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ジョルジュ・バタイユを読んだことがあるかい

かまやつひろしさんが天に昇ったとき、二重の後悔が僕に舞い降りた。
ほんの数か月前、近所のライブハウスにかまやつさんが来ていたのだ。
わかっていたら、最初で最後の生演奏を聴けていたはずだったのに、それを知ったのは亡くなった後だった。
かまやつさんのお名前はもちろんよく知っていたのだが、歌を聴いたことはあまりなかった。
知っている曲も、情けないほど少なかった。
『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』のような、センスの塊みたいな作品があることを生前に知っていたら、もっといろいろ聴いて、ライブにも行っていただろう。

『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』を何度も聴き直していると、なぜかジョルジュ・バタイユを思い出した。
そして「ジョルジュ・バタイユを読んだことがあるかい」と、何度も頭の中で繰り返していた。

高校2年の時に付き合っていたMは、ルックスだけ見ればベティ・ブープに似ていた。
美人でもなければ、あまりかわいくもないのだが、どことなく愛嬌はあって、妙に色っぽくて、どちらかというと大人っぽい空気を漂わせていた。
同じ高校の同じ学年だが、クラスは別だった。

本人はあまり言わなかったが、噂によると成績はトップクラス、というより、学年で1番とか2番とかという話だった。
それはバカな僕でも、彼女と話しているだけでわかる。
語彙の多さと表現力の豊かさ、筋道の立った話の展開は、同い年の連中のちゃらちゃらしたおしゃべりとは、かなり異質な趣があった。
実際彼女は、仲間外れという感じではないものの、周りからはちょっと浮いたようなところがあった。
同年代の連中と比べると、変に落ち着いていて、孤高の存在という雰囲気すらあった。

そんな彼女が僕に興味を持ち、接近してきたのは、僕も粋がって一匹狼を気取っていたからだろう。
鋭い彼女にはしかし、僕がカッコつけのヘタレであることはお見通しだったに違いない。

彼女を初めて僕の部屋に招いた時のことだった。
ベッドに並んで座って、途切れ途切れに言葉を交わしていると彼女が言った。

「ここ落ち着くね。
自分の部屋にいるみたい。
本棚にジョルジュ・バタイユなんかもあるし…」

目につくところにあったのは、『眼球譚』と『マダム・エドワルダ』と『有罪者』と『エロティシズム』と『空の青』と『C神父』だ。

「バタイユなんか読むの?
こんなの読むの俺くらいかと思った」

「姉と一緒の部屋だったの。
今はあたしひとりで使ってるんだけどね。
姉が大の本好きで、本棚には変な本がいっぱい。
バタイユも大好物で、『無神学大全』とかよく読んでたみたい」

敢えて訊ねなかったが、『無神学大全』は彼女自身も間違いなく読破していると思った。

自宅は海の近くにある。
彼女に夜光虫を見せたかった。
日が落ちるのを待って、海岸に誘った。

波頭がブルーに光り、海のオーロラのように流れ揺らめく。
視線を吸い取り、言葉を吸い取って繰り広げられる光の乱舞。
今ならチームラボを想起することだろう。

思考も時間も吸い取れ、気が付いた時には、青い光が薄らぎ衰えつつあった。

「あっ、そろそろ…帰らなくて大丈夫?」

すると彼女は、門限が7時であることを告白した。

「え~っ、本当?
大丈夫なの?」

「今時門限なんてと思うでしょう?
姉が高校生の時、ちょっとした警察沙汰を起こしたの。
うちの父は裁判官だから、世間体もあって、もう怒りまくってた。
あれこれ奔走して、なんとか表沙汰にならないようにしたんだけどね。
もともと躾けには厳しかったんだけど、それ以来、ますます厳しくなって、とんだとばっちりよ。
特に下の娘には厳しくて、門限まで設けられちゃったわけ。
姉の二の舞にならないようにね。
でも、気にしなくていいよ。
あたしが叱られれば済むことだから」

10時を回っていた。
彼女は固辞したが、僕はそこでも、カッコつけずにはいられなかった。
タクシーを拾って、彼女を自宅まで送り届けたのだ。
大事な娘さんを夜遅くまで引っ張り回して申し訳ありませんでした…とお母さんに謝った。

この事件がきっかけになったわけではないのだが、その後二人は、離れられなくなる前にどちらともなく離れてしまった。
それから後はこんな次第だ。
彼女ならば偏差値70以上の難関大学でも楽勝だったろうけど、なぜかその半分の偏差値でも入れる大学に進んだ。
間もなく、その大学も中退したことを風の便りに知る。
そして、風の便りすら来なくなってしまった。

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