掘り」計画~断念からの「土産物屋巡り」

そんなこんなで、2日目はホテル周辺の散策を楽しみ、3日目はスリランカ旅行の主目的「宝石を掘る」現地ツアーを申し込みしようとした。

ところが、オプショナルツアーで向かう砕石場が、思っていたよりもホテルから遠かったため、この荒れた道路を車で片道3時間近く揺られて行く勇気が出ず(実は乗り物酔いが酷い)、あっさり断念。

もっとちゃんと調べてホテルを取ればよかったなぁとか、今さら後悔しても仕方がない。次の日は「宝石掘り」を諦め、近くのお土産物屋を回ることにした。

翌日、ホテルからスリランカの政府系経営の民芸品屋・土産物屋「Laksala(ラクラサ)」へトゥクトゥクに乗って向かった。

移動トゥクトゥク(このドライバーは別人)

ある意味、洗礼

はじめてのボッタくり

お店に到着し、ドライバーに料金を伺うと、これまで利用したトゥクトゥクの料金よりもずいぶん高額だった。
「高くないか?」とドライバーへ伝えつつも、交渉する術はなく結局しぶしぶ払って降りた。その様子をお店の方が見ており、店内に入ると「何を話していたのか?」と支配人らしき男性に聞かれ、かくかくしかじか料金を払ったと言うと、「とんでもない!払い過ぎだ!」とすぐに追いかけてくれたが、既に時遅しドライバーは走り去っていた。

つまり、私は結構な額をボラれて終わったのであるが、政府系経営で観光客向けのお店であるためか、お店の方が「あのドライバーは店に出入りできないようにする」と怒りながら謝ってくれた。

まぁ、一人旅なので、ボラれることはある程度覚悟はしていたものの、実際には何の抗議もできなかった自分のへっぴり具合にちょっと凹む。
もうちょっと警戒心と注意を払ったり、人を呼んでみたりなど、何か対策ができたかもしれない…。

自分が悪いので、私の気持ちはやりどころがなかったが、お店の方の真摯な対応のおかげで、幾ばくか心がなだめられた。

「お土産選び」も楽しいね(切り替え早い)

「宝石掘り」という旅の主目的をあっさり諦めた私であったが、そのお土産物屋では、小さな宝石のアクセサリーが良心的な値段(何千円とかだったと思う)でたくさん売られていた。

採掘する楽しみは無くなったが、選ぶ楽しみが見つかり、最終的に色の異なる石が複数ついたブレスレットを自分用に買って帰った。

そのブレスレットは、帰国後すぐに土台から石が外れてしまい、リメイクができるジュエリー屋さんで指輪に変えてもらった。
お土産物屋さんで私が買えるくらいの安価な商品だったので、もともとリメイクできる宝石ではなかったようであるが、ジュエリーデザイナーの方が何とか使える石を選んでリングにしてくれたのだ。

むしろ、このリメイク代の方が高く付いたものの、スリランカの旅の思い出が濃厚に詰まっているので、今でも大切に使っている。

リメイク後のスリランカの小さな宝石

キャンディーへ移動 街をぶらぶら

最後の宿泊は、キャンディーというエリアに移動し小さなホテルに泊まった。チェックインをして荷物を置いてから、デパートのある繁華街へ向かった。

開放的なロビー
小さなホテルの中にもミニプール(そして、悲しいかな、これ以降の写真がない…)

スリランカのシルクのサリー(民族衣装)で作ったスカーフ屋など、気の向くままふらふら見て歩き回っていると、ホテルの朝食をしっかり食べていたためお腹が空かず、気が付いたらお昼をだいぶ過ぎていた。

やらなくていい大冒険

その日のランチは、事前にガイド本で調べておいた『ビリヤニ』が食べれるお店と決めていたので、デパートを出て歩いて向かったものの、ランチ時間をとっくに過ぎてしまっており、目的のお店はすでに閉まっていた。

あ~、デパートで時間を取り過ぎたなと思いつつ、お腹が空いてきたのでやっぱり何か食べたい。
ガイド本のお店の付近には、並びに飲食店が数件あり、まだ営業している店がチラホラ。ちらりと覗いてみると、おっ!ここにも『ビリヤニ』の写真が貼ってある。

当時撮影した写真ではないが、「ビリヤニ」のイメージ(チキンの下の炊き込みご飯)

それまで「現地の水は飲まない」「ガイド本に紹介されているお店で食事をする」を徹底してきたのであるが…。

炎天下の中、しばらく歩いて喉はカラカラ、さらに空腹が重なってきたせいか、冒険心を制御していた理性のねじが吹っ飛んで、普段ならやらない「ガイド本に載っていないお店に入る」という、やらなくていい大冒険をしたのである…。

もう、頭は『ビリヤニ』と飲み物のことでいっぱいだったと思う。
予定していた店とは違えど、お目当ての『ビリヤニ』と氷入りのコーラにありついて完食。ほっと一息。

再び、スリランカのじりじりと強い日差しの中、街をふらついて夕方にはホテルに戻った。

そして地獄の闘いのゴングが鳴る

19時頃、夕食を摂りにホテルのレストランに入る。
館内はエアコンが効いて涼しい。
ビールとスリランカカレーを頼んだものの、何だか食が進まない。

昼食の時間が遅かったからかな~、少し熱中症気味なのかな~と思いながら、ビールを飲んでいたが、たった1本でものすごく酔ってしまった。
(しかし、これは酔ったのではなく「気分が悪くなった」が正しいのだが…。)

今日は、灼熱の中、けっこう歩いたから疲れたんだろうな~と深く考えず、翌日の帰国への長旅に備えて、シャワーを浴び早々にベットに入る。

そして、、、、ほどなく
その”時”がきた、、、、。

そう、お気づきの通り…

海外滞在中の『食中毒』in Sri Lanka

この闘いは、失神こそしなかったが、これまで日本で経験した食中毒とは、比べものにならないほど辛かった。

『カーン』ではなく、『ゴゴゴゴゴ~』というお腹全体にわたる激痛と、
とてつもないlllllllllll吐き気を覚え、寝ぼけつつもたまらずトイレに駆け込む。

それからは、延々1時間ほど、上から下から、もうコテンパンにサンドバック状態だ。
脂汗をかきながら、アホな私もようやく気が付いた。

これは…。お昼の『ビリヤニ』とコーラね。

もう吐き出すものはないが、絶望的にひたすら具合が悪い…という状態で、パッキングしたカバンを必死であさり、保険書類を見つけ、すがる思いで国際電話を掛ける。

私はこんなに適当な性格の割には、一方で心配性なところもあり、昔はクレジットカードに保険が付帯していると知らず、海外旅行の際にはちゃんと旅行保険に入って出かけていたのが不幸中の幸い。

夜中であったが日本語スタッフが出てくれ、状態を伝えるとおそらく食中毒で間違いないが、夜中診てくれる病院がないため、朝イチで指定の病院へ行くようにと。

とは言え、ベットに横たわるも、どう体をすえ置いてみても、
ひたすら具合が悪い。

うずくまりながら、ただただ、夜明けを待つ。
とってもとってもとーーーーーーっても
長ーーーーーーいスリランカの夜…。

なぜ、あんなやらなくていい無謀な大冒険をしてしまったのか…。
きっとすべて、灼熱の太陽のせいだ…。

後悔しても戻れはしない。
早く朝が来ますように…

旅の醍醐味はいずこ…

帰りの記憶はあんまりない

必死に耐えて、朝方ホテルのスタッフにタクシーを呼んでもらい、病院へ向かった。割と大きな病院だったと思う。
診てくれたのは女医さんで、カタコトの英語で「食中毒だと思うので、抗生剤を出して欲しい」と伝えるとすぐに処方してくれた。
また、「スリランカの薬は強すぎるので、胃薬を買うように」と言われたた。

出してもらった抗生剤を飲んで、帰りの飛行機では何とか落ち着きひと眠りはできたであろうか。着いたトランジット先では、体をひきづりながら薬局を探し胃薬を買って飲んだ。

そのトランジット先の空港には、確か夜の遅い時間に着いたと思う。
空港内のレストランは閉まっており、人もまばら、次の乗り継ぎまでの間、結構な時間を待たねばならなかった。

待合の椅子にぐったり座っていると、隣の女性に声を掛けられた。
多分、シンガポールかマレーシアの方だった気がするが、アジア系の40代くらいの女性で「私は家に帰る途中なの。あなたは旅行?」みたいな事を聞かれた気がする。

こういった、旅先で出会う人との他愛ない会話は、旅の醍醐味だ。
普段なら、通じなくてもカタコトの言葉と身振り手振りで、一生懸命会話を楽しもうとしたであろう。

ところが、この時には具体的に何を話したかすら記憶にない。
ただ、もうろうとした頭で「そうです」と答えるのが精一杯だったと思う。

再び、トランジット先から飛行機に乗り、日本に着いた時は一応検疫に申し出た。嘔吐下痢で病院にかかったことを伝えたが、発熱はなかったので、拘束されることもなく、あっさり通された。

だから、このままでは終われない

苦い思い出もすべて「糧」

日本へ着いて、食中毒を起こしてから1日半以上は経っていた。
あまりに辛すぎて、初めて「日本に帰れて良かった」と心底思ったものが、今となってはそれも良い思い出である。

そもそも旅の当初の目的が、何かやましい感じだったからかもしれない。
(結論、やましくはない)

振り返ってみると、まぁまぁ”苦い思い出多め”のスリランカ旅行ではあった。

  • 「宝石掘り」に目がくらみ、スリランカへの旅行を選択。

  • 採石場が遠くて主目的を諦めるという、事前調査不足と詰めの甘い計画。

  • 警戒心と注意力不足のボッタくり事件。

  • 気のゆるみからの、いつもなら「しない」選択で食中毒。

  • 入ってて良かった旅行保険だが、そもそもカード付帯で足りたのでは?

  • せっかくの旅先のコミュニケーション。貴重な醍醐味の機会を逃す…。

  • なんだかんだ周りに助けられての無事帰国…。

書いてみると、あれ…、この旅、消化不良じゃないか。

「宝石掘り」リベンジに炎を燃やす

とは言え、今となってみれば、概ね”ミスチョイス”の連続という
「選択」をしたからこそ、また「スリランカ」への旅をリベンジしたい!と思うんだろう。
旅に出たいという思いの方が強いので、超絶前向きに捉える私(笑)

次の旅行の糧じゃ!!

「今度こそスリランカで「宝石掘り」を実現するぞ~✨」

って、部屋の断捨離、全然進んでないじゃん!!!

終わり









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