takomatsuge1988

1988年生まれ。青森県出身/東京在住の写真家。フィルム写真を暗室で焼いている。ロシア…

takomatsuge1988

1988年生まれ。青森県出身/東京在住の写真家。フィルム写真を暗室で焼いている。ロシアに語学留学していたことがあり、ロシア語が話せます。

最近の記事

美と殺戮のすべて

 実のところ僕は今、無職なんだけど、時間があるので映画館で映画を見てる。例えば『DUNE part2」はpart1が面白かったから、見たのだけど、IMAX。音響が良くて、画面も大きくて良かった。IMAXで何回か映画を見てるけど、画面の大きさと音響の良さなすごいと思う。画質も高いようだが、最近の映画はIMAXでなくても画質が良いから、その点では驚かない。ともかく、『DUNE part2」は没入感があって、すごかった。母親に灼熱の魂を感じて、ゾッとした。ドゥニ・ヴィルヌーヴの『灼

    • Seems to smell like water

       I was born and raised in a farming village in Aomori, with rice paddies, fields, forests, and rivers all around me. In spring, the cool winter air becomes a breeze filled with the smell of soil, blowing through the fields. Melting snow bec

      • 土のにおいのするほうへ

         もし種子に鼻があったら、彼らが感知する原初のにおいは、土のにおいであるだろう。私が故郷を想うとき、鼻腔をくすぐるのも同様に、生まれ育った農村の土のにおいだ。都会での生活でそのにおいを、感知することは難しい。種子は土の中で水を吸い込み、発芽し、地上へと身体を表出させる。太陽の光を浴び、風を感じて、植物はぐんぐん大きくなる。土から栄養を吸い取り、水をごくごく飲み干して、やがて花が咲く。散りゆく花弁の中央には、果実。種子が生命を凝縮させている。生命に満ちた種子は、親の近くの土に落

        • 絲人展「てんをうつ」感想@西会津国際芸術村

           中高生の時、深夜ラジオが好きだった。チューニングのアナログダイヤルを回して、ノイズの中を泳いだ。かすかに聞こえるラジオパーソナリティーの声が聞こえると、神経を集中して、その声がクリアに聞こえる方へ、ダイヤルを回した。チューニングの山をつかむと、そこには深夜の寂しさに寄り添ってくれる、人の温もりを確かに感じた。  展示会場には詩が刺繍された布が、ぶら下がっっており、旧木造校舎の教室の窓から入る、南からの光が美しかった。我々は詩を見上げて、作品にチューニングを合わせようと試み

        美と殺戮のすべて

          山田谷直行「そこに在ったひかり」感想@西会津国際芸術村

          静脈を流れる血液が青いのは、二酸化炭素が多く含まれているから。サイアノのブルーは鉄の反応によるもので、それは静脈血と同じなのでは?と妄想する。100年前、写真を始めたのは医者が多かったという。それは薬品を取り扱う知識があったからと言われているが、同時に写真は「いのち」を取り扱うものだったからだ。僕はそう思っている。僕も暗室で丁寧に写真を焼いていると、そこには確かに「いのち」を感じゆ。写真を撮ると、支持体に光がファントムのように定着される。昔の人は、ありありと写し取られるファン

          山田谷直行「そこに在ったひかり」感想@西会津国際芸術村

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          2017年1月ロシア:パルチザンスク(スーチャン)

          2017年1月ロシア:パルチザンスク(スーチャン)

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          第一章『百目木(どめき)』

           俺は小説家になりたかった。畑仕事を抜け出して、本ばかり読んで、怒られてばかりいた。読書は百目木の山と川の外側の、世界のことを物語り、俺の好奇心をかき立てた。しかし俺の夢は叶うことはなかった。俺は戦争でロシアに出兵され、戦後、シベリアに抑留された。そして1945年の冬に、俺はチタという町で死んだ。百目木に残った、妹のユミ子だけが気がかりだった。ユミ子、守ってやれなくて、ごめんな。百目木に帰ることができなくて、ごめんな。  ある日のこと、ひとりの青年がシベリア鉄道でチタ駅に降

          第一章『百目木(どめき)』

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          2021年6月城崎温泉

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          青森GW日記③5月6日(土)

           実家の居間のテレビが、無駄にデカくてほとんど使っていない。両親は居間でテレビを、見なくなってしまった。しかしこうして帰省した際に、映画を見るときには最適中の最適。最近、出始めた黒澤明のリマスター版のブルーレイを、僕たちは見ることにした。青子ちゃん初の黒澤明の映画は、『用心棒』となりました。「面白くってぶったまげるぞー」と、あおりながらプレーヤーにディスクを挿入。始まりました『用心棒』! 映画を見るときの青子ちゃんの横顔はいつも真剣で、目は好奇心に輝いている。黒目にうつりこん

          青森GW日記③5月6日(土)

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          インド:プリー図書館(廃墟)

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          青森GW日記②5月5日(金)

          スーツを着て軽トラ。天気はくもり。実家に帰ると、運転が許される車は、たいてい軽トラックしか残っていない。仕方ない。チグハグなスタイルに、自笑しながら三沢の青子ちゃんちに向かった。彼女の家で、両親も含めて4人でいろいろ話した。緊張したが、色々うまくいきそうだ。未来は明るい。青子ちゃんは今日から二泊、僕の実家に泊まるので2名で彼女の家を後にした。三沢のラーメン屋で、ラーメンを食べることにした。三沢には米軍基地があって、アメリカ人もよく町中で食事を楽しむ。ラーメンはとても人気で、店

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          青森GW日記①人に会って嬉しい

          5月3日(水)筒さんと会えてラッキー 唐突に、東京で知り合ったアーティストの筒さんから連絡があり、彼も本日に七戸十和田駅に到着するそうだ。新幹線を調整し、彼は八戸駅から僕の隣に座った。満員だった新幹線もここまで来れば、40%くらいの乗車率だ。久しぶりの再会を喜び、17:46に七戸十和田駅着。僕は実家にタクシーで帰るのを変更し、二人で十和田の町中へタクシーで。食事と飲酒を共にしようという考えだ。十和田の中心街に到着して、僕はぐるっと久々の町中を散歩してみた。新しい建物は十和田現

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          ネガティブな発言をしない。結果の放擲。健康管理。

          2022年のスタートは引き続きコロナ、旅行業は相変わらずダメ。 2月にロシアのウクライナ侵攻、マジで最悪。落ち込む。 3月に塩竃フォトフェスティバルが、あったので気分を上げて頑張った。素晴らしい出会いや、やりたいことが生まれてきた。チャンスをいただき、ありがとうございました。 4月は離職を決意。ロシア関係の仕事は、ロシアを活かせるという満足感はあるけど、今は経済的にも難しいと判断。でも僕みたいなロシアを好きな人が、好きなままでい続けて、ロシア人との友情を大切にすることが

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          【2022年12月の台湾旅行記:2日目】

           2日目の朝、ホテルでPC仕事。8時30分にホテルをチェックアウト。フロントに荷物を預けた。外は小雨。今日は15時30分の飛行機で、日本に帰らなけばならない。あんまり無理してまわらないぞ、ほどほどに。僕は寺が好きなので、龍山寺に興味あり。タクシーにてスッと移動。派手な色彩は日本の寺とやっぱり違うなー。道教やら仏教やらが合体している。古くからの教えを守り続けるの宗教だけど、グニャグニャと合体していくのも宗教。民衆の祈りがその合体のもとになっている。僕が寺に着いた時、黒衣に身を包

          【2022年12月の台湾旅行記:2日目】

          【2022年12月の台湾旅行記:1日目】

           仕事の出張で急遽、台湾の台北に行くことになった。出発日の一週間前の通告で驚いた。初台湾。パスポートの有効期限はOK、ワクチンも3回打っている。仕事の内容はミーティングと視察。上司は日帰りで、僕は一泊二日。2日目は仕事なく、一人で観光してもいいとのこと。もちろん航空券とホテルは、会社の経費。なんてこった。このチャンスを有効に使うために、一週間で色々情報を収集。収集しすぎて、一泊二日では全然まわれなかったの実際だ。まあいい。頑張って仕事を続けていれば、台湾との仕事はまた来る。

          【2022年12月の台湾旅行記:1日目】

          その背中

          28歳の時に、ロシアに語学留学をした。留学をする前に旅行としてロシアを訪れて、ロシアはどんな国か、この目で見てみようと思った。その時の5月の、ウラジオストクはくもり。カメラには、モノクロフィルム。くもりの時の撮影は、強い光で被写体の情報が、飛ばないから好きだ。肌寒い町を防寒して、ひたすら歩き回った。ウラジオストクは坂の多い港町で、歩き回っていると足が疲れる。目の前のカフェに飛び込んで、熱いコーヒーを飲む。ウラジオストクは、人口あたりカフェ・レストランの軒数がロシアで一番多く、