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【2022年12月の台湾旅行記:2日目】


 2日目の朝、ホテルでPC仕事。8時30分にホテルをチェックアウト。フロントに荷物を預けた。外は小雨。今日は15時30分の飛行機で、日本に帰らなけばならない。あんまり無理してまわらないぞ、ほどほどに。僕は寺が好きなので、龍山寺に興味あり。タクシーにてスッと移動。派手な色彩は日本の寺とやっぱり違うなー。道教やら仏教やらが合体している。古くからの教えを守り続けるの宗教だけど、グニャグニャと合体していくのも宗教。民衆の祈りがその合体のもとになっている。僕が寺に着いた時、黒衣に身を包んだ女性たちが大勢いた。皆で列になってお経を唱えながら、境内をぐるぐる歩いていた。門をくぐって中に入ると、お坊さんが出てきて、お経を唱えていた。黒衣の女性たちも中に入ってきて、みんなでお経。鮮やかな色彩の寺院と、黒衣のコントラスト。どの宗教にルーツがあるのだろう? 彼女たちは何を祈っているのだろう? 僕は何を祈ろうか? 何体か仏像があって、それぞれが祀られている。僕はそれぞれにお賽銭を入れて、それぞれに祈った。恋人の父親が最近調子が悪いから、元気になりますように。健康祈願のお守りも買う。売店のおばちゃんは日本語を話した。

 さて、そろそろ朝食にありつきたいところ。龍山寺の周りの下町みたいなところを、ふらふらしてみる。外にテーブルを出して、道に対してオープンな飲食店があり、清潔感はあまり正直あまりないけど、プリミティブな食欲がそこにはある。地域の人がふらふらーっとやってきて、何人かでテーブルを囲んで、朝食を食べていた。その光景は魅力的。僕はサッと店の中に入った。目に飛び込んできたのは、魯肉飯(ルーローハン)の文字で、これは日本でも流行ってるから読める。じゃあこれでと、指差しでおじちゃんに注文。おじちゃん、素早い動きでご飯をお茶碗によそって、汁をビシャっとかけて、どん、とテーブルに置いた。日本の魯肉飯とはあまりにも質素なそれに、愉快な気持ちになった。お腹が空いていたので、じゃじゃっとかきこむ。肉の旨味が凝縮したあまじょっぱいタレが、ご飯にあってとても美味しい。「もっと食うか?」とおじちゃんは、厨房の大鍋を見せてくた。そこには、得体の知れない大量のモツが、クタクタに煮付けられている。大鍋ももう一つあり、そこにもモツ。そして豆腐なんかも、煮付けられており、こっちの方もうまそうだ。謎モツおでん。おじちゃんは僕に、トングとバットを手渡した。どれどれ、僕は大鍋から、謎のコリコリ肉と、汁の染み込んだ豆腐をチョイスして、バットをおじちゃんに渡した。ついでにメニューから「麺」の文字を見つけ、それも指差しで注文した。3つ目の大鍋には、湯が沸いていて、僕の麺はそこで茹でられた。今日も白い湯気、気温は少し低い。おでんはまな板の上で、小さめに切られ、謎のタレをドバッとかけられ、僕のテーブルへ。茹で上がった麺は、謎モツスープとともにどんぶりへ。熱々のうちに、麺をすすりたい。麺をどんぶりから引き上げ、ふーふーしながらずるずるーっと口の中へと運んだ。スープは薄味で、舌はびっくりしない。朝食ぴったりだ。お腹があたたまる。謎モツおでん、コリコリ肉は箸でつまんで口の中へ。こちらは麺の薄味とうって変わって、濃いニンニクだれが、びりっと鼻を突き抜けた。目覚めの一発。豆腐も味がしみていてうまい。薄味の麺との相性が最高。一瞬で食べ終えてしまった。「はい、110円ね」とおじちゃんが日本語で会計。ごちそうさまでした。

謎モツスープ
魯肉飯

 地下鉄で台北車站。徒歩で、国家摂影文化中心 NATIONAL CENTER OF PHOTOGRAPHY AND IMAGESへ。古めかしい建物だが、リノベーションされていて、中はすごくキレイ。元々は1930年台に建てられた、大阪商船株式会社の台北支店の建物。入場料は無料。台湾の若手作家の、写真や映像を鑑賞した。驚いたのは許家維 HSU Chia-Weiの「Drones, Frosted Bats and the Testimony of the Deceased 」という作品だ。大きな部屋のスクリーンには、日本海軍第六燃料廠新竹分廠の廃墟の映像が映り出されている。第二次世界大戦中、この燃料工場では、工業試験場工業発酵部が開発したブチルアルコールで航空燃料を製造していた。ドローンで撮影された、映像はふらふらと不安定な浮遊にて、この廃墟を彷徨っていた。ナレーションは日本語だった。観賞用のイスに座って見ていると、日本語のナレーションは、当時この工場で働いていた日本人の手記であることがわかってくる。映像と日本語のシンフォニーを台湾で体験することができるとは、驚いた。台湾は日清戦争の後、1945年まで約50年の間日本に統治されていた。台湾の人はすごく親日という話題は、ことあるごとに耳にするけど、台湾にきてみてそれはやっぱりある程度は本当なんだな。台湾の戦争遺構を静かに見つめた作家には、日本語はどのように響いたのだろうか? センターの若いスタッフは、僕に中国語で丁寧に説明してくれたが、日本人とわかると「OK、待ってて」と奥から、日本語を話すおじいさんを連れてきた。彼は大阪商船時代の資料を展示している部屋の、常駐スタッフらしい。主展示コーナーの現代アートの説明、結局のところ、彼には説明できず。でもありがとう。

 外に出ると小雨。公園を足早に横切って、國立台湾博物館へ。こちらも立派な建物だ。企画展はバリ島の祭りに使われる品々。常設展には台湾の民芸品や、動植物たちの標本。日本統治時代に、日本人の研究者によって収集されたものも多かった。

 博物館を出ると12時。飛行機のフライトまで3時間30分。友人に頼まれていた、高級な茶葉を買いたい。店に目星をつけていなかったから、その場で地球の歩き方の地図から、徒歩で行けるところを探した。キレイな店内。人懐っこい女の子の店員が接客してくた。「最もハイクオリティーな茶!」との僕の要望に答えて出てきたのが、75gで1,000元の烏龍茶。「これが店で一番よ!」とのことなので、張り切って買う。店にドリンクのテイクアウトスタンドもあり、タピオカミルクティーも買う。お腹もすいてきたので、一番でかいやつ。ドリンクとカメラを片手に、あたりを散策。やっぱり吸い寄せられるように、僕が向かうのはいちば。色とりどりフルーツや野菜。お昼時で市場に併設されている、飲食店はどこも行列だ。近所で働いている人がなんかが、昼食のために買いに来ているようだ。テイクアウトも多い。お惣菜、麺、焼き魚などがオープンな調理場で次々と作られ、ビュンビュン宙を舞っていた。市場は、美味しそうな食べ物の香りと喧騒で満たされ、プリミティブな生命力に溢れていた。残念、胃袋はタピオカでいっぱい。飲食はしなかったが、写真をバシャバシャ撮って、僕は満足した。

 さて時間がやばい。地下鉄でホテル。荷物をピックアップし、再び地下鉄。松山空港めっちゃ近い。全然早く着いてしまい、余裕で搭乗ゲートへ。売店でお土産のお菓子を買って、飛行機をまった。飛行機が来た。乗った。飛んだ。驚いたけど帰りのフライト時間は2時間30分だ。ウラジオストクとの距離を思い出した。飛んで、機内食がきて、お茶を飲んだら、ポーン「着陸態勢となります」のパターン。ぐんぐん高度はさがり、羽田へドーン。バタバタと飛行機から降りて、入国手続きなど。電子化され、コロナ前より、見違えるほどスピーディになっていて驚いた。預け荷物のピックアップを含めても、35分くらい。モノレールで浜松町。電車に乗っていると、身体とスーツケースの重さに気づかされる。これが旅の終わり。気だるいそれらを引きずって、家に帰った。

 さて、これのが僕の【2022年12月の台湾旅行記】である。3年ぶりの海外旅行で、完全にハイになってる。コロナでビビってたけど、拍子抜けした。会社の案件で、無理くりに身体を動かすことができてよかった。僕は旅行が好きだってことを思い出した。バンバン写真を撮る興奮も思い出した。台湾は日本統治が50年もあったことを、町や言葉、文化などから感じた。もっと身を置いて、いっぱい食べて、色々体験したいと思った。うちうちにこもるのは、あまり平和じゃないな、っていうのが僕の考えだ。

市場にいたデブチワワ

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